前回に続き、考えることが出来ない、ということについて
今回は過去の私の脳内を振り返りつつ・・もう少し踏み込んで書いてみたいと思います。
考えることが出来ない人、の最も最悪なケースは、第二次世界大戦時、ナチスドイツの政権下で暗躍した人物の一人アドルフ・アイヒマンではないだろうか・・・
(↓アイヒマンのWikipediaコピペ)
ゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所 (収容所所長はルドルフ・フェルディナント・ヘス (=ルドルフ・へース)) へのユダヤ人大量移送に関わった[2]。「ユダヤ人問題の最終的解決」 (ホロコースト) に関与し、数百万人におよぶ強制収容所への移送に指揮的役割を担った。
第2次世界大戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、1960年にイスラエル諜報特務庁 (モサド) によってイスラエルに連行された。1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、同年12月に有罪、死刑判決が下され、翌年5月に絞首刑に処された。
著者の片田珠美氏は↓この本の中で、アイヒマンについてこのように書かれています。
第二次世界大戦後、逃亡生活の末捕まって裁判にかけられたが、
どんな残虐非道な人間かと思ったら、存外普通のドイツ人だった。
ただ、彼は恐ろしく思考する、ということが出来ない男だった。
彼は、自分がやったことは、『上からそう命令されたから』『そういう法律だったから』などと述べていたという。
(著書の表現とは違ってると思いますが、大体こんな内容だったはず)
※人はどこまで従順になれるのかの実験をアイヒマン実験というそうな。
そして、著者はこう述べています
誰もがアイヒマンになる可能性がある、と。
アイヒマンの生きた、ナチス政権下の厳しい弾圧のあった時代は
歴史の話からの想像に過ぎないけど
偉い人に従わなければ、自分も家族も命の危険があるとなれば、誰もが自分の身を守ることに必死で、思考することを辞めてしまうものだと思う。
戦争で戦ってる最中、
敵の兵士にも家で嫁と子供が待ってるんやろなぁ~
・・・なんて考えちゃったら敵に銃を向けられなかっただろうし。
こっちが殺されたくなければやるしかない!って、それ以上深く考えることを辞めていたと思う。
アイヒマンが生まれながらにして、言われたこと以外を考えることが出来ない脳の持ち主だったのかどうかは分からないけど
ただ、真面目に命令を遂行していただけの凡庸な人物の行いが、この世の誰よりも残虐な行為だった・・・・という事実に考えさせられます
私自身も、言われたまんま、何も考えずやってたことはありましたから。
・・・といっても犯罪とか悪いことには加担してませんよ(笑)
でもそれは、私がたまたま運良く悪い人に目をつけられずに済んだだけかも(^_^;)
悪いのは権力者だけでなく、その周りに考えることが出来ない人が存在していた、ということ。
邪悪さの本質って、考えないことにあるのではないかとさえ思う。
そして私の勝手な想像に過ぎないけれど
アイヒマンの育ちが、親の言うことをきちんと守るだけが良い子とされた環境だったならば、
人から認められるために、言いなりになること以外の手段を知らなかったと思う。
そして出世(お偉いさんに評価される)のために尚更命令に忠実であろうとしてしまったのだと考えたらしっくりくる。
↑っていうか、私の育ちがそんな感じだったからなんですけどね(笑)
私は、生まれた時代が時代だったらアイヒマンになっていたのかもしれない・・・
怖っ
きっとアイヒマンの両親だって、大量殺人者に育てたつもりはなく、
ただ真面目に子育てしてただけだったのだと思う。
真面目に取り組んでいただけのつもりが、サイコパス製造過程だったなんて想像出来なかったんだと思う。
みんな同じになるように、と上から押さえつけられてきたその時代 、それまでの時流の流れでアイヒマンは生まれるべくして生まれたんだろうけど
真面目なだけっていうのも思考停止してると思う。
歴史にもしもはないけど、
それでも・・・もしもその時代にもっと人間としての情緒の教育があったなら、歴史はまた違ったものになっていただろう
ただ、今も家庭内DVで子供を守るべき母親が暴力父の言いなりになって子供を傷つけるのも同じ構図だと思うし、歴史は何気に繰り返されてるように思う
前回の記事で考えることが出来ない人は助けられても、それに気づいてないって話を書いたんですが
厳しく上から押さえつけられることと、過度に甘やかすことって、
人の思考力を奪う、という点で似てると思う。
人は簡単に思考力を失うものだと思う。
厳しく押さえつけられれば、怒りが蓄積され、まともな思考力を奪い、
助けてあげ過ぎるとその人から自信を奪ってしまい依存になって思考力を奪ってしまう、と私は思うのです。