昨日は沖縄で初となる、

伊勢神宮禰宜(ねぎ)吉川竜実さんによる講演会でした。




後半は会場からの質問タイム。



質問の内容は忘れちゃったけど、


神さまに失礼かもしれないけど、
○○なやり方で神社に参拝してますが、
他にいい方法ありますか?



みたいな質問に、


「いや、それで良いんじゃないでしょうかね?」



と答える吉川禰宜。

質問者の中には、ポカーンとする人も。


「え?もっと具体的に○○にしましょうとか、

△△じゃダメですよとか、そういう答え」

が欲しかったようで。





例えば。

あなたが40万円の料理セミナーに行ったとする。




先生ジャガイモの剥き方って、
私は湯煎もせずにやってるんですが、
何か他に良い方法とかありませんか?



「いや、それで良いんじゃないでしょうかねぇ」


と先生に言われたら、

「もっと具体的に、違うやり方を教えてくれよ!こっちは40万円払ってんだよ!」

って思うはずだ。



でもそれって、

「私のやり方を「違う」と言ってくれよ先生」

という自我の叫び。


要するに、

 

「このやり方ではダメですと言われたい!」

のだ。

だから
高いお金を払ってわざわざ平野レミ料理教室までやってきた。


否定されるために。






じゃあ、その「自我さん」は最終的に何を目指しているのか?

 

追ってみよう、そうしよう。

こんどは違う流派の料理教室に行って質問し始めた自我さん。



あのー、以前に平野レミとかいうシャンソン歌手の料理教室で、
ジャガイモは茹でて皮をむいても良いと言われましたが、
私は違うと思うんです。何か先生の方で良い方法があれば教えて下さい。



もう、質問してる時点から「私のやり方を否定されたい」のだ。

でも、その先生もなぜか、

「いや、それでいいんじゃないでしょうか」と。



はぁ???

またもや30万円の料理教室のお金を払って、

「それでいいんじゃないでしょうか?」だと???


お前、シャンソンも歌えないただの料理人のくせに!!!

レミの方がまだ凄かった!差額の10万円はシャンソン代か!





また違う教室に行くのである。



そして新しい教室で、質問した。



ジャガイモは茹でて剥けってアホ2人に言われました。
でも、絶対に違いますよね。
正解は、冷水とかで冷やして剥けば良いんですよね?



それに対して先生が、

「そうです!あなたは良く分かってますね!冷水の方がいいんです!」

って言ってくれたら


「ね!!!そうですよね!!!

あの巨匠アホ2人に言ってやりたいですわ!

そうっすよね!!!」


とご満悦になる。




さて、自我はずーっと何をしていたのか。


「否定されたい」と表面的には思い続けていたけど、

本当は「いつか肯定されたかった」のである。





そもそも自我の役目は、「このままではダメですよね?」と問いかけることである。

なぜなら、前頭前野(脳の部位)が自我であり、

生き残るために、何か「違うやり方を提案する」ための部署である。


それは役割だから、

自我は「提案してないと私の存在意義が無い」と感じて、

常に提案してくれる。


「このままで良い」という機能を司る部位じゃないから。

自我は、とにかく提案し続ける。

そしてもちろん、

「提案」とは、「現状の否定」のことである。




じゃあ、そんな自我さんは最終ゴールに何を設定しているのか???

違う提案をし続ける=いつかは「そう!それよ!」と言われたい

のである。


分かる?




表面的には

「否定される」ための提案活動をするセクションのくせに、

その最終ゴールに据えてるのは

「それでいいのよ!」といつか認められたい



のである。

かなりやっかいな部位である。




とにかく、
レミパンがシャンソン歌手だったことに
驚いてほしい!





分かりにくかった平野レミファンのために、

もう1つだけ、違う例えを。



パリコレ。



2019年に出したデザイナーの作品。

その年に出したコレクション【ちくちくりん】は、

あまり好評じゃなかった。




翌年2020年に出したコレクション、



【さかさかりん】も不評だった。

くっそー、今年もダメか。

そのデザイナーは考えた。



翌年2021、【まえむきさかりん】にしたら大好評!

やった!

ついに認められた!

前と後ろの違いが全く自分でも分からないけど、

とにかく今年の作品は認められた!!!





さて、この場合。

2019

【ちくちくりん】
2020
【さかさかりん】
2021
【まえむきさかりん】


と、毎年毎年【違うコレクション】を表面の道具としては使用し、

結局のところ「認められたい」という真意を叶えるためだけに、

【その年のコレクション】を使っていた。




各年の【  】←これは表面に握ってるただの道具であり何でもいい。

「センスあるわね!」

という言葉をもらうために使ったただの【道具】。


だから、



↑【コレ】で受賞しようが、




↑【コレ】で受賞しようが、


その【道具】は何でも良かったのである。

真の目的は、

「良いセンスね!」を言われること。




【  】←これ にこだわりは無い




自我にとっての【質問】も同じなのである。

表面的には、

【ジャガイモは湯煎して剥く?】

でも、

【子供を立派に育てるには?】

でも、

【悟るためには?】

でも、


表面に使う【質問】はマジでなんでもよくて、

その【質問】という提案を繰り返すことで引き出したい答えこそが、

「それで良いんじゃないでしょうか?」

といつか言われることなのである。






何を質問しても、吉川さんは。


「いや、それで良いんじゃないでしょうか?」


横でそれを見ていてみつろうは、


「うん。だって、この回答こそが自我の追い求めてる真理だもんな」

とうなずいてました。




「もっと違うことを答えてくれよ」と思っていた自我マインドも会場内にいっぱい居たと思いますが。

でも、その自我たちも、

 

具体的な方法を吉川さんに答えられ(=要するに現状を否定され)、

 

束の間の喜びを得て、
 

そしてこの先また違う場所で何度も自身の【質問】を変えて質問し続けたって、

最終的には、

「それで良いんじゃないでしょうか」

といつか言われたいだけ。



だったら、早くとどめを刺されておいた方が良い。

 

【道具】を変え続け、無駄な遠回りをする前に。



「いや、それで良いんじゃないでしょうか」




「超パワースポット伊勢神宮で30年間も神さまに仕えていたら、

何か不思議な体験とかありましたでしょうか?」


という質問も。


「私にとっては、毎日が不思議な連続で、

いま、皆さんとこの会場でお会いできているのもとても不思議なことです」

と真理で返しちゃう。



その質問者も最初は


「神さまの声が聞こえた」だとか

「のれんが浮いた」だとか、

何かそういった「超常的な」不思議を求めての質問だったのでしょうけど、


「あなたと今こうしてお会いできてることの不思議と、

神さまの声が聞こえる不思議に、違いなんて無い」

と言われちゃあ、何も言えず。



とどめに、人類でいま一番波動が高い高島亮さんが、
(東大出身です)


不思議は英語で、wonderです。

不思議が満ちている(full)状態を、

ワンダフルと言います。

毎日が不思議だらけ、ワンダフルな日々です。


なんて言われちゃって、もう僕の脳内は




↑これと





↑これを3でかけて、8で割って、



↑これを引いたくらいになったもんでね。





「それで良いんじゃないでしょうか」


これ以上の答えは、どこにも落ちていません。

 

あなたが今後、どんな質問をしようと、疑問を替え続けようと。

結局、最後に言われたいのはそこです。



僕らは、不思議な呪文や、凄い霊力、とんでもない魔法を求めて生きている。

でも、それを仮にゲットしたとして、

 

例えば手のひらから炎が出る魔法をゲットしたとして、

 

その炎を使うのは、焼き鳥を焼く、壺屋焼を焼くなど、

 

「日常の場」なのである。



「幸せになるなら、ぜひ日常で」


この言葉は、世界の詩人さとうみつろうさんが、数年前に言った言葉である↓

 

 

 

 

 

魔法を追い求めるのは大いに結構。

 

ロマンがある。

 

でもきっとそれは日常の生活へ還っていく。

 



沖縄の皆さん、亀甲さん。昨日は素敵なパリコレクション、ありがとうございました。


 

 

 

  

吉川さんの本↓

 

 

 

 

 

 

↓何を質問されても、「それで良いんじゃないでしょうかね」と答える吉川さん。

M氏は横で聞いていて、

「いや、これ以上の答えは無いよな~」と。

例えばその人が(質問の内容は忘れたけど)、


【神社では、4拍手するべきでしょうか?】

と質問したとする。


その人の「表面意識(自我)」の部分で求めている答えは、


「いいえ、5拍手にするべきです(あなたは間違っている)!」

という否定。


それを聞いたその人は、

また違う流派に行って、


【5拍手だとA流派では言われたのですが、4拍手でも大丈夫でしょうか?】

と質問し、


「いいえ、拍手はそもそもしてはいけません」

とそこで言われる。


前頭前野の役割的に、それでも納得いかず、

またもや違う先生の講演会で、


【4拍手でも良いのでしょうか?】



表面的に使ってる道具⇒【   】

【○○でしょうか?】は実は何の質問でも良くて、替え続けるだろうけど、

その奥の奥には、

「それでいいよ」

といつの日か言われたいがための、質問【  】なのである。

じゃあ、だいぶ早い時点で「それで良いんじゃないでしょうか」と言われた方が良い。


 

 

僕もそう、あなたもそう。

毎日毎日、

「否定して欲しくて」

でも最終的にはいつか

「肯定して欲しい」

という、かなりイミフな前頭前野に乗っかって生きている。

休ませよう、自我を瞑想とか畑仕事で。


真理は結局、↓ここにある。

「幸せになるなら、ぜひ日常で」

 

 


伊勢の禰宜吉川さんの講演会、もう動画で見れます。

 

その発音が素晴らしかった。

 

『いや、それでよろしいんじゃないでしょうかね?』のイントネーションと、

 

あの独特の間合いが。

 

 

聞き逃した方はぜひ動画で。後半の質問コーナーの部分です。


アーカイブで無期限で観れますので、時間があるときにでも↓

 

 

史上初!
★伊勢神宮の「禰宜」が沖縄の地で公演

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼この記事を書いた人 Writer's Info

さとうみつろう

日本の作家・ミュージシャン。中3の長男コクトウ君と、小5の長女ザラメちゃん、3才になった次女ミリンちゃんの3児のパパ。石垣島で生まれ中学は大分県、大学は北海道。社会を変えるためには「1人1人の意識の変革」が必要だと痛感し、大手エネルギー企業から独立。本の執筆や楽曲の発表を本格化し、初の著書がシリーズ累計30万部のメガヒットを記録。10代の若者を中心に多くの支持を集める。ところ…

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