言葉は文化によっていろんな意味合いが込められるけれど

日本の、同じ言葉を繰り返して同意するようなことは
アメリカではあまりない。

共感することが人間関係を築くものと学んできた私にとって
他の人に私の感じていることを共感してもらえないことは
非常にこわいことだった。

自分の作品が良いか悪いか(正しく進んでいるか否か)は、
自分の見解次第であるのにようやく気付けた日だと思う。

他の人に、あなたのこれが良いとか悪いとかを言われてしまうと、
”じゃぁ、そうしよう”と変えてしまうのは、よくなかったのだ。

うっかり、日本の人間関係の気持ちのまま他人の意見に従うから
自分の中の世界を見逃してしまっていたのか。

独りよがり、ではなく、
自分を客観視したうえでの自分らしさの発見というのかな。



言葉とは本当に意と裏腹に働くものでもあるから
自分が発する言葉が本当にそれを意味しているのかも不安だったりする。
英語であれば尚更そうなる。

英語と日本語の違い以前に
その人の経験や生い立ちによって言葉に対しての意味が違ってくるのだから
それを埋めることのできる何かに近づかなければいけない。

人間同士を本当につなぐことができるものが
言葉だけでないことを証明できたらいいなぁ。

考えが溢れかえって
頭が真っ白になってしまうような日。
ちょっと前進できる予感。


今日は朝10:30から ゲストアーティストが私のスタジオに訪ねてきた。

韓国人の方で、私のスタジオに入った途端

”わぁ~!これはやっぱり、カラフルなのは日本人の現代アートらしいわね~!
とても素敵で、何も悪いとこがないわね~!!”

と、褒めてもらえたのはいいのだけど、
やはり続いて聞かれるのが
”それで、これはここからどうなるの?何がこうなったの?”
という質問。

私も、まるで無意識というか、自分の意識の中でしか制作をしないので
他人にそれが何であって、これからどうなるかという説明が非常に苦手。

言葉と意識が合致しなくて、うまく応答ができなかった。

「アメリカの安い素材をなんとか活かして作品にする」とか、
「色をたくさん使って、楽しいポップな環境を作る」とか

そういった見た目はたまたまの結果であって
私がもともとそうしたかったからそうなったわけではない。

私には私の中の世界があって、それに近づくために
どうやって、何を使って、どんな工夫をすれば
それが視覚的に現実になるのかを試行錯誤しているだけなのだ。


日本人のテイストがどうとか、
”女性独特の感性”とか以前に、
人、ひとりひとりを芸術の中に巻き込むことができるような
生な環境を作りたいと思って、
だから言葉や文化を超越した共感を得られる作品を作りたい。

あぁ、日本語だったらこうやって書けたのに、
英語では言えなかった。



アーティスト訪問の後は、大学院生グループでの講評会。
その朝の何も言えなかった悔しさで心がボロボロなうえに、
説明が完璧な学生の次が私の番だったものだから、
もう逃げたくて仕方がなかった。

私のスタジオはいつも”制作途中”の作品たちでひしめいていて
展示になったら、展示をするとともに作品を完成させる方向できているので
スタジオを見てもらっても、みんなちんぷんかんぷん。
先生がいろいろ質問をしてくれるのだけど、
私の頭の中はぐるぐるで、何を答えているのか、何を聞かれているのかさえも
わからない状況に陥ってしまった。
その上、まだ未熟すぎる案を見せてしまったおかげで、
「それはやらない方がいいんじゃないか」とまで言われてしまう始末。。

”いや、でもこれは私の中では必要なものだからやらなくちゃいけないんだけど。。”
と頭では分かっているのに、言葉にも出てこないまま。
今までで一番混乱した講評会になってしまった。


何が足りてないかって、その私の世界が
どういった世界であるかを大まかに説明できる言葉が見つかっていないんだと思う。

それと、言葉が出てこないのを、
”英語が足りていないんだ=私の頭が遅れている”という思考にもっていってしまうのもいけないのだ。

そこから、言葉についてもまたいろいろ考え込んでしまったことを
次に書こうとおもう。







芸術をやっていると、
超無意識的な世界に迷い込んで

自分はいったい何をやっているんだ

情けなかったり、自己嫌悪に陥りやすい。

特に自分を解放したばかりで、
出てくるものがどれも無気味で意味が見出しにくいと、さらにどうすればいいのか
わからなくなる。

はて、どうして私はこの道にきてしまったのかと問い詰めてしまいたくなるけれども、

そこはぐっと受け止めて

自分が好きだからやってるんだ
と胸を張って
堂々と生きていきたい。

意味をなすものにしか価値がない?とか
社会の働きに潰されることなく、
まずは自分をちゃんと愛してあげよう。