哲学とは、極端に考える学問です。

例えば、

「人間とは何か?」

の答えは、表面的にはサラサラと色々あるのだけれども、

端的に考える学問であるがゆえ、

「人間とは、考える葦である」

になる。




では、哲学的に考察すると、

山に登るのは、何のためだろう?

哲学者なら、

「降りるため」だと言うだろう。


山を登るという行為や、山頂からの風景を楽しむために登る、

なんて、一般的なことは言わない訳である。



「山に登るのは、降りるためである。」




21世紀きっての哲学者である、さとうみつろうさん。

彼は、思想だけじゃなく、生きざまも哲学的である。


昨日、彼は朝早く起きて。


「みつろうTVスタッフも東京に帰したし、やっと、スノボに行ける!」


と、意気揚々。

テイネ山へ、タクシーで登る。

着く。

タクシー降りる。

リフト券売り場へ行く。

「強風のためリフト、運休です」とねーちゃんに言われる。

タクシー呼ぶ。

やま、おりる。




ただ降りるために、山を登ったわけです。


だって、当代きっての哲学者だから。

よく、思想だけ哲学的な人は居る。

「山に登るのは、降りるためである」

って、口で言うだけ言って、ちゃんと山でスノボとかするやつ!!

まじ、カッコ悪い!!


行動が、伴ってない!!

だっさ!!





みつろう氏(ニーチェの八万倍哲学的)は、

行動からして、哲学者。

本当に、降りるためだけに、昨日、山に登ったのである。

3000円もタクシー代つかって。

ただ、山を降りるために。



生きるのは、死ぬためである。

「何かを、やる」のは、

「何かを、やらないでよくなるため」である。



服を着るのは、脱ぐためである。


この世で、何かを得るのは、

失うためである。


覚えるのは、忘れるためである。



ふー。

もう一回だけ、言うよ。



山に登るのは、降りるためである。





っけ。




あなたは、今日。

何のために、起きましたか?

寝るためです。


僕は、沖縄さ、帰ります。