【大内義隆、陶隆房挙兵の報に接す】1551年8月27日
陶隆房一族の挙兵の報が築山館の大内義隆のもとにもたらされる。第一次月山富田城の戦いに大敗した義隆は急速に領土拡大の出兵を行わなくなる。時な戦国であり大版図の大内氏は外征により家臣団をまとめなければならないので、家中の団結は弱まる。軍事筆頭の陶氏は山口への出仕を止め、居城の若山城に引き籠る。領内では既に謀反の噂が出ており、義隆の危機管理には多大な問題が有った。もはや実力行使に動かれては打つ手無しだった #べらぼう #大河ドラマ

【サン・フェリペ号漂着】1596年8月26日
イスパニア船サン・フェリペ号が土佐浦戸に漂着する。当時は朝鮮の役の最中、また宣教師コエイリョに長崎の大名有馬氏が領地を与えていた事などが発覚、スペインポルトガルのカトリックに対しての不信感が高まっていた。ゆえに秀吉は船員を捕え積荷は没収となる。船員を詰問するとカトリック宣教師を使った日本植民地化計画を聞く、この事件は秀吉の外国人への不信を決定づけ、翌1597年の「二十六聖人殉教」に繋がったと考えられています。スペインの無敵艦隊はイギリス海軍に敗れ急速に力を失いつつあった。オランダなどのプロテスタント国家に乗り換える機会となる #べらぼう #大河ドラマ

【鉄砲伝来】1543年8月25日
大隅種子島西村浦に漂着した中国船より鉄炮が我国に初めて伝わる。種子島恵時・時堯は2挺の鉄炮を入手する。海洋国家日本には漂流民が来ることは珍しくなく、古来それを救助するのは当然とされていた。初めて見る西洋人に驚いただろうが島民は食事を与え交流した。そこで見た鉄砲を今の価格で約1億で買い取ったと言う。漂流民なので略奪する事も簡単だったと思われるが、決してそう言う事はしなかった。火薬の配合や使用方法も指南され親しく交流した。この僅か2挺を基に自家生産を始める日本の好奇心探求心はもの凄い #べらぼう #大河ドラマ