幸運の秘訣 「 毎朝一日の自制の目標を立てて守る 」
(9/28)
おはようございます。
1921年の今日、9月28日に安田財閥(現在の みずほフィナンシャルグループ)の祖、安田善次郎 が亡くなっています。
今日は、実業家、安田財閥創業者
安田善次郎 の一言。
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【今日の一言 2021年9月28日】
「今日一日、腹を立つまじきこと、
今日一日、人の悪しきを言わず、
我が良きをいうまじこと 」
(安田善次郎 1838 - 1921年
実業家、安田財閥の祖)
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人生、寝て起きて寝て起きての繰り返しですが 起きた瞬間にどういう気持ちでいるのかが非常に 大切です。
「あ~だるいなあ、今日も一日が始まっちゃった」 なのか「今日も一日頑張るぞ!」かでは大きな違い が出てきます。
朝起きる時、誰でも気分的にはだるいのです。 多くの人が「もう少し寝ていたい」と思うのです。
朝起きた時の感情、思いは、習慣となり、習慣が 運命を創っていきます。 自然な感情に流されていると運気が下がっていきます。
朝起きた時、今日一日自分をどのように律していくのか、 決意することを習慣にしましょう!
その覚悟の習慣が生き方を左右し、運命を好転させて いくのです。
「独力独行、決して他人を頼らぬこと、一所懸命働くこと。 嘘を言わぬこと。 曲ったことをせぬこと。 正直に世を渡ること」 (安田善次郎)
「生活費、小遣銭などはすべて収入の八割以内とし、二割は 非常の時のために貯蓄すること。意思の弱き人は、何事にも 気の移りやすく、衣服調度のごとき、時々の流行を追い、 外見を飾るをもって能事とす。しかる虚栄の奴隷となる人は、 予算外の出費もかさみ、ついには先祖伝来の家産をも減ずる に至る。いわんや貯蓄をや」(安田善次郎)
「多くの世間でいう災難は 実は真の災難にあらずして、 畢竟平生の予防の心掛けを怠おこたれる為ため自ら招いた 禍わざわいが多い」(安田善次郎)
幸運の秘訣 「 約束は何があっても守る 」
(9/27)
おはようございます。
1945年の今日、9月27日に連合国軍総司令 部(GHQ)の最高司令官ダグラス・マッカーサー 元帥が昭和天皇と会見しています。
今日は、この会見でのやりとりを生涯口外しなかった
昭和天皇の一言。
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【今日の一言 2021年9月27日】
「秘密で話したことですから、
私の口から はいえません」
「どこにもいわないという約束を交わした
ことですから、男子の一言のごときことは、
守らなければならないと思います」
(昭和天皇 1901 - 1989年 第124代天皇)
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「ここだけの話、二人の秘密にするから」と言って おきながら、すぐパラペラ噂話の材料にしたり、 マスコミにリークする人のなんと多いことか…。
それが、人間と言うものかも知れませんが、そういう ところに人としての徳、人としての品格が現れます よね。
1945(昭和20)年の9月27日午前10時1分、 黒塗りの御料車から降り在のアメリカ大使公邸の玄関 に厳しい表情で降り立ったのは昭和天皇です。 マッカーサー元帥に会うための、非公式で、極秘の訪問 でした。
公邸玄関にマッカーサーの姿はなく、軍事秘書ボナー・F・ フェラーズと副官のフォービアン・バワーズ。
二人が一行を館内に招き入れると、次室でマッカーサー 元帥が出迎えて握手を交わし、会見室へ天皇を案内しました。
訪問には藤田尚徳侍従長ら6人が同行しましたが、会見の 部屋に入ったのは昭和天皇とマッカーサー元帥、そして 通訳を務めた外務省の奥村勝蔵・御用掛の3人だけでした。
最初に写真が撮られます。 腰に手を当てて立つ大柄なマッカーサー元帥(65歳)と、 小柄で緊張気味な昭和天皇(44歳)が、二人で並んだ 有名な写真です。 当時、アメリカ本土では、天皇の戦争責任を問うべしとの声が 大勢を占めていました。
マッカーサーは、昭和天皇を確かめて みないわけにはいかなかったのです。 この時、昭和天皇は何をどう話されたのか? マッカーサーが亡くなる3か月に朝日新聞に連載された 「マッカーサー回想記」には次のように記されています。
「天皇の話はこうだった。『私は、戦争を遂行するにあたって 日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に 対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する 連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』 ――大きな感動が私をゆさぶった。死をともなう責任、 それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、 進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。 私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で 最高の紳士であると思った」(『マッカーサー回顧録』)
「私はこれを聞いて興奮の余り陛下にキスしようとした」 ほどマッカーサー元帥は感動したのです。
会見は当初15分の予定でしたが、35分にも及び、会見 終了後、マッカーサーの天皇に対する態度は一変していまし た。
マッカーサー元帥は、予定を変えて、昭和天皇を玄関にまで出て 見送るのです。 マッカーサーの最大の好意の表われでした。
自分の身は捨てる覚悟と、国のこと、国民のことを大切に思う 温かい気持ち、その心の純粋さがマッカーサー元帥の気持ちを 動かし、アメリカを穏便な方向にまとめ、歴史を動かしたのです。 「かつて、戦い破れた国の元首で、このような言葉を述べられた ことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝 申したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が 順調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。
これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬ ことは多い。どうか、よろしくお願い致したい」(藤田尚徳『侍従長 の回想』)とも記録されています。
現代日本は、昭和天皇の純粋にして崇高な思いを礎として成り立っ ていると言っても過言ではないと思います。
政治の世界も、経済の世界も、その他の世界もこんな心のスタンス の人にリーダーになって欲しいと願うところです。
幸運の秘訣 「 自分の良心・信念に従う勇気を持つ 」
(9/24)
おはようございます。
1948年の今日、9月24日に本田技研工業が 設立されています。
今日は、Hondaこと本田技研工業の創業者
本田宗一郎 の一言。
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【今日の一言 2021年9月24日】
「勇気というのは
強いからとか、 勇ましいから勇気がある
というのではない。
たとえ、自分にとってどんなに不利な結果に
なろうとも、自分が真実であり、妥当である
と考えたことを認め、
それに賛成すること こそが勇気である」
(本田宗一郎 1906 - 1991年
本田技研工業の創業者)
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自分が真実と思っても、周りが違う意見だと、つい つい自説を引っ込め、周りに合してしまうことが あります。
周りが間違っていると心の底から思うのなら、簡単 に自分の意見を曲げてはいけません。
謙虚に他人の意見を聞くことは大切ですが、聞いた 上でも、自分の意見の方が世のため人のためになる と思えば、自信を持って主張しなければいけません。 それが勇気です。
「成功とはあなたの仕事のほんの1パーセントに当たる ものだが、それは失敗と呼ばれる99パーセントのもの があって初めて生まれてくるものである」(本田宗一郎)
「失敗が人間を成長させると、私は考えている。失敗の ない人なんて、本当に気の毒に思う」(本田宗一郎)
「人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる 人である。その代わり、他人の気持ちになれる人というのは 自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かす ことはできない」(本田宗一郎)


