みなさまこんばんは。
未来予想図プランナーの菅野美羽です。
昨日は祖父がガンになってますます家庭崩壊のお話でした。
刺激が強すぎました?
大丈夫ですか?→って半分は私に言ってる感じですが。笑
昨日の記事を書いていて未だに当時の感情の揺さぶりに耐えられず泣いてしまいました。
なんどもこの感情を見送り続けているんですがまだまだ残っているんですね。
過去の傷を完全に癒すのには時間がかかります。
実体験なので当然なんです。
もし同じような体験をされて落ち込んでいる方がいらしたらどうか落ち込まないでくださいね。
必ずそこから1歩踏み出せる自分になれます。
さて今日は留守番をしながら覚え始めてことを書いていこうと思います。
母の負担を軽くしようとお手伝いを始めました。
「家事」
最初は洗濯物を取り込んでたたんだり、お皿を洗ったりとできることから始めました。
もともとお菓子づくり、料理のお手伝いをするのが好きでしたからそれほどハードルは高くありませんでした。
そして夕飯の支度とまではいかなくても簡単なおかずを作ったりしました。
少ない時間でしたが祖母に料理を教えてもらうこともありました。
祖母が最初に教えてくれたのは「ご飯の炊き方」
お米の研ぎ方を教わっている時に祖母はこう言いました。
「どんなに賢く勉強のできる子だって大人になったら女の子は家庭を持つ。その時にご飯も炊けないようなら毎日泣かなくてはいけない」と。
この言葉をきっかけに祖母は私に生きていくための生活の知恵いわゆるおばあちゃんの知恵袋と呼ばれる知識をいっぱい教えてくれました。
料理の段取りから手際の良さ、時間の使い方も自然に学びました。
これも未来予想図プランナーの素になっている私が大事にしている要素の一つです。
そして最初につまづいたのがご飯の水加減!
昔の人なので水加減は手で測るんですよ。
お米を研いで炊飯器(祖母はガス釜を使っていましたね)に入れ水を入れる。
その水加減を祖母は炊飯器のメモリに頼らず自分の手で測っていました。
お米の上に手を置いて水が指の第一関節?(指の付け根だったかも?)にくるあたりまでが目安。
でもあなたの手(子供の手)は小さいからこのくらいと教えてくれました。
メモリ付きの炊飯器なのにそれを使わず、手を置いて水の量を測るってどうして?小学3年生の私には謎でした。笑
今はこの知識を知っている人は少ないですね!アウトドア、災害時など役に立つ場面も多いのになぁとちょっと残念です。
そんなことからスタートした家事はだんだんとレベルアップしてお料理のレパートリーも徐々に増えてゆくのでした。
ほうれん草のおひたし、お味噌汁、チャーハン、卵焼きなど簡単なものはレシピを見ないで作れるようになりました。
母に教わりながら麻婆豆腐、酢豚、春巻き、グラタン、パスタ、カレーなど洋食メニューも作れるようになりました。
小学生の料理のレパートリーにしては多い方だと思っています。
お菓子は料理本、近所の上手な人にレシピをもらって覚えました。
クッキー、パウンドケーキ、レアチーズケーキ、ゼリー、プリンなど作ってましたね。
当時、母はものすごく多忙で私のことはあまりかまってくれなかった寂しさもありました。
母から認められたい、ほめられたい、でも満たされない。
そして何より夫婦喧嘩が起きないようにこれ以上大事なものが壊されないように大好きな祖父母が元気でいていられるようにとひたすら家内安全を願う私でした。
小学3年生でこのレベルなので当然「あの子はしっかりしている」周りの大人からはそう言われることがほとんどでした。
今振り返ってみて「しっかりしているけれど自分の感情を話すことはできない、周りの顔色を伺う冷めている子」そんな子供だったんだなぁと感じます。
「できることは自分でする」そんな教育方針から私が学んだもの、それは「自立と寂しさ」でした。
もちろん今の自分の糧になっているものもたくさんありますよ。
それを否定はしませんし感謝している部分もあります。
大人になった私が学んだソウルナンバーで、この教育方針は私の本来の良さを押し殺していく教育だったと判明します。
当時、両親がこれを知っていてくれたら私はもっと違うものを学べたかもしれない。
そう感じる場面も多いです。
家族、子育て、職場、恋人、友達、ほとんどの人間関係を改善できるツールなのでこれは本当に知っていると心が楽になります。
お教えすることもできますのでご興味のある方はご連絡くださいね。
いかがでしたか?
今日は激しくなる両親の夫婦喧嘩から身につけたもののお話でした。
続きはまた明日22時に配信いたします。
本日もお読みいただきありがとうございました。
菅野美羽
まだ歯医者には行くな 18年歯科衛生士を勤めた私が伝えたい本当のこと