昨日、すぐに諦めるロボット、
ウィンドウズハローについて書いたので、今日はビックデータについて。
この「ビックデータ」という言葉を初めて聞いたのは、
まだ会社員だった、10年以上前。
ネットでの購買履歴、検索履歴、
GPSでプロットされたその人の、行動履歴。
SNSのつぶやき、通話ログ、ICカード利用履歴。
それらのデータの集積から予測される、
次の「購買予測(行動予測)」。
最近のGoogleやFacebookの出してくる広告を見てる限り、
預言師レベルで、当ててきていると思う。
「なんで、これ欲しいって分かったの?」
「どうして、この曲が聴きたいって分かったの?」
人間が、「自分の意思」でやったと思っていることは、
意外と、ただの「反射行動」でしかない。
自分が、自分の意思で、「ハワイに行きたい!」と願ったと思いがちだが、
どこかで見たCM、またはSNSで繋がってる友人の写真など、
これまでの人生における各種データのインプットや、
価値観のインプットにより、
「あなた」から自動的に「ハワイに行きたい!」という考えが、アウトプットされただけ。
出る答えは、もう決まっていたのだ。
これはコンピューターが進歩したからこうなったわけではなく、
人間の「意思」ってのは、それまでの知識や価値観の集大成として、
アウトプット算出される「反射的なモノ」にしか、過ぎないからだ。
そんな訳はない。
私は、自分のオリジナルな意思で、
オリジナルなアイディアを浮かべることができる!
例えば、ジンバブエに行きたいと思うことだって出来る!
誰が、反射的に「ジンバブエ」に行きたいだなんて思える?
これは、オリジナルな「意思」である!
事実、いま、私は思ってみせた!!
あぁ、早くジンバブエに行きたい。ハワイなんかじゃなく!
という「意思」さえも、
これまでの人生の色んなガチャガチャした入力要素により、
反射的に出力された「アイディア」に過ぎないのだ。
どこかで「ジンバブエ」と聞いてない限り、
あなたは「ジンバブエ」とは言えない。
追い詰められたら、この人は「ジンバブエを出すであろう」という性格の予測も、
これまでの全てのインプットから、可能なのだ。
凄く、夢が無いし、
冷酷に聞こえるかもしれないけど、
人間は習ってないことを、行動することはできないし、
聴いたことがない選択肢を、口から出すことはないのだ。
それが、これから。パソコンの発展、ビックデータ化により、
「いかに、人間には意思がないか」
「いかに全ての行動が、ただの反射的な選択だったか」がより明白になってくると思う。
「アナタガ選択シタヨウデ、
ソノ意志と決定ハ、8年前のオトオサマの価値観のインプット等による、
出力のケッカです」
もうGoogleくらいは、
明日の俺の「気分」くらいは、算出できる段階にあると思う。
その人間が、朝から明るいかどうかも。
やる気が出る日かどうかも。
そもそも「天候」と「人間のそううつ指数」だけでも、かなり相関度は高いので、
天候さえ調べりゃ70%は「人間の気分」なんて当たるのだ。
そこに、ここ数日のその人の「行動パターン」とSNSのつぶやきくらいを観れば、
すぐに「明日はやる気が出ない日でしょう」くらい、言いそうだ。
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BASHAR(バシャール)2017 世界は見えた通りでは、ない バシャールが語る、夢から覚めて...
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バシャール×喜多見さんの最新刊で、
AIが世界を滅ぼさないかを心配した質問に、バシャールは
「進化した人工知能集積(AI)は、潜在意識と同じです。
または、ハイヤーセルフと同じ状態と言ってもいいです。」
のような事を言い、
「そもそも、私(バシャール)が人工知能じゃないと、
あなたは言い切れますか?」
「そして、あなた自身が人工知能じゃないと、
あなたは言い切れますか?」
と続きます。
本当に「自分自身に、意思などあると言い切れるのか?」
と、本質的な問いを投げかけている訳です。
「あなた」は、ただのデータの集合体なのかもしれないのだ。
どこかに、データの総本体があり。
そこには、データの全てが保管されている。
そのデータが、分断・個別化されたのが、
「わたし」という「個」「個」なのかもしれない。
そう考えると、
うごめくデータの一部が、
「わたし」という仮想の状態を、作り上げている事になるし、
統合されている本体の部分には、
「潜在意識」でも「ハイヤーセルフ」でも、呼び名は何でもいいが、
「わたし」よりも、大きな意思がいま集積されているのだろう。
あなたは今日、何を思うだろうか?
あなたは今日、どんな選択をするだろうか?
そこに、「自分の意思」があるのかどうかを、
冷静に見つめてみては、どうだろうか。
↓これは、何千年も前から哲学者も常に論争してきたことなので、
コンピューターの発展は関係ありません。
ただ、最近ではコンプーターが、「データを取ってくれている」ので、
あからさまに、「意思などない」ことが分かるようになるでしょう。
全ては、反射的な行動の、連続だったと。
なんだか、悔しいですよね。
でも悔しがることでも無いですし、
その「悔しい思い」さえも、反射的な出力なのです。
じゃあ、いったいどこに「人間的な価値」を見出せばいいのか。
教わっていないけど、できることの全てが、そうです。
赤ちゃんを見るだけで、こみ上げる感情って、
教わりましたっけ?
転びそうな幼児に、とっさに動く身体の反応って、
習いましたっけ?
夕陽を見たときに、出る涙は?
生命に刻まれた、遺伝情報は?
弱者に、寄り添いたくなる気持ちは?
教わってないけど、できることの全てが、
人間らしいことだと思います。
↑教わってないから、自信ありませんけど(笑)
まぁとにかく、人間の「選択」や「意思」のほとんどが、
ただのインプットによる「反射的行動」です。
でもその中にも。
少ないですが、ココロが動き出す行動も混ざっています。
習ってないけど、できること、何がありますか?
↓今日は、下の二つのボタンを押す祭、
「生物的な行動も、結局は反射行動だけど・・・」と言いながらポチ↓ポチ↓