静岡で演奏活動を続ける大学時代の友人まるちゃんと共演者の方々が、開催したコンサートで義捐金を集め、収益金の一部とともに送ってくれました。
まるちゃんと、まるちゃんのお友達と、寄付をしてくださった静岡の皆様に、被災地を代表して、
心から、ありがとうございます。
それ以上の言葉はない、って、きっと東北のみんなは言うと思う。
本当に本当に、ありがとう。
静岡で演奏活動を続ける大学時代の友人まるちゃんと共演者の方々が、開催したコンサートで義捐金を集め、収益金の一部とともに送ってくれました。
まるちゃんと、まるちゃんのお友達と、寄付をしてくださった静岡の皆様に、被災地を代表して、
心から、ありがとうございます。
それ以上の言葉はない、って、きっと東北のみんなは言うと思う。
本当に本当に、ありがとう。
昨日のつづき。
午後、亡くなった生徒お父様が学校にいらした。
写真も全て流されてしまい、遺影にするものもない。
学校に残っているものがあれば・・・と。
何たる偶然、というか、事実は小説より奇なり、とでも言おうか。
今月初め、次年度の生徒手帳用の写真を撮影していたので、きちんと綺麗に制服を着て、凛とした、明るい表情で写っている、出来上がったばかりの写真があった。
本人はこの写真の仕上がりを見ることはなかった。
だって、本当は新しい学年に上がってから渡すものだもの。
その写真が、どうやら遺影に使われることになったようだ。
その後、お父様が職員室で教員に対してご挨拶してくださった。
聞けば、父子家庭だという。
お父様は疲れ、やつれ、憔悴しきっていた。
震災後、テレビで家族を失った被災者の方の映像を幾度となく見た。
かわいそうだと心から思ったし、テレビを見ていて涙が出ることも多々あったけど、昨日のそれは今までの比ではない。
この言い方は不謹慎なのかもしれないけれど、お父様は、ご自分も半分持っていかれてしまっているようだった。
その姿に、震災以来初めて「死」を見た気がした。
正直、怖かった。
病気でもない。事故でもない。死ぬ原因なんてどこにもなかったはずなのに・・・。
生徒会に入っている彼女はその日、集まりがあったんだそうだ。
でも、当日になってキャンセルしたんだって。
もしあの時予定通りにその集まりに行っていれば、彼女は死ぬことはなかった。
「もし」
「もし」
「もし」
この震災で一体いくつの「もし」が発せられただろう。
同僚が言った。
「私たちの毎日って常に何かの選択なんだね。」と。
でもまさか、選んだものが生と死の分かれ目になるなんて、一体誰が思っただろう。
そして、選択の連続だと気付いたところで、気をつけることもなにもできるわけではない。
これ以上言葉が出ない。
というわけで、終わり。