誕生日♡
お誕生日の日は午前中から心友Kちゃんから大好きなものが届きびっくり!!そして感激~❤さすがKちゃん、私の好きなものをよく知っています♡慣れない子育て中、忙しい年始に手配してもらい申し訳ない気持ち一杯ですが、その心遣いが何より嬉しくお蔭様で本当に友達の有難さをしみじみ実感しました。Kちゃん、大好きなものを本当にありがとう❤美味しく感謝して、お誕生日当日旦那さんと当日いただいたよ~♡本当に美味しかった~♡すぐ後、大学時代からの心友、Hちゃんからも素敵なメッセージとともにプレゼントが届きました❤
Hちゃんは必ずお誕生日当日に心温まるカード、お手紙と一緒に素敵なプレゼントを贈ってくれます。毎年欠かさず、もうかれこれ24年になります!!あらためてその長さにびっくりしました!!なかなかゆっくり会う時間はないけれど、お誕生日を忘れずに覚えていてくれる友がいることにただただ感謝です。そして、お誕生日から少し遅れて、本日、「メタ・シークレットで素敵な人生を♡」とのメッセージ付きで「図解 ザ・メタシークレット」だ届きました♡
「ザ・シークレット」の進化版、「メタ・シークレット」、少し前に贈って頂き、観始めたのですが、深い真理をついた内容で、何度も繰り返して観たい内容です。早速、じっくり読んで、頭で理解するだけでなく行動、アクション出来るまで刷り込みたいです♡ご興味がある方は是非手にとって観て下さいね♡今回のお誕生日は家族から、友達から、、知人からお祝いの気持ちを沢山届けて頂き、感謝一杯の最高のお誕生日になりました♡愛する皆様、お祝いの気持ちを本当にありがとうございました♡
今日の一言 「 ひとつひとつ 」
おはようございます。
今日も昭和天皇の一言。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
【今日の一言 2013年1月8日】
『雑草という草はない』
(昭和天皇)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
われわれは、ついついわれわれの生活の役に直接立たないもの
や弱いもの、小さなものを軽んじてしまいがちです。
雑草、雑穀、雑魚、雑木、虫…、でも本当は、それぞれに名前
があり、役目かあり、価値があるのですね。
そんなものにも温かい思いをかけれることこそ、小さい命も
大切に守ろうと行動することこそ万物の霊長たる人間の特権
かも知れませんし、魂の成長につながる道かも知れませんね。
そんな昭和天皇ですが、こんなエピソードもあります。
優しいお心から出た発想という点では一緒です。
(ある宴会で、マレーシア大使夫人との通訳をはさんでの会話)
夫人 「宮中にはどんな鳥がいますか?」
陛下 (通訳に対し小声で)
「(鳥の名前を)言ってもいいが、英語で言えるか?」
通訳 「字引持っておりませんし、とてもアレでございます」
陛下 (夫人に対し)「ふつうの鳥です」
本当に自分の都合で勝手に物事の価値をつけてしまう自分がいます。みんなそれぞれに一生懸命生き咲いているのにもかかわらずに。物事を一面からだけ見て決めつけない様に心がけたいです。皆様、本日も二ッコニコな一日をお過ごしくださいね♡
今日の一言 「 強く 」
おはようございます
今年も、いろいろあるかも知れませんが、何が起ころう
とも力強く前進して行こうとの願いを込めて
昭和天皇の一言(御製)。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
【今日の一言 2013年1月7日】
『ふりつもる み雪にたへて 色かへぬ
松ぞ雄々しき 人もかくあれ』
(昭和天皇)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
昭和天皇が敗戦後まもない1946年に国民への祈りを
込めて詠まれた歌です。
その前年には「海の外(と)の 陸(くが)に小島にのこる
民の上 安かれと ただいのるなり」と詠まれています。
歌を作るということは、自分の心を言葉にあらわすことに
よって人に伝えることですが、同時に自らを見つめ省みる
修養でもあるということだそうです。
終戦直後、昭和天皇は、自刃までも考えていました。
それを思いとどまらせたのは、母である貞明皇太后でした。
貞明皇太后は、法華経の信者で、戦死者のお名前を10人ずつ
書きながら、法華経をあげて生涯を送られた方です。
その貞明皇太后が、皇霊殿に昭和天皇をお招きになりました。
皇霊殿は高いので、焼けただれた東京の街や一日千秋の思いで
わが子の復員を待つ年寄りたちの姿も見えるのです。
貞明皇太后は昭和天皇にそれをお見せになり、
「陛下、国民は陛下のご不徳によって、このように苦しんでおり
ます。この国を一日も早う復興しようと召されず、お腹をおめし
になろう(切腹しよう)などとはご卑怯ではありませんか。
退位は絶対になりません!」、「天皇陛下万歳を叫んで死んでいった
護国の英霊の労苦を労いなさい、遺族の労苦を労いなさい、産業
戦士の労苦を労いなさい」と。
これが、昭和天皇の全国ご巡幸につながります。
(以下、時間のある時にどうぞ)
「全国を隈なく歩いて国民を慰め、励まし、また復興のために立ち
上がらせる為の勇気を与えることが自分の責任と思う」(昭和天皇)
1946(昭和21)年2月19日、巡幸の最初のご訪問の地は、
食糧増産に必要な化学肥料の硫安を生産している昭和電工川崎工場
でした。社員は、空襲で70%の設備が破壊された工場の復旧に必死
に努めていました。
一列に並んだ工員たちに、昭和天皇は「生活状態はどうか」、「食べ物
は大丈夫か」「家はあるのか」と聞かれます。
案内していた森社長は、「天皇が身近な質問ばかりされるので、宮中
で安楽な生活をされていたら、こんなことは口だけでは言えまい、と
急に深い親しみを感じた」と感想を述べています。感極まって泣いて
いる工員も多かったそうです。
このとき、米の報道陣は戦勝国の横暴を隠そうともせず、昭和天皇を
小突き回し、引っ張りまわしもみくちゃにして写真を撮りました。
しかし、昭和天皇は嫌な顔ひとつしませんでした。
この姿を見ていた日本人たちは、
「日本の再建のために、国民のために、“耐え難きを耐え、忍び難きを
忍び“を、身をもってお示しされておられるのだ」と感動し、工場
の士気は鼓舞されたといいます。
全国での巡幸中には、反対デモが押し寄せることもありましたが、
「皆様方が私を打擲することによって心が癒えるならば、ご随意
にめされたがいい。でも日本の国を一日も早う復興し、次の子孫へ
この国を送り得てこそ、はじめて護国の英霊に対し、我々が報
いる道ではなかろうか」と逃げることなく対応されます。
天皇に向けて発砲があるという事件もありますが、それでも
全国巡幸は続けられます。
昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られました。
最後の沖縄訪問をひかえた昭和62年、昭和天皇は慢性膵炎で
倒れられます。
「もう、だめか」と昭和天皇は病床で医師たちに問われました。
一瞬、医師たちは、ご自分の命の事かと思いましたが、実は
「沖縄訪問はもうだめか」と問われたのでした。
その思いを陛下はこう詠まれました。
「思わざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果さむ つとめありしを」
全国民を癒し、励ますことを通じて日本を良き国にすることを自分の
天命とし、生涯を尽くされたのです。
この一年も松の強さを見習って寒風にくじけず元気に顔晴りたいです。皆様、今週も強く明るく素敵な1週間をお過ごしくださいね♡

