最近読んだこちらの本から。
そして、これは私の経験や観察に基づく主観であって、医学的根拠に基づいたものではありません。
発達性トラウマとは、ストレスや米・ボストン大学のベッセル・ヴァン・デア・コーク博士が提唱したもので、子供時代に繰り返された慢性的なストレスやトラウマ体験が、後天的に発達障害(ASD・ADHD)と酷似した症状を指す。
発達障害と診断される人は年々増加傾向にあるそうだけど、それは、発達障碍というものが広く知られてきたことと、診断できる病院数の増加もあってのことなのだろうけど、
『自分は発達障害なのではないか?』と受診する人の中には発達性トラウマのケースも多いとのこと(実際には発達性トラウマ障害という診断名はないとのこと)
・・・これ、納得できちゃう。
先天性の発達障害だけで言ったら、『よし!病院で検査してもらう』なんて積極的になりにくいと思う・・・。
たまに、カサンドラさんのブログで、夫さんに発達障害があるっぽいが、本人が検査に乗り気じゃないっていう話をちょくちょく目にするけど、私的には、それこそ即ち発達障害だと思う。
そもそもASDだったら、自分が何に困っているのか良く分かってなかったりするし、困り感を上手く説明できなかったりで、どこかに相談しようという発想に結び付きにくいし、ADHDは実行機能障害と言われるようについ先延ばしにしがちなところもある。
先天性の発達障碍の人が検査に積極的になるとすれば、それなりに困った事情を抱えていて、検査を受けることで(支援に繋がるなどの)なんらかのメリットを期待してのこと。
第三者が観察する分には、発達性トラウマも発達障害も似た特徴があって、どちらも同じ生きにくさを抱えているように見えるかもしれないけど、おそらくだけど、私的には、後天性の発達トラウマのほうが生きにくさを実感しやすいと思うのだ。
最近は変わってきたかもしれないけど、発達障碍ですとおっしゃる当事者ブロガーさんには、幼少期に慢性的なストレスやトラウマ体験を経験した方が多いように感じる。
だから、発達障碍の検査を受ける人には、発達性トラウマかそれを併発した先天性の発達障碍者が多いのかなって思う。
子供の頃のストレスやトラウマから発症する発達性トラウマって私の中の勝手なイメージだけど、昔の中国の纏足の風習を連想した。
(画像はこちらのサイトからお借りしました)
平均的な女性の足のサイズって23~24センチってとこだと思うけど、纏足というのは、骨の柔らかい時期の少女の足を、(結構えげつない方法で)足の指をボキッと折り曲げて布をぐるぐる巻きにして10センチ(理想は9センチ)より大きくならないようにするものだったらしい。
当然ながら、歩きにくいわけだけど、そのよちよち歩きみたいなのが魅力的に映ったっていうのと、男性社会の都合に合わせた結果、歩きにくい足を強制的に作り上げていたのだ。
現代の感覚では信じがたい風習だけど、・・・これ、虐待された子供が発達性トラウマを発症するのと似てるなって思った。
親の都合や虐待によって本来の姿を無理やりへし折って変形させられたものの、あるべき部分は残っているのだから、バランスがとりにくいなどの弊害があるはず。
こちらの書籍でも取り上げられていたけど、毒親とされる親に発達障碍や精神疾患があるケースもあると認識されてきた。
毒親とされるような発達障碍のある両親のもとに生まれたとして、親と同じ性質を持った子か、違う性質を持った子かでだいぶ違ってくると思う。
私の家族を例に挙げると
私の親は、面前DV・ネグレクトや精神的・肉体的虐待なんて日常茶飯事だったけど
定型発達の姉は兄弟の中で親に合わせるために自分らしさをへし折った回数が多いだけに慢性的なストレスを抱え、成人後もその後遺症による生きにくさはあったと思う。
その点、私と兄の発達特性の親と同じ性質の部分で言えば、緩衝材の役割を果たしてきたと思う。私と兄は発達障害ゆえに、相手に合わせて自分を変えるなんて芸当は出来っこなく(だから発達障害なわけで)親に合わせて自分を変えることなく、ただ、親の思考回路が理解できるだけに、親の横暴にムカついただけ(笑)
けれど、精神ダメージが少なく済んだからといって、良いことばかりではなかった。
情緒が育ちにくい子だと、強制的にへし折られる部分は少なく、変形させれらるっていうのはないけど(元から発達障害なわけだし)、異常な環境でも素直に受け入れてしまい、親の異常性でもそのままコピーしてしまう
虐待と分かりやすいDVとかならまだしも、教育虐待のようなものを受けてもそれを異常とは感じてなかったりする。
嫌だなって感じてても、親子で同じ性質があったりすると、その違和感を上手く説明できないので、考えるのを辞めてしまう。
だから、自分の生きにくさの原因が親の価値観のコピーにあるとは気づきにくい。
その一方で、親と性質が異なる発達障碍の子だと、自分を変形させてまで相手に合わせることが出来ないので、その都度、直に攻撃を食らってしまうパターンもある。
こちらは発達性トラウマと同じ複雑性PTSD的なものを併発した発達障害なのかなって思う。軽度のASDやADHDに多い印象。こちらは結果として発達特性をさらに強めてしまうと思う。
(こちらは、自ら診断に積極的になりやすい当事者に多い気がする。)
私の場合は、親と同じ性質のところでは、違和感を感じにくく、別の性質の部分で違和感を感じてきた、といったところ。
親と性質が同じ部分に関しては、嫌だなって感じてきたものの、それを上手く言葉で言い表せなかった。(自分と同じ性質に対しては、客観的に見れない)
それが、自分なりに表現できるようになってきたのは、カサンドラさんの気持ちを綴ったブログを多く読んできたお陰。
先天性の発達障碍と後天性の発達性トラウマは全く別のものであって、そのアプローチの仕方には大きな違いがあると思う。
先天性と後天性の発達障害は見分けが難しいらしいが、実態は全く違うし、後天的に本来の自分らしさをへし折られた発達性トラウマのほうは、改善の可能性があるという。
こちらは本来の自分を取り戻すためのアプローチになるのかな。
先天性の発達障碍だと、治すことは出来ないけど(へし折られたわけじゃないから)親からの不適切な洗脳があったなら、その間違いに気付くことから始まるのだと思う。
先天性の発達障害者が親からの不適切な洗脳に気づかないまま、自分と性質の異なる多数派の社会に適応しようとすると二次障害やパーソナリティ障害を併発することに繋がりやすいと思う。
相手に合わせて『変形』する代わりに、パーソナリティ障害などを『重ね着』する形になるのだと思う。