静岡で演奏活動を続ける大学時代の友人まるちゃんと共演者の方々が、開催したコンサートで義捐金を集め、収益金の一部とともに送ってくれました。

まるちゃんと、まるちゃんのお友達と、寄付をしてくださった静岡の皆様に、被災地を代表して、


心から、ありがとうございます。


それ以上の言葉はない、って、きっと東北のみんなは言うと思う。


本当に本当に、ありがとう。


再びボランティアへ出ます。
これからは、沿岸部など、被害の大きかった地域へ行こうと思ってます。
学校にいても、今は事務仕事しかない。
煌々と電気を点し、ガンガン暖房を点け、暇を持て余してインターネットばかり見てる職場の風景に疑問を感じる。
次年度の準備は確かに必要。
だけど実際にはそんなに急ぐ仕事はまだ無い。
職場にいると、疑問を感じる風景の一部に自分もなってしまいそうで怖い。
悶々とするくらいなら動こうと思う。
疑問を感じていても、行動できなければ意味がない気がする。
というわけで、金曜日と土曜日は、岩沼市に行こうと思ってます。
今日ボランティアセンターのHP見たら、まだ人手が必要なようなので。
明日、ボランティアセンターに電話します。
本当は今週末は同僚と一緒に、同僚の知り合いがいる気仙沼へ入ろうかと思っていましたが、気仙沼ではまだ市民以外のボランティアを募集していないことと、気仙沼までの道路状況が分からないことで、今は無理しない方がいいのではないかという結論に達しました。
ボランティアは自己責任です。
もし自分たちに何かあっては、現地の方にかえって迷惑をかけることになってしまいます。
まずば自分を管理することから。
自分を投げうって働くことは一見美徳のようだけど、多分素人の私たちにそれは求められてない。
その冷静さを忘れてはいけない。と思う。
気仙沼へは、市民以外のボランティア募集が始まったら行くつもりです。

それと、音楽ボランティアも始めたいと思ってます。
今やれるのは、

◎フルートとピアノと朗読の演奏(ピアノは電子ピアノ持って行きます。)
◎リトミック(音楽に乗せて軽く体を動かしたり遊んだり。リフレッシュ&リラックス効果があります。赤ちゃんからお年寄りまで、参加する方に合わせてアレンジできます。)

です。
もし「うちの地域の避難所ならやれるよ」とか、「場所を提供できるところあるよ」とか、何かしらの情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非お力をお貸しください。

昨日のつづき。


午後、亡くなった生徒お父様が学校にいらした。

写真も全て流されてしまい、遺影にするものもない。

学校に残っているものがあれば・・・と。

何たる偶然、というか、事実は小説より奇なり、とでも言おうか。

今月初め、次年度の生徒手帳用の写真を撮影していたので、きちんと綺麗に制服を着て、凛とした、明るい表情で写っている、出来上がったばかりの写真があった。

本人はこの写真の仕上がりを見ることはなかった。

だって、本当は新しい学年に上がってから渡すものだもの。

その写真が、どうやら遺影に使われることになったようだ。


その後、お父様が職員室で教員に対してご挨拶してくださった。

聞けば、父子家庭だという。

お父様は疲れ、やつれ、憔悴しきっていた。

震災後、テレビで家族を失った被災者の方の映像を幾度となく見た。

かわいそうだと心から思ったし、テレビを見ていて涙が出ることも多々あったけど、昨日のそれは今までの比ではない。

この言い方は不謹慎なのかもしれないけれど、お父様は、ご自分も半分持っていかれてしまっているようだった。

その姿に、震災以来初めて「死」を見た気がした。

正直、怖かった。

病気でもない。事故でもない。死ぬ原因なんてどこにもなかったはずなのに・・・。


生徒会に入っている彼女はその日、集まりがあったんだそうだ。

でも、当日になってキャンセルしたんだって。

もしあの時予定通りにその集まりに行っていれば、彼女は死ぬことはなかった。

「もし」

「もし」

「もし」

この震災で一体いくつの「もし」が発せられただろう。

同僚が言った。

「私たちの毎日って常に何かの選択なんだね。」と。

でもまさか、選んだものが生と死の分かれ目になるなんて、一体誰が思っただろう。

そして、選択の連続だと気付いたところで、気をつけることもなにもできるわけではない。


これ以上言葉が出ない。

というわけで、終わり。


今日の出来事。
いろいろあって感情があっちにいったりこっちにいったりで、夜になっても収まりつかない。
まず、朝。
行方不明になっていた生徒が一人いたのだけど、週末、遺体で見つかった。
私は偶然週末にその事実を耳にしていたのだけれど、今朝遺体が発見された状況を聞いて、泣いた。
直接教えたことのない生徒だったけど、なんでまだ16歳なのに…と、なんとも説明できない感情で、泣いた。
なんかもう、痛かった。胸が「うっ」て詰まるような痛みだった。

その後、とある女性の先生に呼ばれた。
この先生とは震災後、寮で一緒に生徒の面倒を見ていたのだけど、私が寮を出た日のこと、寮を閉めると決まったのはその日の朝で、15時に閉めると急に言われたので、私たちは慌てて支援物資の仕分けと整理を始めた。
残った生徒たちはそれぞれ自分の所属する部の監督の家に行くということで、水道も戻らないような家に連れていくだなんて見切り発車なんじゃないか、とも言ったのだけど、もうとにかく後は俺らでやるからさっさと出てってくれ、みたいな感じで、割と険悪な雰囲気で女性教員は寮を出されたのだった。
まあ私としては、そろそろみんな限界だろうと思っていたし、やり方はともかく監督たちの家に行けるならそれもいいのかな、と思っていた。
ところが、男の先生たちは寮を出る気なんてさらさらなかった。
しかも、私を含む3人の女性教員が帰った後、2人の女性教員が残った。らしい。
それが分かったのは先週の金曜日。閉鎖になったはずの寮に監督たちと生徒、そして2人の女性教員がいたと聞かされた。
なんじゃそりゃー。要は私ら撒かれたってこと?
別に何も文句言ってないよ?
と思ったけど、腹立てることすらバカバカしくなって、まーどーでもいいや。と思ってた。
まあでもその時は私らが帰った後で何か事情が変わったのだろう、と思っていたんだけど。
これがなんと、芝居を打たれていたのでした。
バカにしてる、と思った。
芝居を打たれなきゃ物事飲み込めないほど、冷静さを失ってたわけじゃない。
とんだ茶番だ。
私を呼んだ先生は、私たちに申し訳なかったと思っていきさつを説明したかったらしいのだけど。
男の先生たちも、撒きたかったわけじゃない。
ただ、そうでもしないと一番年輩の先生が帰れないから、その先生が帰らないと他の女の先生が帰れないから、と。
屈辱的。
バカにしてる!
私らは疑わなかったのに。
残った女の先生たちには、やり方がえぐいだろ、と思ったけど、事情を聞けば、男の先生たちに帰ろうとする間際に、手伝ってほしいと言われた、自分は帰っても一人だし、それよりはここにいる方が安心で、ということらしく、もし私が逆の立場でも、頼まれれば嫌とは言わないだろうし、そこはまあちょっとしか腹が立たないんだけど。
寮にいた男の先生たちが、職場の女性教員をどういう風に見てるか、よく分かった。
もう誰のことも信用できそうにない。
分かってほしいと言われた。
残った女性の先生方のに対してはこだわってません、それより、芝居を打たれたということへの怒りが収まらない。こんな人たちが幅をきかせるこの職場で、もう誰を信じて仕事したらいいか分からなくなりました。
と、言った。
関係がぎくしゃくしないように、少しでも男の先生たちの考えを分かってあげられれば、とその先生は言うけれど、それは無理です、とも言った。

…今日の出来事はまだあるのだけど、長くなりすぎたので次に書きます。
「はちのす会」は高校の非公式同窓会です。
今日はそのはちのす会の先輩に誘っていただいて、街中でランチ。
街は頑張ってる!
そして、サプライズ付きでした!

photo:01



じゃーん!!
持込みケーキですわよ!
感動しすぎてリアクション取れなかったっす。
奇跡。ぐらいの感動具合い。



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