この日の散歩は僕と子供たちでおっかなびっくり出かける。
公園から道に出て、近くの薬局をまわって家に帰る1キロほどのコースで
いちごも無事、用を足して楽しく散歩は進んでいく。
便の色を確認すると何だか異様な緑色のものも混じっていたが、
これはうちに辿り着く前に食べた「何か」だろう。
「くさい~」
初めて経験する犬の排便に子供たちが笑いながら鼻を押さえる。
二人にとっては何もかもが新鮮な驚きなのだろう。
これからはうちの安物のドッグフードで普通に排便する事になるだろう。
こうしていちごはこの日から無事にみつ光家の一員として迎え入れられたわけである。
いちごが家族に加わった事でまず「散歩」という必須項目が加えられた。
朝の散歩は僕と長女、夕方は嫁と長男、と言うように役割分担を決めて、
翌日から朝の寒い中5時半に起きる生活が始まった。
長女も頑張って早起きして甲斐甲斐しくいちごの散歩に出かける。
1月の朝はまだ真っ暗、
懐中電灯を片手に二人でいちごの散歩に行くのは少しスリリングで楽しい。
ちょうどこの年のGWに家族で神戸に東方神起のコンサートに行く事が決まった直後だったので、
二人で神戸へ行く話をしながらの散歩は
寒くて眠い夜明け前の道でも楽しく明るいものとなった。
いつも神戸の話や僕の昔の話をして、長女はそれを興味深そうに聞いていた。
いちごも二人の会話を聞いているかのように嬉しそうな表情で歩く。
僕が一人で行く土日の散歩と比べても子供達が一緒にいる時の方が楽しそうな顔に見えるのだ。
ある日、大きな野良犬が家の周りをうろうろしているのを見つけたため
しばらくいちごは2階のベランダで過ごす事になったが、
この頃からいちごはようやく体を伸ばしてのん気に眠るようになった。
うちに来てしばらくはは警戒していたのか、丸くなって寝ていて
小さな音にも耳を動かして反応していたが
あっという間にみつ光家に馴染んでしまい、
まるで自分の居場所は始めからここだったと言わんばかりのくつろぎ方だ。
僕たちも全く違和感はなく、昔からいちごが居たかのように接していた。
こうしていちごと暮らす日々が始まり、何事もなく1年が過ぎて行った。
草を食べて嘔吐して、びっくりさせる事もあったけど、
体を壊す事もなく、健康にみつ光家の一員としてすっかり落ち着いた生活を送っている。
前の飼い主が出てきたら返すなんて事もすっかり忘れているし、
仮にリードが外れたとしてももいちごがここを離れてどこかへ行く事もないだろう。
ただ、いちご自身ここに来た事が幸せだったのかな、って思う事もある。
前に住んでいた所より食事は美味しくないかもしれない。
うちのように狭い所ではなくもっと広い場所で自由に暮らしていたのかもしれない。
ただ、いちごの人間に対する反応を見ている人間へ恐怖心が大きく、怯えているようにも見える。
特にうちの母親くらいの年輩の人を見る時の恐怖の表情は
以前の生活の中で味わったトラウマが残っているのかもしれない。
虐待とまでではなくても必要以上に厳しい躾を受けていたのだろうか、
その証拠にトイレトレーニングは完璧にされている。
そしてトラックのエンジン音、バイクの音に過敏に反応し、
傘を広げると異常に怖がることもある・・・
どれだけ辛い仕打ちを受けてきたのかと思うと、
胸が締め付けられるような、何ともいたたまれない気持ちになる時もある。
ただ、そんな事はいちごに聞いても答えてくれるはずもなく、
いちごの周りはうちにやって来たあの日から今日まで、相変わらずのどかな毎日が繰り返され
またそんないちごの姿を見て今が一番幸せな時間なのだろうと思う事にしている。
長女も半年以上5時半過ぎに起きてまだ夜が明けない散歩道を一緒に歩いた。
さっきも述べたがちょうど神戸に行く事になったばかりだったので
神戸の話や長女の学校の話、更には長女が生まれた頃の話、
など様々は話をしながら公園を一周して30分は歩いていた。
「神戸」の話なんて本当に擦り切れるくらい何度もしたし、
決まった時間に散歩道に現れる人たちに名前をつけたりしては散歩を楽しんでいた。
6時過ぎに今にも壊れそうなバイクに乗ってやってくる「バイクおじさん」、
決まった時間に公園で体操を始める「体操おばさん」、
6時10分くらいに決まって同じ場所を通過するトラック、
美容室の駐車場で自動で点灯するライト、
そんな些細な事でさえも、いちごとの散歩の中では新たな発見だった。
いちごがうちに来てから、思い出は既に数限りなく増え続けている。
神戸からの帰りのお迎えの時の嬉しそうな顔、桜の咲く河川敷で一緒に遊んだり、
毎日の散歩でさえ一つ一つ思い出として積み重ねられている。
そんな中での僕の務めと言えば、昔飼っていた2匹の犬たちにしてやれなかった事、
「最期の一瞬」まで一緒にいるという事だ。
僕にとっていちごは「拾った」とか「飼ってあげる」と言ったものではなく、
家族としていちごと共に生きる事が全てだと思っている。
「命の重さ」を受け止められずに重ねた過ちを忘れずにいちごと共に生きて、
その「命の重さ」を自分の分身である二人の子供たちに言葉ではなく気持ちで伝えて行く事。
これが僕に与えられた義務だと思っている。
いちごがやって来てからあっという間に3年の月日が過ぎていった、
これからもまた何気ない日常の中でいちごとの当たり前の生活が繰り返される事だろう。
僕はただ、みんなやいちごと変わらない日々を過ごしていくだけだ。
お互いそれ以上のものを望むのは贅沢というものだろう。
(お借りしました、ありがとうございます)
ただ、今でも母親の顔を見ると親の仇のようにワンワン吠えて唸るのが直っていないのが残念だ。
いちごとの日々は明日も続いて行く。
まるでそれが永遠に続けば、とお互い信じている。
いちごもそう思ってくれているのなら、僕たちにとってこれ以上の喜びはないはずだ。