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生まれたての赤ちゃんは、無条件に愛されています。
「赤ちゃんそのもの」が愛されています。
その証拠に、誰もが、赤ちゃんを胸に抱きたくなります。
ある日、おばあちゃんが「おべべ(可愛い洋服)」を買ってきました。
その「おべべ」が、あまりにも可愛かったもので、
抱っこする人の数は、急増!
赤ちゃん人気、うなぎ登り!
3才になったトキ、お風呂に入ろうと、
洗濯機へ「おべべ」を脱ぎ入れたその子は、気づいた。
ひょっとしてみんなは、「わたし」が好きなんじゃなくて、
「おべべ」が好きなんじゃないだろうか?
風呂場の鏡には、「おべべ」を脱いだ裸の「わたし」が写っていた。
彼女は、大きくなるまで、おしゃれにだけは気をつけるようになった。
「わたし」そのものじゃなくて、「おべべ」を着た私を、みんなは認めているのだから。
20才を超えて、魂のパートナーが現れ、
裸で抱き合ったトキ、「おべべ」じゃなく、「わたし」を愛している人に初めて出会った。
彼は、言った。
君は、そのままで美しい。君の「洋服」じゃなくて、君そのものを、僕は愛している。
この、「おべべ」を、「努力」に置き換えると、昨日の話しが、さらに分かりやすいでしょう。
生まれたトキは、何一つ「努力」しないでも、みんなが愛してくれた。
大きくなるにつれ、周囲は、「わたし」じゃなく、「努力」の方を褒めるようになった。
「頑張っていて、偉いね。」「もっと、頑張れるかな?」
その言葉が出る度に、
「わたし」はそのままの状態では魅力がなく、
「努力」を着続けないといけないと潜在意識下に思い込んだ。
だって、いつだってみんな、「努力」の方を褒めるのだから。
「わたし」じゃなくて。
「わたし」そのものを、褒められたことがない。
「わたし」そのものを褒めてあげるというのが、どういう状態だか分かるだろうか?
「努力」を褒めずに、「わたし」を褒めるとは?
=「あなた」のままで良いよ
=頑張らなくても(「努力」を着ていなくても、「あなた」なら大丈夫)
それを言える大人が、一人も居ないから、
日本に引きこもりの数は、60万人に達したそうです。
「頑張ってて、偉いね!」としか言えない大人が多いから、
社会人になって、ウツ病になる人が、100万人以上居るそうです。
精神科医によると、引きこもりが起こった時に、
「もう、頑張らないでいいんだよ」と言っても、もう遅いらしい。
逆に、分からなくなるそうだ。
「頑張れ」って言ったから、頑張ったのに、
今度は、「頑張るな」とか言い始める、この状況に。
14才のトキ、その引きこもりの少年に、母親は言った。
「頑張ろうよ!」って。
「勉強も、学校も、部活も、頑張ろうよ!」って。
「努力して、偉いね!」って。
どうして、「その子」そのものを、信じてあげられなかったんだろう。
母が「勉強」という努力をススメたトキ、その子は言っていた。
「僕は、ギターを弾いているトキは、楽しくて、時間を過ごすのが苦じゃない。」
でも、母は言った(「その子」を、疑った)。
「ギターで、生活していくことは、無理なのよ。勉強を頑張ろう。偉いね、努力して。」
それは、母親の勝手な「価値観」だった。
母
「わたしは、子供のあなたよりも人生「経験」があるから、分かるの!
ギターは、経済的に無理!絶対に、勉強するべきなの、努力して!」
子
「経済的に無理になっても、良いよ。
お金が無いとダメだっていうのは、誰の価値観なの?
お金が無くても、僕はギター弾いてたら、幸せなんだよ。」
母
「今は口でそう言うけど、後で絶対に後悔するの。分かるのよ!
あんたのお父さんがそうだった。
大人になって、わたしに感謝する日が来るから。私を信じて、頑張ってみて。」
「わたし」を疑っている人に、「私を信じて」と言われる、この矛盾・・・。
なにより、「ギター弾き」という人生を経験してない母親が、
なぜだか、「私は経験豊富だから、分かるのよ」と言い始める、怪奇現象・・・。
こうして大人たちは、「その子」自身は信じられず、「自分自身(母親)」の価値観だけを信じて、
彼に、「努力」をススメた。
引きこもってしまった、今に思えば、どうして、「その子自身」を信じてあげられなかったんだろう?
「その子」にとって、「勉強」が無理なジャンルだというだけで、
「その子」には、「音楽」だとか「創造」だとか、得意なジャンルが他にあったのに。
その得意なジャンルを、その子自身に教えてくれる信号波が、生まれながらに備わっているのに。
『ココロ』という名前の、ナビゲーションシステムが。
「努力」している人を、褒めてはいけません。
「おべべ」を褒め続けると、
「わたし」の魅力と自信を、「わたし」はドンドン失っていきます。
今日で、『努力』の話しを初めて、ちょうど、一週間経ちました。
この期間、コメント欄に、色んな反応を見るにつけ、
みんな必死にちゃんと生きているんだなぁと、その事が分かって、嬉しくなりました。
あなたは、そのままで、素敵です。
何をしていても、素敵です。
だから、「努力」をしていたって、素敵です。
素敵な、「あなた」が選択したことなんだから、「努力」さえも素敵です。
途中経過が目的である人生で、
あなたの人生に、起こる全ては、無駄じゃありません。
後悔も、挫折も、苦悩も、起こる全てが、輝いています。
でも・・。
少しずつ、
「頑張る人を褒めない」人が日本に増えていけば、
絶対に良い社会に成ることが、僕には分かっています。
高度成長期以降、「頑張れ」と言い続けてきた今の社会が、機能しているだろうか?
今日も、外に出れずに、泣いている人がたくさん居ます。
このブログは、根っからの明るいおばさんたちが多いもんで、
なかなか、コメント欄に書く勇気は無いと思いますが、
多くの、そんな「頑張ってきた」引きこもりさんたちが、
今日も、外に出れずに、このブログを読んでいることを、知っています。
だから、「頑張れ」の犠牲となったあなたのために、
僕も、「頑張って」みました。
今日で、もう『努力』の話しは終わります。
あなたに、ちゃんと届きましたか?
あなたの、部屋の外に、
「頑張ることを、褒めない大人」が多く増えることを、
「努力」じゃなくて、「あなた」の方を信じる大人が増えることを願っています。
なにより、もう、外は春だい(^^ゞ
散歩だけでも、してみないかい?
日本にも、きっと『良い芽』が出始めているよ。
なんか、一週間で『努力シリーズ』が出来上がったので、せっかくの『努力の執筆」を、順序にお読みください笑
順序良く読むと、分かりやすいと思います。
努力シリーズ④←これはメソッドだから、いつでも使えます。
↓2つの視点があります。
「大いなる私(真我=本当のわたし)」と、自我(普段、わたしだと錯覚しているわたし)。
後悔も、挫折も、苦悩も、起こる全てが完璧だとシっているのは、真我の視点です。
その視点では、『無駄な努力』なんてないと、分かっています。
スピリチュアル界では、この、悟った意識をゴリ押ししてきますが、
自我だって、大切な登場人物です。
その自我は、「出来ることなら、楽に生きたい」と願っています。
「努力も、後悔も素晴らしいかもしれないけど、出来ることなら、無駄な努力をしたくない。」と願っています。
僕は、彼も、大切にされるべきだと思います。
「努力を、よけたい」
良いじゃないか。
全ての人間が、それぞれに、絶対に、得意分野があります。
その「道」がどこなのかを、「ココロ」は教えてくれます。
世界中の山を登っている人が、こう言いました。
「頑張っていることなら、遅いや、早いの違いはあるにせよ、誰でもいつか折れるでしょう。」
自我が「好きなこと」へ、早めにシフトできたら良いですね。
↓今日は下の2つのボタンを押す際、
「努力を着てなくても、あなたは素敵。」ポチ↓ポチ↓
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