4月2日土曜日

岩沼ボランティア2日目。
この日も肉体労働を希望する予定だった。
のだが、土曜日ということもあり、昨日と打って変わって大人の男性が多い(昨日は学生が多かった。登録名簿の生年月日の欄がほぼ「平成」で焦った)。
この日は10件の家屋片付けの依頼が来ていたそうだが、仕事の中心は泥かき(津波と一緒に流されてきた海泥をかきだす作業)で、男手が必要とのことだった。
というわけで、私たちはその男手チームが作業から帰ってきた後の資材(一輪車とかスコップとか)を洗う仕事に回った。

戻ってきた一輪車をトラックの荷台から下ろしたりしたけど、泥が付いて重たくなってた。
まだ全然乾かない泥は、重い。
そして、臭い。牛糞のにおい。
そうだ、海の土って確かこういうにおいだ。
これが家の中にびっしりあることが問題。
海泥の中にはたくさんの微生物がいて、これが畳の上に積もってたりすると畳が発酵しちゃって、ただでさえ水を含んで重たい畳がより一層重たくなるんだそうだ。
そして、泥が固まると作業がよりハードになってしまうので、乾かないうちが勝負なんだって。

というわけで、被災地のボランティアセンターではこの泥かきボランティアを求めています。
若者のみなさん、是非行ってください。

午後はボランティアさんの人手が余ってしまっていた。
「何かやることないですか?」と社会福祉協議会の方に聞いたら、「ビッグアリーナで救援物資の仕分け作業をやっているんだけど、人手が足りなくて困っているらしい。今また荷物が入るから、その運び込みを手伝ってほしい。」とのことだったので、行ってみた。
ビッグアリーナと呼ばれる岩沼市の広い体育館の中には、救援物資がたくさんあった。
私たちが着いた時は、大量のサランラップが運び込まれているところだった。
サランラップも束になって箱に入ると結構重い。

その後、衣類の仕分けの仕事をした。
まず古着と新品に分け、古着は大人と子どもに分類、さらにそれぞれ男女別に分ける。
新品はさらにそこからサイズ別、種類別(「上着」とか「下着」とか「ズボン」とか)に分ける。
体育館の真ん中にでーんと積み上げられた大量のダンボール。
終わる気がしない、と思ったけど、千里の道も一歩から。
やり始めればいつか終わるのだ。
てわけで、片っ端から箱を開け、中身を出し、分類。
そのほとんどは個人で送ってきたものだ。
本部の方曰く、もう物流が回復してきているので、今は新品しか需要がない。とのこと。
だけど、開けても開けても古着ばかり。
気持ちは分かる。
全国からみんな好意で、避難所は寒かろう、家がなくなってしまって着替えにも困っているだろうと、たくさん送ってくれているんだ。
でも、ふと頭をよぎったテレビや新聞での呼びかけ。
「物資を送る際は各避難所に問い合わせてください。」
そうなのだ。
好意で送ってもらっても、それが被災者のニーズに合わなければ支援にならないのが現実。
言い方悪いけど、そうなってしまうとそれは好意の押し売りでしかない。
だって、使わないものはお金をかけて処分しなければいけなくなってしまうもの。

そのお金、違うところに、生き金として廻すことができるはずなんだよ。

だから、それが本当に必要とされているかどうか、ボランティア精神に嘘がないなら、どうか一手間かけて調べて欲しい。
せっかく好意で送ってくれたものが、被災地で「迷惑」なんて思われたらあまりも悲しいじゃない。
そして、そう思われてしまう1つの理由として、こういうこともある。
古着なのはともかく、シミだらけのもの、クタクタのヨレヨレになるまで着古されてもう誰も着ないだろっていうような服、最悪なのは畳まれてすらいない服や、悪意あるよね?と思わず腹が立っちゃうようなオーガンジーのパーティドレス・・・。
なんか、廃品回収と勘違いしてない?確かに送料かけてくれてるけど、ボランティアという言葉を隠れ蓑にして、不用品処理に使ってない?
ていうもの、残念ながら結構あった。
被災地でも、もうそこまで困ってません。
自分が送ったものがどうなるのか、是非シミュレーションしてみてください。

実際、仕分けが終わってみると、新品は十数箱程度で、古着は数えられないくらい、軽く新品の3~4倍はありました。
その古着、あとはもうよっぽどのことがなければ処分なんです。
もったいないよね。
もったいないんです。

だからどうかその好意、どうかどうか本当の好意でありますように。

閖上に行った。
何にも無くなってた。
瓦礫と泥と溜まった海水の中に、中学校だけぽつんと建ってた。
自衛隊がいた。
消防がいた。
警察がいた。
行方不明者の捜索が行われていることの証だ。
どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも見渡す限り、あるのは瓦礫と潰れた車とひっくり返った船と泥と田んぼに溜まった海水だけで、こんな広大なエリアのどこからどう探すのか、と思った。
全国から来てくれてる自衛隊や消防や警察が、泥の中に入って行った。
きっとこうやって、瓦礫の中や車の中を、隈なく見てくれているんだろう。

閖上は、中学校訪問で私がしばしば担当したエリアだ。
私は海が好きで、中学校訪問の帰りには必ず港に寄った。
河口のとこの橋を通って港に行って、少し戻って河口付近の川沿いの土手でボーッとするのがお決まりのパターンだった。
住宅地と古い商店街と漁港の町だったはずなんだ。
影も形もなかった。
いつも時間つぶしに寄っていたローソンはめちゃくちゃになっていて、流されてきたワゴン車が突っ込んでいた。
ここに町があったなんて、初めて来た人はきっと信じない。

元の姿を知っている土地に行けば、少しは痛みが解るのではないかと思ってた。
甘かった。
知っている場所なのに、それでも私には何が起きたのか、何でこうなったのか、何で?何があったの?という気持ちだけが湧いた。
自分の目で見てるのに、テレビや新聞を見てるみたいだった。

自分の感情も含めて、これが現実なのだと思い知った。
どんなに気持ちを寄せたいと努力したところで、そこに住んでいて、津波の恐怖を見た人の気持ちには、絶対になれない。
1mmも、交わることは不可能だ。
結果的に、それを確認しに行ったようなものだ。

仙台に戻る道を見ながら、思った。
ここは天国なのだ。 私たちは天国に身を置いているんだ。

仙台の様子を見て、そろそろ演奏ボランティアがやれると思ってた。
そういう風に思ったことが間違いな気がした。

人間の意識の到底及ばぬことが、すぐ隣で起こっていた。

たくさんのプロの手と、重機と、それを動かすエネルギーと、時間と、何よりも必要なのはお金だ、と思った。

というか、それだけは私にも十分すぎるほどわかった。

たくさんの政治家に、こういう現状を見て欲しい。

ばら撒き手当ての前に、やらなきゃいけないことがあるんだってわかって欲しい。

私にはお金も力もちょっとしかないから、こうやって細々と発信するしかできないけど。

自分の頭の中にしまってるよりは、1円でも1ドルでも多くの義援金が集まるかもしれない。

一縷の望みを託して。

そして自分は無力だと諦めないために。

私も私でできることを探す。


以上。

なるべく冷静に書いたつもり。

4月1日金曜日 午後


午前中の仕事で体は結構疲れていたけど、若さと体力だけが取柄ってことで、午後も引き続き肉体労働希望。

女子6人で、個人宅の庭に溜まった藁を撤去する作業。

藁?わら?ワラ?

何で藁?

着いたお宅の庭には、確かに藁がびっしりと、家を囲むように敷き詰められていた。

でっかいフォークみたいな農具で藁をさくっと持ち上げてみると、10センチくらいだろうか、かなり分厚く積もっていた。

午前中に一緒に作業した女子高生の言葉を思い出した。

「東部道路の下に豚や馬がいっぱい死んでた。」

そうか。この藁は飼料用だったんだ。

どこかから流されてきたんだ。

2チームに分かれて、両端から藁をかいた。

でかフォークでしたからかき上げて、スコップですくって一輪車に貯めて捨てる。

それだけなんだけど、水分を含んだ藁の重いこと。

しかも、ダンボールやら布やら流木やら、流されてきたいろんなものが藁の中から出てくる。

ひたすら、かいた。

途中で、家主のおじさんが「ジュース飲めー。お菓子も食べろー。」と言って、ファンタとクッキーをくれた。

ファンタを飲んで、お菓子を食べて、その甘さがこんなにも心地よかったことはない。

それは自分が被災して大変なおじさんの、それでも人を気遣う優しさと笑顔の味だったんだと思う。

そして一心不乱に汗をかいた私たちに、それは最高の癒しだった。

「あれーずいぶんきれいになったことー。」って言ってくれた。

藁をよけてもともとあったであろう土が見えた時、私たちも嬉しかった。

なんとかここを、元通りにしたいと思った。

ひたすらかいてかいて、2時間頑張ったけど、やっぱり全部は終わらなかった。

全部やりたいね、って、一緒に行った同僚と話したけど、2時間と決められている。

それがルールで、そういうことをないがしろにしてしまうと、いろんなことがうまく回らなくなったり、思わぬトラブルが発生したりするんだろう。

だから、組織の中で動く以上は、ルールに忠実であることが大切だ。と思う。


先にも書いたけど、ボランティアを望む人は、多かれ少なかれ救いを求めているんだと思う。

「ありがとう」って言われたいわけじゃないけど、言われればやっぱりほっとする。

ああ、これで良かったんだ、って思える。

特に、肉体労働を伴うボランティアは、よりそれを感じられる。

そして、救われる。

被災地の人のために何かしたいと思っている人は、是非沿岸部で汗を流してください。

まだまだまだまだ、まだまだまだまだ、家屋の片付けは終わらない。

長期的にボランティアが必要、の意味が、現地に行くと分かります。



※若干刺激の強い内容が含まれます。


4月1日金曜日


岩沼市ボランティアに行った。

行き先を決めた理由。

宮城県内のボランティアセンターのHPを見て、岩沼はまだ人手を求めている、とのことだったので、ここなら私にもやれることがあるのではないか、と思って。


朝、受付とボランティア保険の登録を済ませる。

「希望の仕事は?」と聞かれたので「何でも。」と答えた。

決まった仕事は津波被害がひどかった寺島という地区の、個人宅の家財道具の運び出しと片付け。

他のボランティアさんと一緒に約10名で向かう。

途中、津波の被害があったところとなかったところの境目が分かった。

道路の状況、車窓から見える風景の変化。

正直に言うと、それを見てもなお私は「津波」がピンと来なかった。

それは震災前のその地域を知らないからなのか。

それともただ私の心が冷たいだけなのか。

「なんでこんなところに屋根があるの?なんで田んぼの中に車が埋まってるの?なんでこんなことになってるの?ここで一体何があったの?」

そういう感じ。

わかんない。本当に。


着いたお宅はお寺さんだった。

お寺兼自宅の前で佇む住職。本当に、ただ、佇んでいた。

「ボランティアなんて来てもらっても・・・」というつぶやきが聞こえた。

そうだ。それが被災者の本音だ。

ボランティアをやる私たちは、その行為そのものが余裕のある証拠でもあり、それ自体が被災者を傷付けてしまうこともあるんだ。


作業は2時間。

本部で決められている時間。

私たちの今やるべきことはごみの片付けじゃない。それまで、その時まで生活の道具だった物を、「どうしようか」と考えられるスペースに運び出すこと。

流されてきた、防砂林であったはずの松の木や、たくさんの瓦礫をよけながら家の中に入る。

庭に、キティちゃんのぬいぐるみが転がっていた。

お孫さんのかな、と思いながら、それを『いるもの』スペースに運ぶ。

その少し先に、犬のぬいぐるみがあった。

これもかな・・・、と持ち上げようとしたら、異様に重かった。

飼い犬の亡骸だった。

隣にケージがあったので、ケージに入ったまま流されたのだろう。

それが生きていたものだと気付くまで、なぜか時間がかかった。

ああ、これはぬいぐるみじゃない、命があったものの重さだ、とようやく気が付いて、掴んだ足をそっと置いた。

驚くでもなく、気持ち悪いとも思わなかった。

ただ、命があったものは、死んで、まるでぬいぐるみのようになっても、ぬいぐるみとは違うんだな、とだけ思った。


家の中は、そこで生活していたことが信じられないくらい、全てがぐちゃぐちゃだった。

畳は引っぺがされ、変な形に曲がったりしていた。

住職が言うには床に置いてあったはずの灯油タンクが、天井付近のフックに引っかかってぶら下がっていた。

そこから、箪笥を運ぶ。

棚らしきものを運ぶ。

畳を運ぶ。

ぐんにゃりしてあり得ない方向に曲がっていたアルミの柱をねじって折って外した。

か弱い女の子に憧れてたけど、全然か弱くない女に育った自分に感謝した。

細かい瓦礫をスコップですくって一輪車に溜める。

それを『いるもの』スペースよりも大きく膨れ上がった『いらないもの(瓦礫・ごみ)』スペースに捨てる。

一輪車からざーっとごみを捨てたら、インコが出てきた。

またしてもそれが一瞬生きていたものだったのか人形なのか分からなかったけど、目を閉じていたので、生きていたものだったことが分かった。

分かったけど、自分が見たものを一瞬疑った。

首から上は確かにインコだ。

でも首から下が、ぺったんこになってた。

私も昔インコ飼ってたけど、死んだ時こんなに風にはならなかったのに・・・。

と思って、これが、この状況が普通ではないとこいうことを、ようやくうっすら認識した。

悲しいと思った。鳥は飛んで逃げられるはずなのに。間に合わなかったんだ。

手を合わせて、作業に戻った。


肉体労働の2時間は長かった。

でも、最初は佇んでいただけの住職が、「みんなすごいなー。あっという間にきれいになった。慣れてるんだねー。おっちゃん1人で畳1枚運ぶのがやっとだったよ。」と言ってた。

ちょっとだけ、前向きなパワーの灯が点いた気がした。まあ、私が勝手に思っただけだけど。

『なんとか帳』っていうお寺の大事な帳簿が見つからない、と言ってて、見つけてあげたいと思ったけど、そこにいた全員が思ったのが分かったけど、結局見つけられなかった。

2時間でやれることは、ほんのちょっとだけだな、と思った。

1部屋すら、終わらなかった。

それでも、最初見えなかった床が見えたこと、住職にしゃべる元気が戻ったことで、救われた気がした。

私や、他の被災しなかった人は生きながら、生きていることに感謝しながら、同時に罪悪感を抱いているのだろうか。

生きてて良かったね、って言い合っているけど、こんな普通な状態にこんなに早く戻ってしまったことに違和感を覚えているのは確かだ。

普通の生活に大分戻っている自分を、恥ずかしいと思ってしまう。

何をしても、どんなに当たり前の生活のことでも、それを今自分と同じようにできない人がいて、それなのに自分はできて申し訳ないなって、その感情は大きかったり小さかったりするけど、でもいつも頭の中にある。

考えても、思っても仕方ないんだけど、でも思ってしまう。

ボランティアをするのは、その贅沢な苦しみからの救いを求めているからなんだ、と今これを書きながら思う。

そんなことを考えることすら傲慢なのだと思う。

だけど、悩むならば、悩むだけのエネルギーがあるならば、1mmでも誰かの役に立ちたいと思う。

だけど、あまりにも小さすぎる個人の力にまた悩む。

何をしてもその堂々巡りだ。

でもやっぱり、悩むなら動く。

今日は岩沼市ボランティア。
午前中は寺島地区のお宅の家財道具運び出し。
午後は玉浦地区のお宅に溜まったワラ(おそらく家畜飼料用)の撤去作業。
たった4時間の仕事で、体は限界。
いっぱい寝て明日も元気に働くぞ!