「祈り」の対義語は、「願い」。
「願い」の同義語は、「不満」。
「不満」の対義語は、「感謝」。
「感謝」の別名は、「祈り」。
よって、
祈りとは、感謝すること。
誰の曲?ってLINEを沢山もらいましたが、
昨日のLIVEで歌った『風に向かって立つライオン』は、詩人さだまさしさんの曲。
その曲の、一番最後に、
「あなたの幸せを、祈っています。」
という歌詞がありました。
もしもこの部分が、
「あなたの幸せを、願っています。」
だったら、どうだろう?
ニュアンスの違いは些細だが、
意味は正反対である。
「願い」と「祈り」は真逆の行為だから。
想像してみてほしい。
「誰かの幸せを祈っている人」を。
その人はきっと、頭の中で「その誰かの幸せ」を思い描いているはずである。
「幸せである、その誰か」を、いまイメージしているはずである。
それが、祈りだから。
一方、
「誰かの幸せを願っている人」。
その人はきっと、頭の中で、「今、幸せじゃない誰か」を想像しながら、
「幸せじゃないこの人が、いつか幸せになりますように」と願っているはずだ。
「あなたの幸せを、祈っています。」
「あなたの幸せを、願っています。」
今ならその違いが、分かるはずだ。
これは「祈り」でも「願い」でもなく「ふざけて」る人
祈りの対義語は、願い。
願いの同義語は、不満。
不満の対義語は、感謝。
感謝の別名は、祈り。
よって、
祈りとは、感謝すること。
願いとは、目の前の現実とは異なるモノを要求する行為。
「これ」は嫌だから、「あれ」をください。
「ここ」は嫌だから、「どこか」へ連れて行ってください。
だから、願いとは、不満のこと。
願っている人は、「今そうである」と信じていない人。
ベンツに乗りながら、「神さま、ベンツに乗れますように」と願う人は居ない。
豪邸に住みながら、「神さま、豪邸にいつか住めますように」と願う人も居ない。
「今そうである」と信じている人は、感謝し祈っている人。
車を運転しながら、「車があることに感謝します」と祈る人。
晩ご飯を食べながら、「神さま、今日も食事を頂けることに感謝します」と祈る人。
祈っている人は、「今そうである」と信じている人で、
願っている人は、「今そうである」と信じていない人。
そして、量子力学の観測者効果。
観測者が、「そう」思ったから、「そう」観えるのが現実。
「わたし」が信じた通りに観えるのが、「せかい」。
新宿の『天空の祈り』へは、
祈りに、来てください。その聖なる秋分という瞬間に。
願いには、来ないでください。
信じてください、「既にそうである」あなたを。
何かを「得よう」と思って、来ないでください。
もう「総てである」あなたを想い出しに、来てください。
↓願いと祈りは、正反対の行為。
そして、願いとは不満のこと。
さらに、不満の真逆は、満足(感謝)。
よって、感謝こそが、祈りの本質である。
「もう、そうであること」に感謝するのである。
柿坂宮司の「宇宙の神さまを降ろします」発言もびっくりしたけど、
願いに来る人が多い会場より
(「そうじゃない」と信じている人が多い会場より)、
祈りに来る人が多い会場
(いま、そうであると信じている人たち)
の方が、神聖な場になる気がします。
祈ることは、信じる事。
願う事は、疑う事。
「叶えたい」ことは、叶わないけど、
「叶っている」ことは、叶えることが出来るよ。
縁があれば、秋分の日に柿坂宮司と一緒に祈りましょう。
↓今日は、下の二つのボタンを押す祭、
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