夏休みも通り越して、秋学期まるまる滞ってしまった。

今学期は初めて彫塑の基礎クラスを教えることになり、
毎週二日、13人の学生(うち一人はシニアの優しいおじさん)
と、伝わらないことが多い事にヤキモキ
先生らしく振舞えない自分自身に怒りつつ
4か月をなんとか乗り切った。

とにかくそれぞれの考える事はみんな違って、明確なものだった。
もやもや、なんとなく~・・・で終わらせず、ちゃんと結論まで持っていける
こちらの学生は、確実に自覚が強い。

その自覚自体に疑問を持つ課程があるかないかも重要なことだけど。

日本は周りを突いて結論を浮き出すやりかた

アメリカはまず結論をつけて、それに補足を加えるやりかた

どちらも何が正しくて、何が正しくないかの問題ではなく
単に思想文化が違うだけ。

だからといって、その”違い”に流されて互いを理解しようとすることを怠れば
やっぱり文化のすれ違いが起こってしまうのではないかな。

人間、みんな同じ人間である以上、できる限り繋がりを深めていきたいと思う。


2年間のアメリカ生活を経て初めて故郷に戻った。

久しぶりに会う家族には、何も変わった空気もなく私を迎えてもらい、自分もそのままいつも実家に居たかのように毎日を過ごせた。
少し規則的すぎる習慣には少し息が詰まる思いもあったけれど、それが家族団欒を守ってきたのだとすれば、仕方ない。

久々に会う友達は、結婚したり子どもができたりと、その人たちの道がそれぞれくっきり見えてきているようで、私も一緒にちゃんと生きているんだな、と実感するようだった。

実家に戻って再び、日本で存在する自分を思い出すきっかけにもなった。
それまでは自分という紛れも無い存在について、正面から見つめることが、どんなに難しいことだったか。
周りの環境によって変貌していかなきゃいけない事が多く、自分が本当はこうだ、ということを純粋に受け入れて生きていこうとすることが難しい時になってきているとも思った。それを無視してでも安定の道を進まなくては喰えないのがやはり社会というものなのだろうか。
そしたらやはり、私はこの社会では生きていけないと改めて感じてしまった。

アメリカでも日本でもどこの国でも、様々な抑制を選びながら、探し出した自由の中でできる限り自分の得意なことが生かされ、後の社会に少しでも光を与えてくれることを願ってやっていくしかないのだ。

ぼんやりした活動しか見えないけれど、しっかりと目的を据えていけば、必ずなにかに辿りつくと信じて制作することしか今はできない。


今年もちょっくらズンバのクラスに参加することにした。


初のゲイ講師なんだけれども、
とっても激しくて厳しいっ。

音楽もちょっと独特で、動きも面白いけれど
やたら足のステップが複雑で、
途中で”んもうっ!!”
って諦めてしまうこと多々。


励ましや言葉は女の子なんだけど、
やっぱり体格が凄いから
体力も使う使う。

とにかく、一年ぶりのズンバがここまで
スパルタで、きついものになるとは。。

それと同時に、ヨガも始めてみた。
たまたま同級生のガールフレンドが講師をしているからなのだけど、
ヨガも楽しい。
ゆっくり、たまに流れに乗せてポーズをとりつつ身体の芯を使うような
丁寧な身体の運動って感じ。

やっぱり運動は必要だなー!
大学とアパートの往復しかしない日が多いので
たまに他の人と混ざって違うことをすることも新鮮っ!


あと一ヶ月しか残ってないけど、あとどれくらい通えるかしら~