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昨日の記事は、スピリチュアル界で言う所の、
「宇宙に委ねる」の論理的な説明です。
人間の聴覚が捕らえられる範囲は、非常に狭いけど、
人間には聴こえなだけで、
人間の視覚が捕らえられる範囲も非常に狭いけど、
人間には見えないだけで、もっと広大に景色は広がっている。
それらをトータルした、
人間には検知出来ないだけで、「何も無い」
実は無限にナニカが広がっている。
同じように、人間には、「信じる」
その守備範囲も、東京ドーム上の砂粒程度ですので、
人間には信じられないだけで、
「信じられない」の部分に、
もちろん、上の「聴こえるの原理」と同じで、
「信じられない」の部分を、あなたは「信じる」
でも、「見えない部分にも、赤外線も紫外線もあるんだな」と思え
「信じられない部分にも、解決策があるんだな」と思う事は、
「見えないけど、あるのだろう」と同様に、
「信じられないけど、あるのだろう(=どうにかなるのだろう(
これが、「あなた」という守備範囲を超えた部分を信じる気持ち、
=信じられない部分を、信じる気持ち
=宇宙に委ねる方法、なんです。
科学的に、分かっているんです。
人間に、「見えない」からと言って、そこに何も無いわけじゃない
人間には「見えない」だけであって、むしろそっちのほうにこそ、
じゃあ、あなたに「信じられない」からと言って、
あなたの信念「この方法じゃないと、解決できないはずだ」
その方法以外で、「どうにかなるはず」なんです。
てか、原理上、あなたのその方法以外の場所にこそ、
でも、人間は、「見えるものしか無い」
「わたしの信じるこの方法(=東京ドームの砂粒)」
でも、科学が、ソレ(外)を、教えてくれたんです。
見えてないのは、「あなた」だけですよ、って。
信じられてないのは、「あなた」だけですよ、って。
これが、昨日のキーワード、
「「あなた」には信じられないかもしれませんが、
さぁ、昨日、「信じられない部分を、信じてみて下さい」と言われ
大学受験の日を迎えました。
いつもだったら、「わたし」の信じる範囲内にある信念の中の、
「むっちゃ勉強したら合格する(を信じる=私の信念)」で、
「わたしの信念の、外を信じよう(=頑張らないという方法)」
「宇宙ちゃん♪あなたに任せたわよ、オホホホホ♪」と、
センター試験の前日に、徹夜でクラブで踊りまくりました。
「信じられない部分(=普段の信じるを超えた部分)」
すると、どうでしょう。
センター試験の問題を読んでる間、
大学に落ちてしまいました。
この人は、こう言うでしょう。
「「わたし」以外の部分を信じても、
じゃあ、みつろうは、こう言うでしょう。
「解決出来なかったじゃないか」と判断したのは、誰ですか?
それは、「あなた」でしょ?
あの、守備範囲が狭くて有名な、「あなた」でしょ?
「あなた」の信念を超えた部分を、信じて下さいと言ったのに、
またもや、「あなた」の信念が捕らえられる範囲で、
「大学に落ちたらダメである」も、=あなたの信念でしょ?
「あなた」の、信念の外側(大学に落ちると良いことがある)
なぜだかまた、「あなた」の信じる守備範囲に、
まったくもって、信じられない部分を、信じていない!!
まぁ、過激な例えでしたが、
センター試験の前日にクラブのセンターで踊っちゃうくらい、
人間にとって信じられない部分を信じてみるという事は、
長年のクセですから。
でも、せっかく、科学が教えてくれました。
「あなたは信じられないかもしれませんが、信じてみて下さい」
スピリチュアル界も、言いました。
「宇宙に全てを委ねてみて下さい」
じゃあ、方法論が分かったのだから、あとは実行あるのみです。
何が起こっても、「これで良いのだ!」
守備範囲の狭い「あなた」は、「これじゃだめだ」とすぐに言って
それでも、「コレで良いのだ!」と言い続けるわけです。
あなたが信じている事(このままじゃダメだ)の、
常に、何が起こっても、「コレで良いのだ!」
どこかで、「あなた」が判断しない限り、それが「悪いこと」
広大な部分である宇宙は、「あなた」以上の答えを、
この世は、起こるべきこと以外、起こせません。
「それで、良いのだ。」
↓こんな歌があります。
「たった今、わかったんだ、ミラーボールが回る最中に、
踊ることを辞めなければ、だれも、傷つかないなって。」
守備範囲のせまいことで有名な「あなた」は、
「このままだとダメだ!(=私の信念)」と言うでしょう。
じゃあ、簡単やがな。
その、外側にこそ、広大な答えが広がっているの法則、
常に、「これで良いのだ!(信じられないかもしれないけど、
「コレで良いのだ!、え?コレで良いなんて、
信じられないと言っている、お前の守備範囲の狭さは有名だからな!
よって、コレで良いのだ!の方を採用する!」
だから結局、何が起こっても、「良いんです」よ。
もちろん、いつも通りに必死に勉強しても、「良いんです」し、
ミラーボールと周り続けても、「良いんです」。
どこかで、それを「悪いんだ」と言わない限り、
大学に落ちた。それの何が悪いんですか?
就職できなかった。それの何が悪いんですか?
お金が無くなった。それの何が悪いんですか?
餓死しそうだ。それの何が悪いんですか?
てか、餓死した。それの何が悪いんですか?
それを、「悪い」と判断したのは、誰ですか?
いつでも、どのタイミングで、それを「悪い」と言ったならば、
それは守備範囲が狭いことで有名な「わたし」であり、
「わたし」の信念以外の部分に、無限は広がっています。
「あなたには、信じられないかもしれませんが、
実は、生まれてから、今日この日までも、ずーっと、あなたには、
「良いこと」だけしか起こりませんでした。
それを、守備範囲が狭いことで有名な「あなた」が、
「良いこと」と判断出来なかったかも知れませんが。
この世は、起こるべきこと以外、起こせませんし、それは全て、
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