昔はよく、オムツの交換をしてあげていた甥っ子が、
久しぶりに会ってみると、もう大学生になっていて、しかも東大生だったりする。
すると大人たちは、
「すごいな、あっという間に成長したんだな。」と言う。
↑「良く考えてみたら、毎日勉強頑張っていたもんな」と続け、
↑「小学生の頃なんて、9時まで塾に行っていたしな」と言い、
↑「ほんとうによく成長したな」とつぶやく。
横で冷静に、この会話を見ていると、
「成長したな!」と言うのは、その人の都合勝手な解釈だと気づける。
例えばこれが、
久しぶりに甥っ子に会ってみたら、刑務所の中に入っていたとする。
すると、言うんだろう。
「落ちぶれたな」と。
↑「オムツを替えてあげていたあの頃は、純粋だったのに」
↑「小さい頃なんて、毎日夜遅くまで塾に通っていたのに」
↑「小学生の頃には、全国の模試で1位になったって言ってたのに」
↑「東大に入ったって聞いていたのに」
↓「いつの間にか、落ちぶれてしまったのか」って。
↑「成長したな」と言ったり、↓「落ちぶれてしまったな」と言ったり、
それは、言ったその人のただの解釈だ。
その人にとって都合の良いことを↑「成長した」と言い、
その人にとって都合の悪いことを↓「落ちぶれたな」と言うのだから。
全部、その人が決めつけた手前勝手な判断であり、
甥っ子は、↑「成長」もしてないし、↓「落ちぶれても」いないのだ。
ただただ、その甥っ子には、同じ量の「時間」→が流れただけだ。
あなたは今日も、誰かを見て、↑「立派な人だな!」と言うだろう。
または、誰かを見て、↓「オゲレツなヤツだな!」と言うだろう。
でも、知っておいて欲しい。
物理学的に見ると、その人たちには、同じ量のTIME→が流れただけで、
その人は、「成長」もしてないし、「落ちぶれ」てもいない。
手前勝手に、あなたが、その人の物理量である時間に、独自の解釈を添加しただけなのだ。
僕はいつも、この理論から、思うことがある。
老人ってエライ!って。
老人ってだけで、エライ!って。
だって、↑立派なのか、↓落ちぶれているのかは、見る人の主観が決めつけるので、アンフェアだけど、
見られているその人に流れた時間の量→はいつでも公平だから。
Aさんは今年で20才。国民栄誉賞を取るような人だとしよう。
Bさんは今年で80才。極道の人生で、悪いことを沢山してきた人。
たいていのひとは、↑「Aさんは立派だ」と言い、↓「Bさんは最悪だ」と言う。
でも、物理学者は公平だ。
「そんなの、見る側である、あなたたちの主観でしょ?」と冷静に言い放ち、
「Aさんには20TIMEが流れ、Bさんには80TIMEが流れているのだから、物理学上はAさんの方が劣性で、Bさんのほうが優性です。」と言う。
これは、誰が見ても、公平に、そうなる明確な解答だ。
老人は偉いのだ、老人と言うだけで。
なにより、基準が、あいまいじゃない。
とある審査員は、『浮気』の事を、マイナス1「↓」として加算する。
でも、一夫多妻制のアフリカに行けば、『沢山の女性と結婚すること」は、プラス1「↑」として加算されるのだ。
同じ、『浮気』という事象をとってみても、見る審査員によって、真逆の判定がつくのだ。
そんな事を積み重ねて、
『常識』という、その人(観測者)が勝手に決めつけた審査基準で評価を行い続け、
「あの人は、偉い!!」「あの人は、落ちぶれている!!」と言い、僕たちはこの日常を送っているのだ。
なんて、アホみたいなことをしてるんだろう。
誰が「立派」で誰が「落ちぶれている」かなんて、誰にも言えるわけがないのに。
今日はただ、覚えておいて欲しい。
「あの人は、立派だな!!!」と言うのは、いつでも、見た人の勝手な思い(観測者の勝手な解釈)込みだと。
「あの人って、落ちぶれたな!!」もまったく同じく、その人のカン違い。
言えることは、ただ一つ。
老人って、エライ!!!
Aさんの人生=↑↑↓↑↑
Bさんの人生=↓↓↓↓↓↓↓↑↓↓↓↓↓↓↑↓
(審査員の勝手な審査で「↓の向き↑」が変わる判定だと)
Aさんは総合すると+3=立派な人
Bさんは総合すると-12=悪い人
(矢印の「数」をカウントするという公正な判定結果)
Aさんは矢印の数が5
Bさんは矢印の数が16
矢じるしの「向き」じゃなくて、矢じるしの「数」だけが大切だから
今日は、敬老の日です。
そのおじぃーや、おばぁーの人生には、色んなことがあったのだろう。
つらかったこと、苦しかったこと、過ちを犯してしまったこと。
でも僕は、たとえその人が、世間的になんと呼ばれていようと、
ただ老人だという事だけで、尊敬の念が湧いてくる。
どれだけ、「落ちぶれた」と世間に評価されていようと、
その人は、立派に、矢じるし「→」を積み重ねてきた、物理学上のスーパーエリートなのだから。
曖昧な、世間の基準↑↓になんて、絶対に惑わされてはいけない。
「その人は、老人です。」
ただそれだけで、敬われてしかるべきです。
今日、大切なあなたのおじいちゃんや、おばあちゃんに会われる方は、
是非、その人の手を握りしめて、「いつも、ありがとうね」と言ってみてください。
その人の手のシワには、世間がどれだけ偏った基準で判断しようと、判定しきれない、公正なTIME量「⇒」が刻まれています。
おじいちゃん、おばあちゃん、いつも、ありがとう。
僕たちは、絶対に、戦争には、向かわないよ。
あなたたちが、守ってきた、唯一の「譲れない一線」だもんね。
ちょっと、涙が出てきたので、さようなら。
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だから、講演会のあとのハグの時に、僕より年齢が上の人にはいつだって、僕は言います。
「こんな若造が、偉そうなことを言ってしまい、すいませんでした」と。
全ての人が、「良いんです、楽しかったですよ」と言ってくれます。
「たましいの年齢では、みつろうさんの方が上だから」と言ってくる人も居ます。
でも僕は、この物理世界で「生きてきた、年輪(ねんりん)」、それだけが、公正な「量」だとシっているので、
年配者には、いつでも崇敬の念で接しています。
今日は、敬老の日です。
「ボケているから」、「スマフォの使い方も知らないから」、「おもらしするから」と、
あなたが、どれだけ、おじいちゃんを「下に」見ようと、物理学は公正です。
その人は、あなたをはるかに超えて、偉大です。
ただ、生きてきた。それだけを、証拠として。
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左翼だとか右翼だとかの思想を超えて、沖縄の老人たちは、譲れない一線に「戦争」を据えて生きています。
沖縄のおじーやおばーを見る度に、右や左という思想を唱える人の、自分勝手さを思います。
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