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今日の一言 「 宝石の材料 」



(8/20)

おはようございます。

今日は、ゴルゴ13の作者さいとうたかをの一言


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 【今日の一言 2014年8月20日】

「この世界は、宝石探すような世界じゃないんだ。

 ジャリを集めて宝石を作れるんだ」

 (さいとうたかを 漫画家)

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ダイヤモンドやエメラルドやルビー、サファイア、オパール…、どこかに

あるのは確かですが、わかりにくいところにひっそりと隠れているものです。

そんなものを探して見つかる幸運を期待して生きてはいきません。それ

より、何でもないものを宝石にするんです。ジャリを集めて磨いて磨いて

磨いて宝石になるまで磨く粘りと気合が大切なんだと思います。

さいとうたかをが絵を描くようになったきっかけは、中学2年のとき近所に

住む老人から日本画の手ほどきを受けたこと だったそうです。来る日も

来る日も一本の線を描いていました。 線を引けと言われたから。そんな

時こう言われます。「たった 一本の線でも感情を込めて引け」と。この教

えが今も生きている とさいとうたかをは言います。

「摩擦なしに宝石を磨くことはできない。また、試練無しで人が完成させら

れるということはない」(中国の諺)

「どんなに勉強ができなくても、どんなに喧嘩が弱くても、どこかに君の

宝石があるはずだよ。その宝石を磨いて磨いて、魂をピカピカにしてみせ

てよ」 (藤子・F・不二夫 「ドラえもん」より)

「早すぎるっちゅうのはよくないですね。我々の作品は半歩前に出ないと」

(さいとうたかを)

今日の一言 「 求めることとは 」



(8/19)

おはようございます。

今日は、編集者・著述家ジェームズ・エリソンの一言です。


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 【今日の一言 2014年8月19日】

「聖書にもこう書いてあるではないか。『求めなさい。そうすれば与えら

れます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれ

ば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、

たたく者には開かれます』。求めるとは、努力することだ。状況がよくて

も悪くても、精一杯の努力をするという意味なのだ。探すとは、あなた

の能力を最大限に活用することだ。あなたが探し、求め、努力し、そし

て何よりも、惜しみなく、無条件にみずからの仕事に全力を注げば、

必ずや運をつかむことができる。そして、成功するだろう。運とは結局、

与えられたあらゆる選択肢の中からみずから選び、引き出すもの

なのだ」 

 (ジェームズ・エリソン 編集者・著述家)

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キリスト教徒でなくてもご存知の一節だと思います。昨日の一言にも

通じる内容ですが、どうすれば運を引き寄せることができるのかという

ことです。どこの国に家に生まれるとか、顔形とか背格好とか、頭の

良し悪しとかいった宿命は変えることができなくても、運命は自分の

努力で変えることができるのです。運をより良いものにするためには、

どういう価値観で生きるかが重要です。価値観によって感情が変わり、

行動が変わり、受け取るものが変わってきます。明るく、温かくを誠実に、

素直に、地道に一瞬一瞬追求して活き活き生きましょう!

「我々は、他人と自分との役割を比べたり、自分の置かれた立場を他人

と比べる必要はないのです。自分に今与えられた役割に対して、一生

懸命それを尽くしているかどうかということに、大切さがあるんだという

ことです」(林覚乗)

「情熱は必ず伝わる…情熱を徐々に伝えていく」(安藤忠雄)

今日の一言 「 運 」



(8/18)

おはようございます。

今日は、「出会う人に明るさを与えられる人間でありたい」を信条に、

人生を生きるということについて、様々な実話などを交えて、生きる

ことの大切さを問いかける講演活動をしている林覚乗の一言


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 【今日の一言 2014年8月18日】

「一般に運が良いとされる人は、日ごろからそのような振る舞いや行為を

しており、自ら運を引き寄せているんです。感謝の気持ちを持つことは、

相手に求めることではなく、自分自身でできることなので、誰でも簡単に

できます。要は自分をコントロールすることです」

 (林覚乗 南蔵院住職)

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この世には「引き寄せの法則」が働いていると言います。昔から「類は友

を呼ぶ」です。自然と自分に似通ってものが自分の周りに集まってくるの

です。感謝する人には、感謝するようなことが起こり、不平不満に生きて

いれば、さらに不平不満を呼ぶようなことが起こるということです。否定的

な結果を信じていれば、否定的な結果が近寄ってきて、肯定的な結果を

信じていれば肯定的な結果が近づいてくるのです。引き寄せの元になる

のは自分自身の考え方、感情ですから、コントロールできるはずですね。

世の中を明るく、温かくする素晴らしいパワーやそれをコントロールする力

が自分の中にあることを自覚して活用しましょう!林覚乗は、1980年から

住職を務める 南蔵院境内に1995年5月、ブロンズ製としては世界最大の

釈迦涅槃像(全長41m、高さ11m)が完成させます。同年6月に、福岡ユニ

バーシアード協賛ジャンボ宝くじで1等、前後賞合わせて1億3000万円に

当選します。また、その10日後にはナンバーくじで560万円を射止め、釈

迦涅槃像のご利益とマスコミで話題になりました。

「もしあなたが、『私は非常に楽に、自然になんでも手に入れていいんだ』

『自分は喜びを感じていていいんだ』と思って生きているのなら、宇宙は

そういうものを与えてくれます」(バシャール ダリル・アンカのチャネリン

グによる言葉)

「勇気とは、人から非難されても、自分が正しいと思うことをやることです」

(林覚乗)

「自分の仕事にどんな思いを込めたいのか、そこが問題です。仕事に損

得を入れるのか、それとも善悪で仕事に打ち込んでいくのか、そこなん

ですね」(林覚乗)


(以下、お時間のあるときにどうぞ 林覚乗住職の講演会でのお話より)

みなさんご旅行にいかれたら、是非とも行ってみて欲しいのですが… 

長崎のグラバー亭から15分ほど、長崎市郊外の時津町で、打坂と言う

バス停があります。このバス停の横に、小さな記念碑とお地蔵さんが

ならんでいます。これは何かといいますと、昭和24年にですね、長崎

自動車の当時木炭バスが37名程の乗客を乗せて、打ち坂を登って

いったそうです。すると、エンジンが途中で止まってしまったそうです。

運転手さんがブレーキを踏んで、エンジンを入れなおそうとしたところ、

ブレーキが利かなかったそうです。そして、今度は補助ブレーキを引っ

張ったら、補助ブレーキも効かなかったそうです。そこで、ギアを前進に

入れて止めようとしたら、ギアも入らなかったそうです。3重の事故が

重なってバスが後ろ向きに暴走し始めたそうです。その時に、当時は、

運転手さんと車掌さんの2人が乗務していたので、男の車掌さんで当時

21歳の鬼塚さんへ、運転手さんが大声で、「鬼塚すぐ飛び降りろ!飛び

降りて、棒でも石でもなんでもいい車止めに放り込んでくれ!」そして、

鬼塚さん飛び降りて、道の近くに落ちていたものを、どんどん車の下に

放り込んだそうです。ところが、その時にはすでに、バスには加速度が

ついていて、止まらなかったそうです。なかの乗客は殆どが、原爆症の

治療の行く、お年寄りとお子さんが多かったそうです。当時は、ガード

レールなどがなく、落ちれば全員が即死状態でした。当時の乗客は、

このように話しておりました。「横が緑の草むらだったのが、一枚の壁に

見えた」と言うほどのスピードで下っていったそうです。そして、断崖

絶壁まで4~5メートルのところでバスが奇跡的に止まったそうです。

この時に、運転手さんが中の乗客を誘導して、近くの草むらに連れて

行って、放心状態の乗客たちを座らせたそうです。しばらくして、それ

ぞれが正気を取り戻し、全員がそろった時に、運転手さんが気がつかれ

たのが、車掌さんの鬼塚さんが、まだ、戻って来てなかったのです。運転

手さんは、「あ~まだあいつは、棒や石を探しているんだな~」と思って、

近くを探したけれども、見つからない。何人かの乗客が一緒になって探し

始めた時に、ビックリしたのは、鬼塚さんが、丸太を抱いたような形で、

バスの後車輪に飛び込んで、自分自身が車止めになっていたそうです。

それで、乗客のみんなでバスを押し、鬼塚さんを引きづり出したそうですが、

その時、すでに、内臓破裂で鬼塚さんは即死だったそうです。乗客の

みなさんは鬼塚さんを見て、「この人は、われわれを救うがために、

この世の中に生をうけた、きっと仏さんか菩薩さんの生まれ変わりじゃ

ないか」とこの人はこういう為にうまれてきたんだと、みんな感激された

そうです。ところが昭和24年頃で、物資が何もない時代なので、どう

しようもなかった。ところが、それから、24年後(昭和48年)、その事が

毎日新聞の記事として載り、それをたまたま、長崎バスの社長が見つ

けて、こんな立派な車掌がいたことを我々役員が忘れてはいかんと

言うことで、その日のうちに、役員会を開かれて、記念碑をたてて、

お地蔵さんをたてたそうです。翌年の昭和49年からいまだに、そこで

鬼塚道男さんの供養祭(命日の9月1日)が続けられています。22歳

でなくなって、何も血のつながりもない、人々の心の中にいまだに、

生き続ける人がおられる。我々は長く生きる事も大切だけど、いかに

生きるかの大切さがそこにあるんだということ、我々は、他人と自分との

役割を比べたり、自分の置かれた立場を他人と比べる必要はないのです。

自分に今与えられた役割に対して、一生懸命それを尽くしているかどうか

ということに、大切さがあるんだということです。