幸運の秘訣 「 約束は何があっても守る 」 | mituのブログ

幸運の秘訣 「 約束は何があっても守る 」

(9/27) 

おはようございます。 

1945年の今日、9月27日に連合国軍総司令 部(GHQ)の最高司令官ダグラス・マッカーサー 元帥が昭和天皇と会見しています。 

今日は、この会見でのやりとりを生涯口外しなかった 

昭和天皇の一言。 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 

 【今日の一言 2021年9月27日】 

「秘密で話したことですから、

     私の口から はいえません」 

 「どこにもいわないという約束を交わした 

     ことですから、男子の一言のごときことは、 

     守らなければならないと思います」 

(昭和天皇 1901 - 1989年 第124代天皇)

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 

 

「ここだけの話、二人の秘密にするから」と言って おきながら、すぐパラペラ噂話の材料にしたり、 マスコミにリークする人のなんと多いことか…。 

それが、人間と言うものかも知れませんが、そういう ところに人としての徳、人としての品格が現れます よね。 

1945(昭和20)年の9月27日午前10時1分、 黒塗りの御料車から降り在のアメリカ大使公邸の玄関 に厳しい表情で降り立ったのは昭和天皇です。 マッカーサー元帥に会うための、非公式で、極秘の訪問 でした。 

公邸玄関にマッカーサーの姿はなく、軍事秘書ボナー・F・ フェラーズと副官のフォービアン・バワーズ。 

二人が一行を館内に招き入れると、次室でマッカーサー 元帥が出迎えて握手を交わし、会見室へ天皇を案内しました。 

訪問には藤田尚徳侍従長ら6人が同行しましたが、会見の 部屋に入ったのは昭和天皇とマッカーサー元帥、そして 通訳を務めた外務省の奥村勝蔵・御用掛の3人だけでした。 

最初に写真が撮られます。 腰に手を当てて立つ大柄なマッカーサー元帥(65歳)と、 小柄で緊張気味な昭和天皇(44歳)が、二人で並んだ 有名な写真です。 当時、アメリカ本土では、天皇の戦争責任を問うべしとの声が 大勢を占めていました。

マッカーサーは、昭和天皇を確かめて みないわけにはいかなかったのです。 この時、昭和天皇は何をどう話されたのか? マッカーサーが亡くなる3か月に朝日新聞に連載された 「マッカーサー回想記」には次のように記されています。 

「天皇の話はこうだった。『私は、戦争を遂行するにあたって 日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に 対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する 連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』 ――大きな感動が私をゆさぶった。死をともなう責任、 それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、 進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。 私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で 最高の紳士であると思った」(『マッカーサー回顧録』)

 「私はこれを聞いて興奮の余り陛下にキスしようとした」 ほどマッカーサー元帥は感動したのです。 

会見は当初15分の予定でしたが、35分にも及び、会見 終了後、マッカーサーの天皇に対する態度は一変していまし た。

マッカーサー元帥は、予定を変えて、昭和天皇を玄関にまで出て 見送るのです。 マッカーサーの最大の好意の表われでした。 

自分の身は捨てる覚悟と、国のこと、国民のことを大切に思う 温かい気持ち、その心の純粋さがマッカーサー元帥の気持ちを 動かし、アメリカを穏便な方向にまとめ、歴史を動かしたのです。 「かつて、戦い破れた国の元首で、このような言葉を述べられた ことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝 申したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が 順調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。 

これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬ ことは多い。どうか、よろしくお願い致したい」(藤田尚徳『侍従長 の回想』)とも記録されています。

 現代日本は、昭和天皇の純粋にして崇高な思いを礎として成り立っ ていると言っても過言ではないと思います。 

政治の世界も、経済の世界も、その他の世界もこんな心のスタンス の人にリーダーになって欲しいと願うところです。