「どうしてこのタワーマンションが35Fなのか分かりますか?
那覇には暗黙のルールがあり、首里城より高くなるような設計は出来ないのです。
本当は40F以上でも需要はあるけど、ここだと35Fで首里城と同じ高さです。
これが限度です。」
若くて美少年だったサラリーマン時代に、
「まぁ、若いお兄さんに言っても分からないだろうけど」とバカにされながら、
設計段階だったマンションへ電力の相談にやって来たデベロッパーと県の職員は笑っていた。
その小高い丘は、首里・那覇(スイ・ナファン)で二番目の標高。
ここより高いのは、神さまを祀る弁ヶ岳だけ。
あとNTTの電波塔だけ(笑)
その丘より高い空域には、神々の特殊なエリアがあると信じられてきた。
米軍も戦後すぐに「沖縄の空域の管制権」を確保した。
那覇進入管制空域が返還されたのはわりと最近のこと。
王のための土地ではなく、
その小高い「首里の丘」は祈りのためにある聖地だった。
神々の空域に一番近づける神聖な場所だからこそ、
その首里の小高い丘は人々に大切にされた。
やがて琉球にもイクサや権力主義が発生し、
南山・中山・北山の三山時代に中山王国の国王が城を建てた。
史書や正史で確認されている限りでは首里は1360年ごろには城があったそうな。
それでも琉球の国王は、「自分は神の次」だという位置をずっとわきまえていた。
舜天王も、英祖王も、察度王も、第一・第二尚巴志王統も。
神さまのコトバを女性ノロが降ろし、
そのコトバ通りの施政を国民へと施す役割に徹していた。
神の空域に一番近い場所に建つその建物はすなわち、
人間側からすると「一番高い」位置になるわけで、
「高み」を目指す権力者たちによって、
その小高い丘では何度も権力争いが起きた。
△1430年
察度王統を第一尚巴志が権力で奪い
△1470年
第一尚巴志から第二尚巴志が受け継ぎ
△1611年
中国と貿易がしたかった江戸幕府は、中国と仲の良かった琉球を足掛かりにしようと、
3,000人の兵隊を送り「昔から琉球王国は島津(薩摩)の付属国だった」という文書にサインをしろと強要し断った三司官は首を切られ
△1879年
明治政府は500人の軍隊を連れて首里城へ押し入り、琉球国王を東京へ「連行」し
△1923年
王さまが連れ去られ荒廃したその丘に、「県社沖縄神社」を大正時代に創建
△1944年
日本軍と米軍が「戦場」を沖縄にしようと決め、日本軍総司令部を首里城に設置したせいで、
米軍の大規模砲撃で貴重な歴史建造物を次々と破壊
△1945年
司令部を首里城から南へと撤退させる際に、歩けなかった5,000人の日本兵が首里城の地下壕で自決
ざっと書いても、これだけある。
江戸も明治も大正も昭和も。
いや、もっと古い時代からずっと。
その小高い丘を舞台に、人間たちは何度も争っている。
何度も言うけど、その小高い丘とは「一番神さまに近い」場所なのにだ。
燃えるのは、今回が初めてじゃない。
何度も何度も、消失してきた。
琉球国内の戦いで、琉球と日本の戦いで、日本とアメリカの戦いに巻き込まれて。
その小高い丘に建てられた建物を、
うちなんちゅは何度も何度も失った。
そして、何度も何度も再建してきたのである。
「たくましい沖縄の皆さんですから、きっと復興できますね!」
というLINEをめっちゃもらったけど、
ちがう。
沖縄人が「たくましい」から首里城を何度も復興させて来れたんじゃない。
首里城を何度も復興させているうちに、うちなんちゅはたくましくなったのだ。
首里城の復興の歴史こそが、
うちなんちゅの「たくましさ」のミナモトなのだ。
今回だって炎を真夜中に観た時は悔しくて涙が出たけど、
すぐに思ったのは「見とけよ!」という想いだ。
うちなー弁かもしれない。「見とけよ!」は。
「すぐに立て直すからな!見とけよ!」と、力強く思ったうちなんちゅの方が絶対に多い。
悲しんでる人よりも。
それが、うちなんちゅなのだ。
戦後、↑これを立て直したんだ。
これくらい立て直せる。
なんだったら戦後には一回、琉球大学まで作ってるからな。
焼け野原になった首里城跡地に。
その後、琉大を壊して現在の首里城を建てた。
過去平均すると、築城に「約12年」くらいかかって建て直してる。
2032年のネズミの年には完全復活するだろうけど(沖縄ではネーの年が始まりとされる)、
今回はもっともっと早く復興するかもしれない。
謀反で焼けても、薩摩に壊されても、アメリカに砲撃されても、
うちなんちゅは何度もあの城を建て直してきた。
今回も、見とけよ!
寄付?とかはどこにすれば良いのか分からないけど、
きっと世界中からもうちなんちゅを助けたいという思いが集まるはずだ。
安倍内閣と沖縄県は辺野古問題でいまは冷え切った関係だけど、
首里城復興の予算だけは政治の駆け引きとは別枠にして欲しいな。
もし祈りたい人が居るなら、僕は昨日「弁ヶ岳」へと行って来た。
大正時代に首里城に置かれた「沖縄神社」が仮遷宮しているので、
「1日も早い復興」を祈るなら、そこが良いだろう。
唯一首里城の高さを超える弁ヶ岳の丘の上にはベンテンヨモツヒメも祀られているしね。
さぁ、うちなんちゅの皆さんここからですね。
あなたの中に流れるDNAは、過去に何度も首里城を消失し再興しています。
そのDNAが、「見とけよ!」とあなたに思わせたはずなので、
今回も、あっという間に建て直る事でしょう。
(ここから下は、長くなりますが昨日県民として感じた想いをダラダラと)
(長くてめんどくさい人は、ここで閉じてくださいね~)
さて、実は昨夜AM3:45~3:50くらいの5分間だけ、幻の首里城の記事をUPしてました。
たぶん100人くらいしか読んではいないと思うけど。
目の前でリアルタイムに燃えている首里城を3時に見て、
周囲は誰も起きてないし、
「こりゃ、伝えなければ!」と動画と共にブログをUP。
でも、これって俺の仕事じゃないよなと思ってすぐ削除。
もっと綺麗な映像でTV局が嫌と言うほどこれから流すだろうし、
燃えてる首里城の映像とか見たくないし(いまだにTV観てない)。
ただただ悲しかったので、「ただただ悲しい」とコメントも書いたけど、
これも俺の仕事じゃないよなと。
きっと明日には数万という同じ感想をみんなが書いてくれるだろうから。
「この事件が何を意味するのか?」という予想も、
「最近増設されたガイド用のコンセントが漏電したんだろうな」という憶測も、
「胸騒ぎがしていました!」という自慢も、
明日にはワイドショーのコメンテーターがやるはずのお仕事で、
どれも俺の仕事じゃないよなと思って5分後にはUPした記事を削除。
で、炎を見てから5時間後。
なんとかAM8時に絞り出したLINE。
元々3時にUPしていた記事が笑える話しだったのでそれに戻して。
でもタイトルがまさかの、「王さまの計算ミス」だったので(笑)、
そこだけは修正して。
完全に気持ちを切り替えて、1日を過ごした。
で、夜の11時になって。
映像もコメントも報道も俺の仕事じゃないけど、
大切な仕事を思い出した。
俺には、「未来の俺に、今日俺が何を思ったのか」を伝える仕事があると。
約20時間が経過した今の時点でさえ、
既にもう朝の気持ちを忘れかけているし。
10月31日のこと。
妻や子供たちとは別の部屋で一人で寝かせて頂いておりまして(夜泣きで起きないように)、
どれだけミリンちゃんが泣いても、夜中に目が覚めることは無い。
でも10月31日は、違った。
ふと、深夜に目が覚めた。
どうして深夜だと分かったかと言うと、空がまだ暗かったから。
カーテンが無い部屋なので、ベットから外の景色が見える。
目が覚めた瞬間、ソレは他の街路灯と同じ大きさの「点」だった。
事実、誰がどう観ても夜景に「街路灯」が1つ増えただけ。
気づく訳がない。
「ウォーリーを探せ」でもレベル99以上の小さな違い。
それでも人間とは不思議な生き物である。
なぜかその「街灯」に、異変を感じるのである。
↑これに他の夜景と同じ大きさの「光の粒」が1つ増えてるだけなのに、
なぜか気づくんだよ。
人間てすごいよね。
眠いけど台所までメガネを取りに行って、
かけると、なんだか「火のように」も見える。
そもそも視力0.1くらいなのに、どうしてさっき起きた瞬間に気づいたんだろう。
急いでベランダに出ると(この写真よりはまだ小さかったけど)「火だな」と分かり、
首里城だなと直観する。
これも不思議としか言えない。
なぜか「これは首里城だ」と直観するのだから。
時計を見ると3時過ぎ。誰も起きてない。
自分しか気づいて無いんじゃないか?と思って、動画を回して、
思想家みつろう@mitsu_low
いま、夜中にふと目が覚めたら、夜空を赤く染めて首里の街が燃えている。 位置が、たぶん首里城だと思う。 悲しすぎて目の前まっしろ。 https://t.co/KgDhLnPLPS
2019年10月31日 03:50
で、ブログを投稿した。
その後、込み上げる恐怖と不安、悲しみ。
そもそもあの首里城は、
おじいちゃんの、おじいちゃんの、おじいちゃんの、
おじいちゃんの、・・・・のおじいちゃんが住んでいた「家」でもある。
(楊氏ムンチュウは尚円王の子孫)
先祖の家が燃えている、沖縄の文化が壊れていく。
色んなことを考えたけど、とりあえずブログは削除。
悲しみを拡げても意味が無いし、
「意識の切り替え」を即すのが自分の役割だとシったから。
ただ遠くに燃え盛る炎を見て、
「儚い」という言葉の本当の意味をシった。
アレは世界遺産なのだから、最新式のセコムや火災報知器、消防に警察、
なによりも国中の人々が祈り、神々が守っているはずの建物だ。
それが、あっけなく燃えている。
ーはかないー
あの首里城があっさり「燃えれる」のだ。
どこにも「特別」なんて無いんだなと、目が覚める気分だった。
きっと神々に「守りたい特別なモノ」なんてどこにも無い。
そもそも、神さまなら「えこひいき」はしないからそれが当然だろう。
全てが特別だと思っているがゆえ、
「なにか」だけを守りたいなどと思うはずが無い。
「はかない」の本当の意味を痛感した瞬間、
またはあの揺れる炎がそうさせたのかもしれないが、
身体の奥から目が覚める気がした。
アレを燃やせるのだ。
人は死ねる。はかなく、人は死ねる。
きっとあっさりと。
「自分だけは誰かが守っている」だとか、
守護霊がどうとか、神々がどうとか・・・。
あの首里城をあっさりと燃やせるのだから、
「あなただけを守る」なんて、ありえない。
神を信じるなと言ってるんじゃない。
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神さまという存在が居るのなら、
それは恐ろしいくらいに「平等」であり、
「何かだけ」を守ろうという執着なんて絶対に無いだろう。
はかなさとは、恐ろしいくらいの平等さの事なのだ。
誰にも肩入れしない。
特別など無い。
だから、はかない。
人生は、はかない。
そして、ゆえに美しい。
偶然の上を僕らは渡り歩いているのだから。
そして、ウィキペディアを調べると何度も首里城を復興させてきたうちなんちゅの、
「たくましさ」を知る。
人生が「はかない」偶然の産物なら、
「はかない」に対抗できるのは、「たくましい」だけだと。
ほぼ発生と同時にその明かりになぜか気づいて、
明け方に鎮火するまでその炎を見続け、
はかない、うつくしい、たくましい
の本当の意味をシり、
で、もっともっと「目の前」を大切に生きた方が良いよ~とみんなに伝えたくなった。
「あなた」がいつまでも生きるなんて勘違いは、もう捨てた方が良い。
「私だけは特別だ」という想いも。
「守られている」という自負も。
僕らは偶然の上を渡り歩く存在、恐ろしいくらいに儚く。
もしも。
仮に。
「特別さ」というモノがあるとするならば、
確実に「あなた」よりも世界遺産の方が上だろうし、
「神々が守っている」という自負があるなら、
それも確実に首里城の方が上だろう。
そんな、あの首里城を燃やせるのだ。
人は死ねる、はかなく、死ねる。
だから、
たくましく、生きよう。
美しく生きよう。
偶然に生かされているとシりながら。
慢心を捨てて。
そんなことを、10月31日の午前三時に。
遠く、遠くに燃え盛る首里城を見つめながら、
ぼーっと考えていたよ⇒未来の自分へ。
↓で、昨日は「はかない、くれない、たくましい」という曲を作ったのですが、
僕の曲の最大抵抗勢力であります奥さまから、
「歌わない方が良いよ!」と言われたので、公開はいつかのどこかにお蔵入り。
僕らは「はかなく」も今を生きる存在。
人は死ねる、はかなく、人は死ねる。
もっともっと、目の前の事をていねいに生きよう。
永遠に生きれると慢心になってるから「悩み」が起こるのだ。
あなたは、死ねる。
「はかなく」、確実に、あなたは死ねる。
そして、その「はかない」の対義語?はきっと「たくましい」。
はかない人生だからこそ、たくましく。
建て直そう、壊れたモノは。
やり直そう、失った喜びがあるなら。
歩き出そう、偶然の線上を。
↓今日は下の2つのボタンを押す祭、
「はかない首里城が、沖縄人をたくましくした。」と言いながらポチ↓ポチ↓
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さとうみつろう
日本の作家・ミュージシャン。小学校6年生の長男コクトウ君と、2年生の長女ザラメちゃん、最近1才になった次女ミリンちゃんの3児のパパ。石垣島で生まれ中学は大分県、大学は北海道。社会を変えるためには「1人1人の意識の変革」が必要だと痛感し、大手エネルギー企業から独立。本の執筆や楽曲の発表を本格化し、初の著書がシリーズ累計30万部のメガヒットを記録。10代の若者を中心に多くの支持を集める。ところ…
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