日本で育つ間でも
割とアメリカの文化が流れてきやすい環境に居たからか

アメリカについての理解と、その固定観念がより一層強かったのかなぁ。

ここ最近になってから、
アメリカの見せかけと理想観に対立する醜い現実みたいのが
よくよく見えるようになって少し混乱する。

だけど、それが現実。

それを知っていながら、全てを覆いかぶせて生きている大人たちが
この世界を回しているかのような勢いでいっろんな無駄な利益を生み出しているみたい。


日本で贅沢はちょっと罪の意識だけど、
こちらでは贅沢できる者ほど力があるとして
認められる社会ができちゃっているんだもん。

無駄なプラスチック製品がごみの山程作られて捨てられて
不便なこと、手間な事を省くための無駄な発明が
人間を怠惰にさせる。
同時に、資源も減る。

もう、追い詰められているとは知っていても止まらない。
お金がある人ほど気にしない。

人間の中で、何か自然破壊が起こっちゃっているんだ。





クラスで行くのは3度目のニューヨーク旅行
着いた初日は大雪の中、 チェルシーで開かれていた
日本の現代アーティストを集めたアートフェアを覗いてきた。

日本で選抜された作品たちがぎっしり詰められていたけれど
やはり作風はどれも日本くさいものばかりだった。

なんだろう、”この、日本文化とモダンの融合!すごいでしょっ!”
的な、アメリカ人に誉めてもらいに来ている感が溢れていて
ちょっと辛い。


日本の現代アートはそうゆうものではないだろう。
ってわかっているのだけど、
やっぱりアメリカの、NYともなれば
売れる事を先に考えて
好まれそうなものが並ぶのか。

現代アートであるからには、もっと個性や自分の思想を
最大限に出しても いいんじゃないのか。
そうか、そしたら売れないもんな。



それはさておき、 New Museumでも、
各国からアーティストを集めてトリエンナーレが 行われていた。

こちらはもう少し政治的なアプローチや国の特色はあまり気にならない
それこそ、現代アートな展示だった。

あ、そんな国でもこんな芸術作ってるんだぁ。
なんて、全体的に国際色豊かなのに、それがあまり目立たないものだった。
そのなかに日本人のアーティストは含まれていなかった。

...何がいったいそんなに差をつけているのか。

まるで日本人は日本人としてしか扱われないんじゃないかっていう
変な気持が付きまとっていたりして。 (日本人も世界の一因になりたいよぅ!)


今回は同級生が少なくて 少し不安な旅だったのもあり
自分の不安要素と闘った旅でもあった。
日本人で女性である自分の位置を確認させられた。


日本を出てから1年と半年以上が経ち、

自分の、”日本文化の売り込み”染みたアメリカ人との会話も尽いた。

そこでようやく気がついた。

日本人として育てられた自分のアイデンティティは
日本を尊敬するように、
日本を特別に見るようにできていたんだ。

そしてそれが、どこの国でも同じようにできている。
だからより一層、日本だけが特別なわけでもなかった。

小さな島国で、独特なセンスと雰囲気はある。
けれど、見ないふり、知らないふりが多い国でもある。
過去の過ちを認めなかったり、認めさせなかったり
この小さな国をたぶん一生懸命に守ろうとしているんだけど、
それが逆に周りの世界と隔たりを作ってしまっている所がある。


外の世界で起こりえる危険や責任を知らないまま大人になれる。
そんな夢の国みたいなんだけど、
国から一歩出たらまるで赤ん坊みたいな、
純真または不用心で、
それを嘲笑されるか、大切にされるかは
ほとんど運と、知識だな。



と、思うようになってしまった。


帰国が待ち遠しい。