震度6強が我が家に残した爪痕。

庭へ通じる通路。地割れ。
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地割れアップ。

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駐車場から庭に上がるところ。↑の地割れの最終形として、コンクリート破損。
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反対側の庭への通路。に上がるところ。
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玄関ドアへの階段。と駐車場の境目破損。
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階段と駐車場の間にできた隙間。
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玄関入ってすぐの壁。中のモルタルボードにも亀裂。本震の時は壁紙だけだったのに。

てゆーか、青いシール貼ってあるところ、本震の後工務店さんが見に来てくれて、付けていった破損箇所の印。

あのシールのところちょろっとだけだったのに。こんなのが家中あっちにもこっちにも。

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ピアノの部屋。地震が来るまで私はこの本棚の足元で探し物をしていました。揺れを感じてそっこー廊下へ。間一髪。

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同じくピアノの部屋。下にある茶色の戸、この窓の横の棚の扉です。ダイブ。

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ピアノの上に飾ってあった絵。画家でもあった今は亡きフルートの最初の師匠の作品。ななめから撮ったわけでなく、真正面から撮影。落ちる寸前。無事で良かった。
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2階自室前。この箪笥が倒れ・・・
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この通路、というか踊り場をふさいだ。自室にいたら逃げ遅れ。
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箪笥が壁に開けた穴。
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自室。クローゼットのもの全て飛び出す。
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エアコンのふた、取れかけ。
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ベッドが揺さぶられて壁に開けた穴。
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クローゼットの稼働棚、また外れた。せっかくはめたのに・・・。中身が落ち、棚が外れ、結果3つ前の写真。
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庭の地割れ。
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右側に玄関がある。玄関のたたきのところにちょろっとした納戸があるが、その納戸の扉。地震の揺れがピークの時、私は玄関を開けようと思って母に止められ、そのまま動けなくなって、というか体を持っていかれないように玄関扉の取っ手にしがみついていた。真横でこの扉が外れ、倒れてきた。頭に当たってたら救急車。ってくらい、実は重かった。
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この黒い弁当箱みたいのと茶色い革鞄みたいの、祖父が兄に買ってくれた双眼鏡(海軍仕様)だそう。

これ、私がいた玄関の天袋からダイブ。そんな高いところに重たいものなんて入ってないだろう、入ってても靴の空箱くらいだろう、アタマに当たっても大したことない、なんて思っていたが、これ頭に当たったらやっぱり救急車だったと思う。

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黒いケースの中身はこれです。やっぱり当たらなくて良かった・・・。
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我が家はまだ築4年です。

築4年で、ボールが転がる波打った床になりました。

私は今回本当に、間一髪。命拾い。

揺れてる間は体投げ出されないように必死に掴まっていたんだけど、納戸の扉にしろ、双眼鏡にしろ、倒れてくるのも落ちてくるのもなぜかスローモーチョンに見え、よけれた。

奇跡だと思ってます。

ケガもなく無事だった命と、強運に感謝してます。


でもちょっと、心が折れた。

震度6強を余震と言われた。
同規模の余震がまた来るかもとも言われた。
ウチは宮城野区で、本震の時よりもこないだの余震の時のが被害が大きくて、築4年くらいなのに家が壊れてボールが転がる家になっちゃって、私は危うく救急車脳外科行きになるところで、ウチの家族はその日ほぼ徹夜だったのに、次の朝世の中はもう普通になってて、宮城野区を出たらもっと普通で、腹が立った。
メディアは全然取り上げてくれない。
なんで?被害エリアがせまかったから?
それとも揺れて建物や道路が壊れたくらいじゃ話題性低いから?
ウチの周りは余震のせいで町がおかしくなってる。
せっかく開いたお店もまた閉まった。
電車もまた止まった。
また夜眠れなくなった。
余震を受けてからの方が、精神的にキツイ。
全然前向きになれない。
エネルギーが湧かない。
もうやだ。
もう勘弁して。

という弱音も、吐きどころなくて。辛い。


iPhoneからの投稿
4月7日(木) 23:32 宮城野区震度6強の余震。


で、その爪痕。
撮影日4月9日(土)。


七北田川土手。
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いとうや前交差点。信号停電。そして渋滞。

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七北田川堤防。コンクリート損壊、川に滑り落ちる。

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岩切COOP&しまむら前。平らな歩道だったのに、手前陥没。30cmくらいかな。

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その向かいのほっともっと。ちょっと見づらいけど電線垂れ下がる。

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その並び。傾く電柱。

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岩切七十七銀行前。地割れ。

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同じく銀行前辺り。隆起したマンホール。

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マンホール、地面の高さから撮ってみた。
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浮き上がったファミリーマート敷地。わかります?この段差。

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隆起したマンホール通り。転々と見えるオレンジの柵は全てきのこのようになったマンホール。

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うねって段差になったまま固まった歩道。
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こんな地割れはあちらこちらに。

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いとうや前地割れ。

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土手沿い住宅地。地割れにより歩道と車道にできた隙間&段差。

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言葉より写真のほうが伝わるかと。

震度6強もあったのに「余震」の一言であっさり片付けられ、たしかに映像的にも話題的にも派手でない「余震」は大して取り上げられなかったけど。

うちの周りは本震よりもこっちの方が被害が大きかった。

私の愛する地元は、本震で揺られてなんとかギリギリ持ちこたえていたところが、持ちこたえられなってたくさん壊れました。


まだこれ序の口。


つづく。

随分時間が経ってしまったけれど、なんとか忘れないうちに記しておこうと思う。

地震が発生してからの記憶と記録。


3月11日金曜日 午後14時30頃 だったと思う


この日は成績入力の締切日だった。

9日に試験が終わったばかりなのに11日の12時完了って・・・。殺す気か!!と腹を立てながら仕事。

採点と成績計算が終わらず、前日も睡眠時間は2時間半くらい。

それでも終わらず、しかも会議なんか入ったくらいにして結局間に合わず、怒られる。

疲れと苛立ちと募る職場への不信感と、とにかくネガティブな感情をたくさん抱えて、職員室で堪えることのできない涙を必死にティッシュで押さえながらひたすら成績付け。

ようやく終えて報告して謝って、悔しくて、同僚が誘ってくれたランチも相手の顔も見ずにつっけんどんに断って、2回の女子教員用更衣室で机につっぷしながら1人で泣いていた。


泣いていたら、揺れの大きい地震が来て、携帯の緊急地震速報が鳴った。


2日前にも震度5の地震が来て、ああ、この前と同じくらいだなあ、なんだか続くなあなんて思って、でも今の私には地震なんてどうでもいい、とかなんとか思っていたけど、揺れが収まらず、周りのいろんなものが落ち始めたりして、これはちょっとまずいかも、と思って机にもぐった。

もぐったあたりでもう1回携帯のサイレンが鳴って「宮城県沖」って表示が出た。

これはもしかして、と思ったら、一気に揺れが強くなって、食器棚から茶碗が落ち、姿見が倒れ、テレビが落ちた。

体が投げ出されそうな揺れ。

2年半前に修学旅行で行った、神戸の「人と未来防災センター」で体験した震度7の揺れと同じ。

四つんばいでもぐっていたのに、耐えられなくて、机の脚にしがみついた。


校内放送が入った。



ピンポンパンポーン。


「避難してください。」


ピンポンパンポーン。



ええっ!それだけ!?

避難訓練とちがうやんけ!

まだ揺れてるのに、避難・・・て、そういえばこの部屋のドア開くのか?


と思ってとりあえずドア開けなきゃ、と思ったら、ドアの向こうで生徒の声がした。

すぐそこは階段。

まずい!

生徒がパニックになっている!

階段転げ落ちちゃう!

と思って、慌てて部屋を飛び出した。


飛び出したら、防火扉が全部閉まってた。


死ぬかも。


一番最初に思ったのがそれだった。

どうしよう。閉じ込められた。

どうしよう。どうしよう。

火の手が上がったらまず助からないな。


防火扉の向こうで聴こえる生徒の声。

我に返ってよく見たら、防火扉には人が通る扉が付いていた。

でも、防火扉の仕組みなんてわかんないよ。

開くのか!?この扉。

取っ手を捻ったら開いた。

ああ、良かった。

と、今まで生きてきてこの時ほど思ったことはない。


脱出。

とりあえず校庭へ。


「死ぬかも」と思ったところから脱出まで、多分5秒くらい。

5秒のうちにこれだけのことを考えた。


不幸中の幸い、2日前に試験が終わって、生徒は自宅学習期間に入っていた。

来ているのはほぼ、部活の生徒。

生徒も慌てて、裸足で飛び出してきた子もいた。

とりあえず昇降口まで戻ってスリッパを持ってきて履かせる。

その間、リーダー格の生徒に部活の人数の確認をさせる。

通常の授業時なら、担任が自分のクラスを確認するが、この日に限って顧問が出かけていたりして、そもそも今日部活の練習に何人来ているのか、今ここに何人いなきゃいけないのか、把握に時間がかかる。


余震が続く。


とりあえず校内にいた生徒の無事が確認できたので、家に電話。

つながらない。

父の携帯に電話。

つながらない。

母の携帯に電話。

つながらない。

兄の携帯に・・・ああ、番号分からない。

仲が良くないとダメだな、と、こないだ父が具合悪くした時も思ったのに。


そうだ、『171』だ。

かけるけど、うまく録音できない。

なんだかんだで大分動揺していたようで、手の震えも止まらないし、何回やってもなぜかうまくできない。

あきらめた。

多分、大丈夫だろう。

と、腹を括って、というより、正直家族のことは二の次だった。

別にかっこつけてるわけじゃなくて、学校の教員ていうのは、学校で働いているうちに、自然とそういう風に作られていくんだなあ、と、動揺しながらもどこか冷静に考えている自分がいたりした。


さて。

問題なのはここから。

ここからなんだけど、長くなったので、その2に続く。







4月5日水曜日


『Waiting bar 銀杏坂』に行った。

ここは、私がまだぴちぴちの非常勤講師だった頃、酒好きの先輩先生に教えていただいたお店です。

仙台のNHKの隣にある、こじんまりとしたバーです。

音楽好きの粋なマスターが1人でやっています。

カウンターの中に、グランドピアノがあります。

このお店の最大の魅力は、日替わり生演奏です。


こういうお店↓

http://homepage3.nifty.com/~nori-san/Ichouzaka/Ichouzaka.html


私はその若かりし頃、何度かここでフルートを吹かせてもらっていた。

でも常勤講師になって部活を持ったり、その後専任教諭に上がったりして忙しくなり、外でお酒を飲む気力もなかなか湧かなくなったりして足が遠のいてしまってた。


3月の初め、このお店を教えてくれた先輩先生に「マスターが『平野さんどうしてる?』って言ってたよ。今度行くベー。」と言われ、行こう行こうという話になっていた。

その約一週間後、地震が来た。

震災に遭ってしまったので、もちろんそれどころではなく、私自身が「音楽なんて役に立たない」と思ってしまったりして、そんな会話のこともすっかり忘れていた。


しばらくは「生活していくこと」しか考えてなくて、でも少しずつ仙台の街中が元気を取り戻してきて、私も街に行くようになったりして、何度か銀杏坂の前を通ったりした。

そのうちに「長い目で見たら、私にも音楽を通してやれることがあるかも」という気持ちになってきて、でもどう形にしたらいいか分からなくて、ふと「銀杏坂だったらとりあえずなんかやれるかも」と思った。


で、HP見たらこんな感じだったので(上のHP参照)、昨日、ふと思い立って行ってみた。


行くのは6~7年ぶり。

マスターは私の顔はもう忘れてしまっているだろうな、と思いながらお店に入った。

「どっかで見た顔だな~」とか言われながら、名乗ったらすぐに思い出してくれた。

お店にはお客さんが1人いた。

昨日はマスターの顔を見に行くだけのつもりだったんだけど、なんだか3人で話が弾んで、マスターに紅茶を1杯ごちそうになった。


震災のこと、ボランティアに行った岩沼のこと、閖上のこと、仙台の街中のこと、音楽のこと、いろいろ話した。

仙台の街中は一見元気に見えるけど、稼働率はまだ5割程度で、全然復興してない、とマスターは言ってた。

夜なんて真っ暗で人もいなくて、ここもお客さん来ない時は早く閉めるんだ。

そして、名物だった生演奏も、やっぱり演奏者がなかなか音楽に気持ちが向かなくて、震災以来生演奏は一度もやっていない。

でも、元気でいられる人は、元気に、酒でも飲んで明るくなればいいじゃない、音楽があればなおいいじゃない、と俺は思う。

と言ってた。


だから、この店でなんかやりなよ。

と、言ってくれた。


そう。私も背中を押してもらいに行ったってことなんだね。

だから、やることにした。

でも、まだノープラン。

一応考えてることとして、コンサートとかライブとかそういう仰々しいものじゃなくて、街に行ったら銀杏坂で音楽やってて、せっかくだから酒でも飲んでいこうかな、という気になりましたー、的な、気楽な形でやれたら、今の私の理想には一番近いかな、と思う。

この辺り、マスターと一致。


そこで、私の貴重な音楽仲間のみなさんへ。

音楽で街を元気に、なんて大それたことやきれいごとは言いたくない。

でも、音楽の持つ力も、人知を超えていると思うんです。

だからその力を信じて、私たち自身もその力に助けられながら、何かを発信していきませんか。

生演奏だから、いいんです。

できることで、いいんです。

そんな主旨に賛同していただける方、是非力を貸してください。

小さな始まりでも、それが大きな輪になったら、何かができるかもしれない。

繋がっていけるかもしれない。

そんな思いを、持ち続けたいと思う。

そんなわけで、このブログをたくさんの人が見てくれるといいなあと思う。

そして、興味がある人は是非コメントかメッセージをください。

私と直接知り合いじゃなくてもいいです。

偶然見た宮城、及び近隣のプレーヤーの方、是非、力を貸してください。