かつて子供カサンドラだった発達障害 | 発達障害家族の記録

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発達障害について、当事者として、
当事者の家族の立場としての両面から書いてます。

夫は過去に2度、うつ病で会社を休職したことから

定期的にカウンセリングに通っている。

まあ・・・これも、夫自ら望んで積極的に受けることにしたわけではなく、私が強く勧めたからなんだけどえー

 

なので、本人の中では『ぬこが行けって言うから行った』って認識になってそうで、それだと効果のほどは期待できないのかな・・・と薄っすら不安もあった。

 

夫は最初の頃はカウンセリングの効果はあまり実感がなかったようだけど、回数を重ねるごとに自分の考えが整理出来るようになってきたという。(さすがプロ)

 

 

それで、つい最近、何気ない話の流れで、幼少期から結婚するまでの夫と義両親の関係を自分ではどう思っているか聞いてみたところ、夫と義母の関係は親子逆転だったと認識するようになっていた。・・・これは驚きの進化驚き

 

 

 

親が発達障害だった場合、その子どもの人生は過酷になりやすい。

 

益田 裕介先生がこの記事で書かれているとおり、発達障害のある親のもとに生まれた子は、子供の頃から精神的なケアラーになりやすい。

 

ただ、親のケアラーになるのって、定型発達の子か、軽度の発達障害の子に多いと思う。

 

かつて子供カサンドラだったと思われる定型発達の人の成育歴のエピソードを沢山読んできたけど、そういう人は親が何をしたら喜ぶか何をしたら激高するかのパターンを読んで先回り出来てしまう。自分の親は他の親と比べて変だと気付いてても、子供の方が対処出来てしまうから習慣化されやすいのかなって思う。

 

 

先の記事に書いたとおり、発達障害の強めの子だと、その先回りは出来ないし、親の言葉を素直に受け入れ過ぎて、ケアラーというよりか、『洗脳』・・・夫はまさに洗脳のほうだった。

先回りはしないけど、その都度、親の言いなりになってた。

 

 

夫は私のように、親の介護とか家事全般をやらされてきたわけじゃないけど、義母を常に『可哀そうな人』として、義母を守るように洗脳されてきた。

 

これは、毒親のエピソードでよく聞く『私を東大生の母親にしなさい』とか『私を”良い親”にするのよ』といった親の承認欲求を満たすための暗黙のメッセージと同様、子供に自分の理想を叶えてもらうための刷り込みだったと思う。

 

私の父は承認欲求の塊だったので、『身の丈以上の高望みし過ぎだ!!アホか!』、くらいの反発心を持てたけど、義母のような『被害者になりたがり』はかなり厄介。

 

義父と義母の夫婦間のコミュニケーションの問題や、義父の家のことに非協力的な面もあったので、事実、気の毒は面はあったと思う。だからこそ、母親から”可哀そうな私”を演出されたら、優しい夫は反抗することも出来なかったのだと思う。

 

これ、私も結婚当初から義母に対して感じてきた苦痛でもあったので、そこは夫の反抗できなかった気持ちは理解してるつもりだけど、

 

私は結婚当初から、どうも義母の『可哀そうな私』に反発したくて仕方がなかった。自分の問題を子供に解決してもらいたがってるのが見え見えだったから。

 

結婚当初から義母のことは『○○付き』(私の地元の方言で子供の世話並みに手がかかる人って意味)だと思ってた。

お陰でスッカリ可愛げのない嫁になったわけだけど(笑)

共感力が薄いASDゆえでもあったと思う。

 

 

夫は最近やっと親の精神的なケアをやらされてきたことに気づき、義母のことは突き放している。

 

夫『こちらから連絡取ったら、しっぽ振ってすり寄ってきそうで怖い』

 

などと言っている。

 

 

発達障害の親を持つ子は、親の世話をするのが嫌なわけじゃない。

 

親のための人生を生かされるのが嫌なのだ。

 

 

夫も義母の被害者意識に洗脳されてた頃の、親の人生生かされてることに気づかないままのほうが幸せだったのかもしれない。

 

けれど、子供を持った以上、その洗脳に気づかないままだったら、わが子にも無自覚に同じことをしてしまうと思う。

 

その負の連鎖を断ち切るために、わかってしまったゆえの痛みと向き合うのも、親としての義務かなって思ってる。