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(←昨日までの記事の続きです←)
阿部敏郎さんの自宅へお招き頂いたみつろう。
今日は、阿部さんとの会話の中で気づいた点を報告しときます。
一つ目は、「瞬間的な理解」について。
例えば、「緑という色は、緑色以外の全てで出来ている。」という
その説明を聴かずに、「なるほど!それは面白い!」
普通は、その背景(太陽光におけるスペクトルだとか、
「あぁ、なるほど!すごい!」となるはずなのに、
そんな説明なんて、まるで聴かずに、瞬間的に、「なるほど!」
(ちなみにその説明は⇒ここから)
他にも、
みつろう
「個々の「わたし」というのは、
あべ
「なるほど!これも面白い!」
みつろう
「あのぉ~?説明とか要らないんですか?
普通、説明した後に、『なるほど!』ってなる話しなんですが?」
一応、ウダウダと説明してみるみつろう(⇒こんな感じで)
でも、説明してる間より、最初の概論だけ聴いたトキの、
吹き出すように笑う、あの瞬間こそ、
二つ目には、「逆に理解できない」について。
阿部さんは、「全てがわたしで、
という宇宙館を感得し終えているので、
「分離した意識」における説明が、逆にピーンとこないケースも多
例えば、「パラレルワールド」についての話しになったトキに、
「わたし」(分離した方のわたしという視点)
「ていうか、その全てがわたしでしょ?」となるので、
一般的な説明だと、かみあわない。
幸い、阿部さん側の意図している視点も分かったので、
阿部さん側から説明すると、「こうこうこう」という意味で、
でも普通の人から見ると、「こうこうこう」の方の説明が、
と、二度説明する、みつろう。
もちろん、「理解できないわけではない」けど、
「もう、ピーンと来ない」という感じなのだろう。
視点が、ぐるりと変わってしまったのだから、当然なんだろう。
人間は、理解する前と、同じテンションで、
理解した後に、それを見ることが出来ないのだ。
それが理解(合一)だから。
分離しているからこそ、必死に求めているトキだからこそ、
それと一体となった瞬間の理解に、喜びが得られる。
このブログのコトバで言えば、
対生成した素粒子が、
疑問の発生とは、「対生成」の事である。
「答え」の粒子と「疑問」の粒子が、分離発生する。
両方の粒子がバラバラに存在している期間だけ、物質(この世)
そして、それらの粒子が出会う(解決)と、対消滅して消える。
対消滅の際のエネルギーは膨大で、それが「ワクワクや喜び」
ということで、阿部さん宅訪問で、気づいた2点でした。
上の「対生成と対消滅」については、
↓神さまは、昔言いましたね。
「神さまだけがトオトイなら、神さま以外は要らなかろうに。」
僕たちは、何かを目指して、
「目指しているトキのあなた」は、「達成した後のあなた」
そして、「ピーンと来ないあなた」と、「
同じモノなんです。
一者しか居ないなら、その中のどこかの部分だけが尊い、
あなたの身体の中で、左小指だけが、
「悟り人」と「悟りたい人」の価値に違いがあるわけがない。
この宇宙では、それぞれの数だけ、それぞれの価値が、
↓今日は下の二つのボタンを押す際、
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