2016年7月10日(日)晴

 

               広重   大井

 

今回は2泊します。1泊目は恵那のビジネスホテル、2泊目は細久手の大黒屋です。

 

7月10日

朝起きて恵那までは、前回(6月26日)とほぼ同様な時間の経過です。

今回は奮発して「のぞみ1号」で名古屋まで来ました。恵那着が8:42でした。

 

夏の始まりです。快晴で爽やかな日和です。「十三峠」を目指します。

 

西行坂、七本松坂、槇ケ根坂、乱れ坂、お継原坂、かくれ神坂、平六坂、紅坂、

黒すくも坂、西坂、茶屋坂、みつじ坂、観音坂、権現坂、鞍骨坂、吾郎坂、樫の木坂

巡礼水の坂、びやいと坂、曽根松坂、地蔵坂、しゃれこ坂、山之神坂、寺坂、琵琶坂

焼坂、細久手坂、くじあげ坂、諸の木坂、物見峠、謡坂(うとう)、西洞坂、

牛の鼻欠け坂 

名前の付いている坂が三十三箇所も「十三峠」にあります。

 

十三峠の東の登り口です。

夏の日差しと一緒に峠越えをしました。木陰が多く、爽やかな風が吹いていて、助かりました。

 

 

十三峠の始まりは「西行」に関係する遺跡が多くあります。

「西行硯水」、「西行塚」、西行坂」、「西行の森」などです。写真は西行塚にあったものです。

 

「首なし地蔵」なんとも不気味な名前です。日がくれたら、とても、この辺りを歩くのは怖いです。いわれは次の写真にあります。

 

ここには気の利いたベンチがあり、水を飲みながらゆっくりと休憩をとりました。

 

乱れ坂 解説は次の写真にあります。

 

 

紅坂の一里塚です。江戸より89里めです。

 

「ボタン岩」中山道の道の真ん中にあります。たくさんの人がこの岩を踏みしめて

往来したわけです。

 

 

深萱立場跡

深萱立場は大井宿と大鍬宿との中間に位置します。「立場」は休憩所です。恵那のお菓子屋さんで購入した大福、饅頭を食べました。

 

カナダから来た家族づれの皆さんです。パパもママも娘さんもとても元気でした。

「日本、だいすき!」と明るく話してくれました。

サンドイッチがとても美味しそうでした。

 

当初は、深萱からJR武並駅に行く予定でした。深萱から武並まではバスがありますが時刻表を見ると適当な時間のバスはありません。どうしようかと迷いました。

大鍬からの公共の乗り物はありません。

大鍬からJRの駅に出るには「歩く」か、「タクシーに乗る」かのどちらかです。

そして、私たちの「体力」は・・・? 現在13:40、時間はたっぷりあります。

 

「よし!大鍬まで歩こう!」

 

権現山の一里塚です。十三峠には一里塚が十三峠登り口から細久手の「大黒屋」まで、5箇所あります。どの場所も、江戸期の様子を正確に伝えています。

 

 

三十三観音石窟

格子の中に、三十三観音があります。

 

 

 

 

たくさんの坂道を「登り」、「くだり」(印象としては、降った時のことは忘れていて、登ってばかりいたような気がします。)をして、なんとかかんとか「大鍬宿」にたどり着きました。

恵那の街で買ったペットボトルの水は途中の早い段階で飲みつくしてしまいました。

峠に入ると、当然のことですがジュースボックスはありません。

喉が渇き、大鍬のよろず屋さんの店を見つけた時は「ホッ!」しました。ジュースボックスで水を買いガブガブと一気に飲み干しました。

 

担いでいたリュックを置いて休んでいると・・・・。手のひらがパンパンに膨れ上がっています。

「父ちゃん!どうしたのその手!」と、心配しています。

  

  帰宅してから、医者に行き、このことを話しました。

  「重いリュックを背負っていなかったかい?」

  「山ではよくあることなんだよ、心配することはないよ。」

  と言われました。

 

疲れていたせいもあり、気分はいいとは言えませんが、身体的に異常を感じるほどのことはありません。

そんな、こんなで、とても麓のJR釜戸駅まで歩く元気はありません。

「よろずや」さんに頼んで、タクシーを呼んでもらいました。

 

タクシーが到着する頃には手のひらも、元の正常な状態に戻っていました。

タクシー代は1880円でした。

 

釜戸駅ー中央線ー恵那駅〜トコトコ歩いて〜ルートイン恵那

 

大きなお風呂で足を伸ばすことができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年6月27日(月)快晴

夏に始まりの爽やかな夜明けです。

朝、早く恵那駅から中津川駅まで中央線の「下り」の電車に乗って行きました。

同じ駅でも、「上り」(名古屋行き)は通勤、通学の人で混んでいます。

 

恵那駅から見えた「御嶽山」(3067m・2014年9月大噴火)の噴煙が見えます。

 

 

私が尊敬する人の一人「肥田舜太郎」(原爆を体験しt医師:原爆の悲惨さを生涯訴え続けました。今年の3月100歳の天寿を全うし旅立たれました。)さんが、

「僕の祖先は中津川なんだよ」とお話をしていたのが思い出されました。この標識の中に「肥田」という名前がありました。

 

駅を中心に、賑やかな街並みが続きますが、それが途切れたあたりから「中津川宿」が始まります。

落ち着いた宿場の家並みに瓦屋根がとても素敵です。

 

              広重  雨の中津川

広重の「木曽街道六拾九次」の中でも傑作と言われています。恵那山が描かれています。

 

恵那山が晴れた空の下、綺麗に見えます。

 

すると、畑で仕事をしていたお百姓さんが

手を休めて、「おーい!旅の人」と呼びます。「旅の人」と呼ばれたのは初めてです。が、悪い気はしません。

「今日は天気がいいね。このいい天気で旅をしているあなたたちは、本当に運がいいよ。ほら見てごらん!あの山を、この辺から見る恵那山が一番だよ。」と気軽に声をかけてくれます。

 

そして、私たちの街のこと、この地方の様子などなど話が進み、1時間近く話し込んでしまいました。

 

「近いうちに、このあたりはリニア中央新幹線の基地になるんだよ。そうなればこの田舎も様子がすっかり変わると思うが、それまで生きているかどうか、わからないよ。」

素朴な田園地帯も、時代の流れで変わってゆくのかな?と、少し寂しくなりました。

 

6月の下旬、お日様は一年の中で最も高く、夏真っ盛りです。でも、とても爽やかでした。「岡瀬沢永代燈」の前です。

 

寺坂を下ると大井宿です。

 

坂の下に広がる大井宿、恵那の街。

 

駅近くのうなぎ屋「あたりや」に入りました。

 

お腹がすいて、どこかで「昼食」を取ろうとしましたが、中山道には食堂がほとんどありません。恵那駅の近くならどこかで食べることができるだろう?と思いましたが

駅近辺にたどり着いたのが14:00を過ぎています。食堂はありますが、昼食の時間が過ぎていて、ほとんど空いていません。

 

駅近くに裏道に、うなぎ屋さん看板が見えました。おかみさんが一人でお店のテーブルを丁寧に拭いています。

「あのー お昼飯を食べたいのですが・・・。やっていますか?」

 

「ああいいよ、なんでも作るから」と答えてくれます。

 

「それでは、うな重をふたつお願いします。」

 

おかみさんの年恰好は、私たちと同じくらいです。体力がなくてはうなぎをうまく

さばけないと聞きます。大丈夫かな?と思い・・・。

 

「このお店は、おかみさん一人でやっているのですか?」と聞きました。

 

「ハイ!私一人でなんでもこなします。」と答えて、店の奥で、うなぎをさばいています。

 

私的、うなぎのウンチク

「関東、浦和」ではうなぎを「背中」からさばきます。炭火で炙って「白焼き」にします。それを、蒸し器に入れて蒸します。蒸したうなぎをたれをつけながら焼きます。

 

「関西」では、うなぎは「腹」からさきます。蒸すことはしません。

 

結果、関西の「うな丼・重」の値段は安いです。

 

うなぎ屋で、早く出てくるところのうなぎはダメです。したがって、「早く出てこないかな?」なんて思っている時はうなぎ屋に入ってはいけません。

 

時間をかけて「うな重」が出来上がるのを待ちました。おかげ様で、おかみさんといろいろなことをお話しする事が出来ました。

 

ご主人が逝かれて、5年になること、それからご主人の思い出を噛み締めながらお店を続けていることなどなど・・・・。

「やっぱり、夫婦二人が仲が良いのが一番だよ!」との言葉が印象に残りました。

 

「元気で、お店を続けてください。」

 

「あなた達が、無事、京都につけることを祈っているよ!」と言いながら、目に涙をためています。

 

お互いに励ましあって別れました。

 

恵那ー名古屋ー東京ー浦和ー北浦和 家に着いたのは21:00を過ぎていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年6月26日(日)曇り、のち晴

 

当初6月22日(水)、23日(木)、24日(金)に行き予定でした。でも、どうも天気が悪そうです。21日の午後にホテルに連絡して、26日に変更をしてもらいました。「須原ー南木曽」の雨の印象が「トラウマ」となっているため、青空とは言わなくても、今度はせめて雨を避けて歩きたいと思っていました。

 

 4:10=目覚まし時計で起こされる。

 5:05=家を出発

 5:23=北浦和駅を出発

 6:04=東京駅着 朝食の駅弁を買う

 6:26=東京駅発 ひかり501号 ジパングでは「のぞみ」の割引はありません。

新幹線の窓から富士山が見えます。今日の天気は良いのかもしれないと嬉しくなる。

 

 8:17=名古屋駅着

 8:28=名古屋駅発・中央線 特急しなの81号に乗る

 9:24=中津川駅着

 9:40=中津川駅発・馬籠行きのバスに乗る

10:05=馬籠宿に到着

 

今回はシテイ・ホテルに泊まることにしました。予算的にも良いし、何よりも「夕ご飯」を自分のペースで選べます。

「アスティかたおか」、「つたや」、「ホテル木曽路」と止まり歩きました。どの宿泊地もサービスなどとてもいき届いていて快適でした。食事も美味しく本当に満足しました。

でも、遁逃に欲張りな要求ですが・・・。どこでも食事の量が多すぎます。「がっつき」な私たちは

 

家から馬籠まで、5時間ぐらいかかったわけです。でも、電車の中でしっかりと休養が取れ、元気に中山道トコトコ歩きを始めました。

馬籠宿は坂の中にあります。写真はバス停から北を写しています。藤村記念館、本陣跡は坂の上にあります。

 

坂を下り、馬籠宿を後にしました。

 

馬籠宿を出ると、中山道は「登ったり」、「下ったり」で平坦な道はありません。

 

宿場を離れたところに、藤村の父、島崎正樹の記念碑がありました。

碑には正樹翁の功績が刻まれています。

正樹は維新後、木曽谷三十三ケ村の総代になり、木曽山林の解放に奔走したことなどが刻まれています。

 

「是より北 木曽路  藤村老人」と書かれた石碑があります。

1940年(昭和15年)藤村68歳の時に建てられたもので、藤村自身が書いたものを刻みました。

 

新茶屋の一里塚 この茶屋はわらび餅が名物でした。日本橋から83里目の一里塚です。西塚には「国境」標石があります。

2005年に馬籠が岐阜県中津川市になるまでは、ここが県境でした。

ここより北が信濃の国(長野県)、ここより南が美濃の国(岐阜県)であったのです。

 

十曲峠(じゅっこく峠)の曲がり道と「落合の石畳」江戸時代尾張藩が作りました。

 

なんじゃもんじゃの社碑。花は咲き終わっていました。「なんじゃもんじゃの木」名前が素敵じゃありませんか?」

 

落合川に架かる落合川です。

 

        広重 落合宿

落合橋に行列が通る風景を描いています。右上は落合宿です。行列は落合橋を渡り「十曲峠」を越え、馬籠方面に進みます。

 

善昌寺の門冠の松です。(樹齢450年)

 

 

この大釜は今もお祭りなどで活躍しています。

落合宿場まつりの時には「千人きのこ汁」を作り、多くの人に振舞っています。

お客を手厚く歓迎するのが、落合の気風になっていると地元の人が話してくれました。

 

なんとものどかな碑石です。

「♪めだかのっ学校は川の中・・・」ここで一休み、馬籠宿のおみやげ屋さんで買った「あんこ玉」を口に入れます。疲れが取れます。

 

 

 

中津川塾の入り口の「茶屋坂の高札場」です。

日曜日でしたが坂上にある「中津高校」の文化祭で、生徒の皆さんが賑やかにお話をしながら通り過ぎます。若い人たちの明るい笑い声はそれに接するだけで、私たちも元気になります。  

 

中津川の街に入ります。

 

 

和菓子「すや」の店の中で、古い調度品が並んでいます。「あんこ好き」のカミさんはこのようなお店(老舗のお菓子屋)があると、必ず立ち寄ります。

お客が混んでいる一歩手前ですが、わずかしか買わない私たちに親切に接してくれました。

 

ここを右(西)の曲がると駅はあとわずかです。

 

中央線の乗り、隣の恵那駅で降りて今日の宿屋である「シテイホテルミチ」(16:15=到着)へ行きました。

 

雲はなく、いつの間にか「晴天」」になっています。夕日がまぶしく、恵那の街を散策しました。恵那駅、恵那市役所などはありますが「恵那宿」はありません。

ここの宿場は「大井宿」なのです。どちらが先に名前がついたのか?大きな疑問を抱えながら街を散策しました。

 

恵那地方(恵那市)の中の大井宿(大井町)というように考えると良いのかな?

 

街を歩いていると、お餅を焼くとても良い香りが漂っています。どこで焼いているのだろうと?とたどっていくと・・・。裏通りに「五平餅」を焼く、「あまからや」にたどり着きました。

「五平餅定食」などがあり、今晩の夕食といたしました。

クルミが入った甘辛いお味噌をこってりとお餅につけて焼いています。香りも、お餅も、とても美味しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年6月10日(金) 晴

妻籠から馬籠峠までズーッと、ズーッと登りでした。峠道なのであたりまえですが。

峠越えを目指すのであれば、「妻籠→馬籠」より、「馬籠→妻籠」の方が楽なようです。

ここはたくさんの人が歩いていますが、私たちの出逢ったほとんどの人が外国の人でした。

外国語(英語)が話せない私たちですが、なんとなくコミュニケーションはとれて、意思は伝わっているように思えました。古い宿場町の建物などの様子から、この辺りは「日本の原点」と思う外国の人が多いようです。

「日本に来てよかった。ここに来られてよかった。」

と言ってくれます。そんな表情を感じ取ると、私たちも嬉しくなります。

              英泉  馬籠峠

 

峠→馬籠は道路が整備されていて歩きやすいです。

 

馬籠から峠を目指している真っ赤な顔をしたヨーロッパ系の女の子にすれ違います。

そんな様子を見て「頑張りな!頂上はもう直ぐだよ!」と日本語で声をかけます。

にこにこと笑いながら、「✖️、○、△、□、◉。」わからない言葉が返事が返って来ます。でも、なんとなく通じ合う。

万有引力に逆らわないで歩くのは快適です。

 

峠を下りて、馬籠宿を見渡せる広場がありました。恵那山が見渡せます。

馬籠上陣馬跡です。

 

宿場の入り口の「高札場」を復元したものです。次の写真の右側にある建物です。

 

 

お蕎麦屋さんです。お昼の閉店時間ギリギリに入りました。お店はとても混んでいましたが、私たちが食べ終わる頃は私たちだけです。お店のご主人とおろいろなお話をいたしました。

 

馬籠は2005年に「長野県木曽郡」→「岐阜県中津川市」になったのです。

 

県が変わることは大変、大きな、大きな出来事です。昔だったらそれこそ合戦をし、

負けた方のお殿様は切腹をする。そんな出来事であったと思うのです。

 

でも平成の時代、いろいろなことがありましたが、話は冷静に進んだとのこです。

県が変わって16年過ぎた今、そのことを当たり前のことのように受け入れているとのことです。

「私たちが『外に出かける』ということは、中津川方面へ行くのです。妻籠、南木曽の方へはあまり行きません。」とのことです。

「今日は天気が良いから、馬籠宿をしっかり見ていってください。」と明るい声をいただき、外へ出ました。

 

あくまでも馬籠は「木曽路」です。でも問い詰めれば美濃の国を歩いているわけで、正確には「美濃路」になるのかな?

 

馬籠は坂の中にできた宿場です。坂道に古い建物があり、素敵な雰囲気です。

 

馬籠峠を越えた時に「たけのこ」が道端に生えています。踏まれて壊れるより(?)私がそれをとって家に帰り料理した方がたけのこのためには良いことだと勝手に思い込み何本かリュックの中に入れました。でも、宿場の休憩所に「ひとかたまりのたけのこ」が200円で売っています。

家に帰ってから苦労して手に入れたたけのこは本当に美味しかったです。

 

馬籠では「島崎藤村」を外しては語ることができません。

若い頃「破戒」「夜明け前」「千曲川旅情の歌」などなど私にとって、とても大きく影響を受けました。

「朝ドラ」で みね子 たちが歌っていた「椰子の実」も藤村ですね。

 

 家に帰り本棚に「藤村作品集」を見つけて、読んでみました。

 本当に残念ながら読み進むことができません。

 ・字が小さ過ぎ眼鏡越しでは頭に入りません。

 ・7行ぐらいで眠くなります。

 これではいけないと思い、トルストイの「戦争と平和」を読んでみました。

 藤村の時と同じで、ページが進みません。

 

 「映像」に慣れてしまい、「活字」から離れてい待っているというだけでは片付けられないと思いつつ・・・。本当に本当に情けないことです。

そういえば、最近、新聞も丁寧に読んでいないなー・・・。

 

 

馬籠宿〜バス(バスで馬籠峠を通過する)〜妻籠宿 駐車場に停めた車に乗って家に帰る。

 

晴ー雨ー晴 めまぐるしく天気の変わった3日間でした。たくさんのたくさんのことを経験しました。何はともあれ「達成感」を感じました。

 

 

2016年6月10日(金)晴

5:30起床早く起きて大浴場へ行きます。

「ホテル木曽路」の自慢の一つがお風呂です。広くて岩の配置が素敵で露天風呂は快適です。生まれたての朝日と一緒にお風呂に入るのは最高にいい気分です。

 

朝食はバイキングです。

美味しそうなものがたくさん並んでいます。取りすぎないように気をつけながらお皿に少しづつのせていくのですが・・・、気がつくと、いつの間にかお皿はいっぱいになっています。(これは人間の「サガ」です。)

それを残すのはもったいないし、失礼だと思ってしまい、なんとか食べきってしまいます。「これでもかー」と詰め込まれたお腹はパンパンになってしまいます。

 

田んぼに水が入り、白い雲と青い空が映り、清々しい朝です。

 

妻籠宿には駐車場がいっぱいあります。それだけ遠くからたくさんのお客さんを集めているということです。その広い駐車場も朝早く空いています。木陰で日差しが当たらないところに車を置いて「いざ!中山道 妻籠宿へ!」

 

                            広重    妻籠

 

何年か前、妻籠宿を歩いたことがあります。お盆の休暇でたくさんの人がいました。

その人をよけて歩くのが大変でした。

「妻籠」は中山道で「奈良井」、「馬籠」、と1、2を競う繁盛している宿場です。

「妻籠〜馬籠峠〜馬籠」は「中山道ゴールデンルート」です。

そのゴールーデンルートを青空と一緒に歩くのですから、私たちは本当に幸せです。

 

 

宿場の朝の景色です。

 

いつもは賑やかな宿場ですが、朝早く人影もありません。

 

近くに宿泊をした外国の方がゆっくりと散歩していました。

 

宿場はこの日の朝の準備で、忙しそうでした。

 

本陣です。

 

 

私たちが到着した時は、宿場のお店はまだ開かれていず、開店の準備をしています。

それでも私たちがお店に寄ると準備の手を休めて、親切に応対していただきました。

 

馬籠峠=きつかった!

6月10日。晴天ですが季節は完全に「夏」です。紫外線はきつく肌にさします。峠の入り口のスギ木立ち(ヒノキかな?)涼しく、これはいい状況だと当初は気分も上々でした。

私たちと同じように峠を目指す人たちに会いました。そのほとんどの人が外国の人です。日本の方と会ったのは1組でした。

山道で、人と会うと「こんにちは」と挨拶を交わします。でもこの時は

「How do you do?」です。

 

 

 

木曽の五木=檜(ひのき)、椹(さわら)、明檜(あすひ)、高野槙(こうやまき)

      鼠子(ねずこ)

「ヒノキ 一本 首一つ」伐採は固く禁じられていた。

 

かなりきつい登りです。

「一石栃立場茶屋跡」に着く頃はヘトヘトです。囲炉裏で木を燃やし、お茶をふるまっています。ここによって「飴玉」をいただきました。疲れている時で本当に美味しかったです。

昨年1年間で42800人の人がここを通過しました。

 

馬籠峠の頂上です。頂上にはバス通りがあり、「苦労して登ってきたのに」と拍子抜けしました。

でも、ここが長野県と岐阜県の県境です。

行政的には、「木曽路」が終わり、「美濃路」が始まるのですが、「島崎藤村」の馬籠までが一般的には「木曽路」と呼ばれています。

これはついこの間決まったことです。

小泉内閣の「平成の大改革」の時に「馬籠」が岐阜県になったのです。そして宿場の人達もそれを受け入れているようです。

 

「馬籠宿」については最終章②で書きたいと思います。