【サン・フェリペ号漂着】1596年8月26日
イスパニア船サン・フェリペ号が土佐浦戸に漂着する。当時は朝鮮の役の最中、また宣教師コエイリョに長崎の大名有馬氏が領地を与えていた事などが発覚、スペインポルトガルのカトリックに対しての不信感が高まっていた。ゆえに秀吉は船員を捕え積荷は没収となる。船員を詰問するとカトリック宣教師を使った日本植民地化計画を聞く、この事件は秀吉の外国人への不信を決定づけ、翌1597年の「二十六聖人殉教」に繋がったと考えられています。スペインの無敵艦隊はイギリス海軍に敗れ急速に力を失いつつあった。オランダなどのプロテスタント国家に乗り換える機会となる #べらぼう #大河ドラマ
【鉄砲伝来】1543年8月25日
大隅種子島西村浦に漂着した中国船より鉄炮が我国に初めて伝わる。種子島恵時・時堯は2挺の鉄炮を入手する。海洋国家日本には漂流民が来ることは珍しくなく、古来それを救助するのは当然とされていた。初めて見る西洋人に驚いただろうが島民は食事を与え交流した。そこで見た鉄砲を今の価格で約1億で買い取ったと言う。漂流民なので略奪する事も簡単だったと思われるが、決してそう言う事はしなかった。火薬の配合や使用方法も指南され親しく交流した。この僅か2挺を基に自家生産を始める日本の好奇心探求心はもの凄い #べらぼう #大河ドラマ
【本多正信らが島津氏の身上を保証】1601年8月24日
本多正信らが島津義久・忠恒(家久)の身命保証と領国安堵、義弘の身上について誓約する。九州の大名への島津攻め命令は国境警備の徹底さや、地政学的に北からしか攻められない事、秀吉の時の様な用意周到さや関ヶ原合戦に2000弱しか出兵していない為、本軍は無傷で有る事、また家康自身も政権基盤が全く整っていない状態での遠方での長期戦、しかも家康本人の出馬が不可能で有る事などなど、また島津義弘に朝鮮の役でその精強さを見せつけれた大名、また苦戦を救ってくれた恩などもあり、まるで討伐が進まない所か島津シンパも多く厭戦気分が高まり、また義弘の巧みな外交で家康側近は徐々に和睦必須へと傾く。これ以上島津に強硬策を続ければ、他の大名の不信感を買い、ただでさえ西国不介入状態の家康にとって、島津を旗頭に豊臣恩顧の外様西国大名が一斉に蜂起し大坂の秀頼を奪われかねないと判断した #べらぼう #大河ドラマ