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※一度、最後まで通して全て読んだ後に、各補足リンクをお読みください。

■わたしが消えた至福感さえも選べる場所


次に先生、「悟り」について教えていただきたい。
先程から話している通り、「わたし」とは真のわたしが自己を表現するために、この世に顕現した分離体です。
そして、真のわたしを、肉体を持ちながらに顕現する体験を、悟りと言います。セルフ・リアリゼーションと言われたりしますね。
ある聖人は、悟りには段階があると言っている。
第一段階で、「わたし」が消えて在るだけが残る。
第二段階で、在るさえも消える、と。


この世においてね、在るという感覚がなくなったらね、自分の身を守れないよ?
危険な色がを見えないとね、身を守れないよ?赤が危険であると見えないとね。だから、身を守るためにはね、私が在るは必要なの。あまり段階と言うのは気にしない方が良い。



最近では目覚めている人が沢山出てきています。その目覚めは、「わたし」の消失です。要するに、肉体を「わたし」では無いと看破した人たち。


えぇ、その状態はね、講演会に来られる中国の方でも沢山ね、明想を努力して得ていますね。その状態を体験している人は。
今回のセミナーでも、「どんどん膨らんでいく自分」を体験した受講者がいた。
でも怖くて、戻してしまったと。誰にも習ったことが無い境地だから怖くなって。で、恐怖を持った途端に、全てがはじけたの。
私は、もっともっと膨らませればよかったのにと言った。



なるほど、「わたし」の消失が起こったのですね。ちなみに、先程の聖人が言っている二段階目の、在るという感覚が消えたなら、何がそれを感覚しているのですか?


私が消えたと思っている私も無いの。
在るが無いと感じる存在も無いの。
だから、私が消えたという感覚があると言っている人がいるなら、まだなんですよ。消えたと思っているんだから。在るが無いとか在るとかいっているのであれば、まだなんですよ。
もちろん、私を肉体として消すのは大切ですよ。私が消えたと思っている私がそこに居ても、肉体を私とは思っていないのだから。私も追及していったのはそれです。


この「わたし」という感覚が消えたときに訪れる至福感が圧倒的だと伝える人が最近の日本には沢山います。でも僕はその言い方だと、ソレを求めてしまう人が出るので危険だと思うのですが?


本当に、すべてを超えていったら、全てを突き抜けたら、至福感すらもないの。でも私もあえて、教えることもあるよ。
分離で生きて苦しんでいる人たちにね、ここまでこれば至福だよと言う。
そうすればみんな努力するから。
でも、至福感さえも選ぶことが出来る場所まで、私が行けるの。
やっぱりここはね、理屈でも無くなるからね、それを信じて、突き進むしかないよ。「ぱっと」感じるのが、抜けるところまで頑張るしかない。
そこに入りきろうとする時は、それを感じて「あぁ!」と言うでしょう。
でも、それさえも抜けていってほしいの。


■カルキ・バガヴァンとOSHOラジニーシ

その光明(悟り)を得るための手法についてですが、「自己を鑑賞する」という手法があります。自分を自分以外の目で見つめる。要するに、肉体を超えた意識にチューニングを合わせることになる。インドで言えば、ヴィパッサナー瞑想とか。


えぇ、インドにね、カルキン・ヴァガバンという者が居て、おそらくその方もそれを伝えているでしょう。


ヴァガバンの話しは、後ほど聞こうと思っていました。他にもOSHO(ラジニーシ)も鑑賞法を勧めている。
ちなみに先生、ヴァガバンやOSHOの悟りのレベルと言うのは、どういう段階なんでしょうか?


カルキンが悟っているとか、OSHOが悟っているか、そういうのは、私の口を通しては絶対に何も言わない。私はこの身体を使って、そういった批判や判断をするために生まれてきたのではない。


なるほど、そうですよね。ちなみに、OSHOの存在は知っているんですか?


知っていると言うより、意識ではもう、すぐ見ようと思えば、会おうと思えば、そのものですからね、私は。また昔、OSHOの弟子たちにアシュラムに連れて行かれたこともあった。


そのOSHOやバガヴァンが進めている、自己を鑑賞する手法。
見るものとして、見られるものとなる。


そこをね、カルキンを学んできた者でね、非常に勘違いしている人がいる。で、それを教え広める人もいる。だから、それは広めるには非常に難しい話しなのね。
だって、自分自身が体験していないから。
ここ(真のわたし)そのものでないと説けないものを、説こうとしているから。


そうですね、「教え」が、教えた人とは違う解釈で広まることは多多ある。ブッダもそうだったでしょう。彼の死後に、彼の言葉を思い出すことで仏教は始まったのだから。


フランスで私の講演会場に、イエス・キリストが肉体を持って顕れた時、キリストはこう言った。
「今のキリスト教を残念に思う。私は、私だけがキリストと説いたことは無い。それなのに、今の教えでは、私だけがキリストだと分離させて、とんでも無い方向に導いている。あなた(上江洲先生)が、本当のキリストを理解し世界に説いている事、大変嬉しく思う。真実のキリストをこれからも説いて欲しい。」
そう言って、スッと消えた。


なるほど、だから、バガヴァンやOSHOの教えが、間違って広まることもあるのでしょう。ちなみに、「手法として」は、自己を鑑賞するという手法はどうですか?


それは間違いではないです。
自分なりに努力して、ここ(個我)にいる自分を、上の方のここから見ている人はいっぱいいると思うの。私はそれを、宝玉と名付けて、見つめさせている。(宝玉明想)。
宝玉はね、わたしを見つめるために、させている。
私はね、それに、名前をつけたの、宝玉と。それは、全てを見ている自分。
だから、やりかたは、同じ、説き方の違い。
とにかく、寝ても覚めても見つめ続けるということは、大事ですよ。


■完全なるフィルターでの瞑想の伝授

瞑想の伝授というのがあるのですが、どうですか?例えば、ディクシャとか。


完全に高まった状態で、相手のカルマを全てリーディングすればね、体験させることはね可能です。相手がどの程度カルマを克服してきたのか。この相手に、いま、それを見せて良いのならば、見せれます。
で、私の教えと、一番似ているのが、クリアヨーガの、ババジです。
ババジの教えは、ラヒリ・マハサヤ⇒スリ・ユクテスワ⇒パラマハンサ・ヨガナンダと受け継がれています。
キリスト教、仏教、ヒンドゥー教が、今日まで存在しているのと同じように、系統として繋がっているからです。
やっぱり、数学でも、どの角度から学び教わって来たかによって、それが自分に定着するの。それ以外の方法からの学びが苦手になるの。
例えば、私の育った南米では、日本の割り算とは逆の手法で生徒に教える。そういう状態での、系統というのが存在するの。
で、やっぱり、クリアヨーガを教え説いている者にも、それなりに伝授の仕方とかがあるけども、いま、あなたにそれを体験させると、あなたの電線が準備できていなければ、焼き焦がれてしまうの。


じゃあ、伝授している人は問題ない?


問題ないです。でもその教えている人がそこまで至っているかはね、問題ですね。
例えば、憎しみや怒りを持っている者がね、誰かにエネルギーを通したときには、憎しみしか伝わらない。だから、このフィルターがどの程度のものかによる。
完全なる状態でディクシャすれば、問題は無い。
だから、伝授をしているフィルターが一点の汚れも無い状態でするべきです
もし、私がフィルターとなって、あなたに憎しみを伝えると、わたしは罪を作ることになるよ。
なぜ、磨かれてない者が、相手の前に立つのか、となるよ。
せっかく、悟りに一歩でも近づきたいと頑張っている人に、変なエネルギーを送ると、私は大変なカルマを作っちゃうよ。
イエスやお釈迦さまがね、ヒーリングできたのは、完全なフィルターだったから
出来たんです。
私は、30~40年かけて、ここに辿り着いたの。
完璧な、詰まりの無いヒーリングを追及してきて、それを掴んだの。


■全てが一つだから、間違いが素晴らしい


批判するつもりは無いのですが、ダルシャンなどの形で、多額の金額をとっている人も居ます。
補足リンク




私も沢山見てきた。でも、さとうさんが言った通り、それを、良いとか悪いとか判断するものではない。ただ、このフィルターを知って欲しいとは言う。


この世界は、波動の世界だから、準備が出来ていない人の前に、聖なる存在が現れることはないと思っています。引き寄せの法則に反する現象は、この世界では観測されない。だから、その人の波動に合った現象が、その人の目の前に展開するだけです。
もちろん、ネガティブな波動を持った人の前に、ネガティブな伝授者が行くのも、引き寄せの一つであって、それぞれが、波動で引き付けるのだから、どこかで高い瞑想料金を払ってやっていたとしても、それを批判する権利は誰にも無い。


そうです。私に、批判する権利は無いですし、何者にもね、批判する権利も、こちらへ引っ張る権利も無い。
だから私は、命を賭して、努力してつかんだこのヒーリングを伝えるだけなの。



批判する権利は無いし、そしてまた、上江洲先生の方が素晴らしくて、彼らは駄目だと、上下をつけることも出来ない。彼らが悪いというわけではない。


あり得ない。なぜ、一つの中にね、高い低い、大きい小さい、良い悪いがあるのと。
そう思うならばね、一つじゃないですよ。
なぜ、一元なのか。何かを「上」と「下」と見えるのなら、それは分離ですからね。


すると全てが素晴らしいということになる。「素晴らしくない」も、素晴らしくない素晴らしさがある。こうして宇宙は全てが調和していて、何一つ、要らないことは起こっていない。というか、原理的に、起こる必要が無いことは、起こらない。
補足リンク


その通り。起こる必要が無いものは、起これない。戦争は必要だったから、起こった。全てがそう。起こるべくして。
でも、もし私が、講演会で理解なき者にそう語ると、「お前は子供を失ったことがあるのか」と批判される。だから、そこら辺は上手く説明しないといけませんね。


■実態も知らないモノを怖れているあなた方の方が怖い

僕も東日本大震災についてブログで書きました。もちろん読者にも被災者が居るので、「起こるべくして起こった」だなんて、ストレートには書けなかった。でも、真実を伝えるために、「あなたの今置かれている状況を、より良い方向へ向けましょう」と書きました。
すると、福島の被災者から、「どうして僕たちなの?どうして他の人じゃないの?これが運命だとは受け入れられなくて、一年は苦しんだ。でも、みつろうさんのブログで、前を向いて歩いて行く気になれました」とメッセージが来た。ぶっきらぼうに書いてあるメールだったけど、僕は感動して泣いた。この人は、理解してくれたし、前を向いてくれた。それを選択してくれた。
だから、起こる必要が無くて起こることは絶対に無い。例え、「死」が起こっても、ソレさえも「悪い」と判断しなければ大丈夫だと言っている。誰が、「死」を悪いと決めたのかと。
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そうですね。あなたがたは、死ぬことがね、悪いことだと思っているの?と私も光話で言うよ。
死ぬことは、成長することなの。
でもみんな、死が怖い。
中国で、「幽霊が怖い」と質問した人が居た。
で、私はね、幽霊とは何かって言うの。見たことあるの?と。すると、無いと言う。じゃあなぜ、見たことが無いモノが怖いの?と言うと、親から教えられたと言うの。
実態も知らずにね、「怖い」というあなた方のほうがね、よっぽど怖いと私は言うの。
補足リンク


そうですね。「死」は誰も知らない、だからこそみんな怖がる。でも、起こることしか起こらないのであれば、「死」が起こったとしても、それは必要だったからとなる。もちろん、だからこそ、被災地に生まれる事を選択した読者達は、本当に素晴らしいと思う。僕には無理ですよ。僕にはその選択する勇気はありませんよ。


そう、だから、全ての全て、あなた方の体験・経験はね、一点の狂いのない神の計算ですとしか言えない。
もし、決められていないことがそこに起こるとか言うならば、起こらなくてもいいことが起こるというのならばね、法則は破綻しますよ。


■私は、今すぐここに100万円を出現させる事が出来ますよ

この現象世界というのは、波動の世界です。全ての物体が、それぞれに固有に振動しています。そして、ある固有の振動物は、その振動数に応じて、他の振動物と共振する。だから、人間が五感を通じて、何かを感じるのは、その人間の波動に引っかかるからです。白い壁が目の前に見えるなら、白い壁とあなたが、波動的に引っかかるから。逆に、引っかからないものは、絶対に見えないし、聞こえない。
これを、アメリカのある夫妻が、引き寄せの法則と名付け、若い人にも反響を呼んだ。
要するに、思考が現実化する。又は、「あなたの信じるモノをあなたは見る」。あなたの世界に、あなたが思考していないモノが顕れることは絶対に無い、と。


そのとおり。思考は実現の母、想念はモノを生み出す力だよと私も講演する。全部ここの世界は、あなた方の思いが具現化させた世界だと説いている。狂いない計算の元、あなたが作っている。


ここで、引き寄せの法則は言います。「あなたの思考と共振出来るモノを、あなたは見るので、望むものを引き寄せることが出来る」と。だから、あなたが望むモノをイメージしなさいと。この手法は素晴らしいことです。僕もイメージングは勧めています。
ただ、『思考を支える思考』というのがある。「100万円欲しい」と考えている人に、どうして欲しいのと聞くと、「100万円が無いから」と言う。「100万円が無い」と思考していることになる。幸せになりたいと言う人に、どうして?と聞くと、「幸せじゃないから」と言う。【あなたの思考が現実化する】が法則なのだから、「幸せじゃ無い」とあなたが考えた通りの現実となる。
補足リンク


私はね、全てを超えた者としてはね、「ここに100万円欲しい」とはならないよ。「ここに100万円がある」で、即実現ですよ。


す、凄い。でも、僕たちのように個我として生きている者は、どうしても二面として見つめてしまう。


「健康になろう」は、病気を認めているから、健康になろうなの。全て、二面を見ているの。そうじゃない、すでにそれそのものなの。


■あるからこそ無いと思える、無いものは無いとすら思えない


そうです。無いものは、「無いと思うことすら出来ない」と僕はよく言っている。在るから、それが無いと言えるのであって、本当に無いものなら、「無い」とすら言えないはずです。だから、「100万円が今ここに在る、が無い。」だし、「幸せがここに在る、が無い」です。
補足リンク



当たっている。全てが、在るなの。何もかもが、在るの。全てが、備え与えられているの。あるが全てなの。


でも、僕たちは、それを「無い」側から見つめてしまう。さっきの【思考を支える思考】もそうです。でも、イメージングしている最中は、それを、在るから見つめていることになる。だから、イメージングは悪くないと思うのですが?


あると思うイメージは、良いですね。どんなイメージでもね、無いものは絶対にイメージできないの。あるから、イメージできるの。その世界がね、あるの。


全てがあるのは、理論的にもわかるんです。無いものは、無いとすら思えないのだから。
何が無いの?と聞くと、「○○が無い」と答える。おい、じゃあ、あるじゃんってね。
それでも、僕たちは、ある方向からじゃなく、無い方向からしか見つめられないんです。じゃあ、どうすれば、「ある」方向から見れるのか。
僕が思うに、それをどの方向から見るかを決めるのは、こいつ(一つなるモノ)ですね。
方向を選ぶ権利は、ここ(真のわたし)が持っているんじゃ?
補足リンク



そうです。その通りです。


じゃあもうどうやったって、ぼくたちは、これ(一つなるモノ)を目指すしかないじゃないですか。引き寄せの法則にしろ、わたし探しにしろ、結局ここをゴールに据えている。


そうです、全ての全てが、そこを目指させるように出来上がっています。全てが一つなんですから。


■全ては一つだったと言っているのは、科学者


先生、「全ては一つだった」と言ってるのは、実は科学者なんです。精神世界でも宗教でもなく、科学が言っているんです。ビックバンが、インフレーションが起こったって。宇宙にある全てのモノは、もともとは、一つだったと。
科学界のトップに居る人は、だいたい精神世界の人と同じことを言っています。多分、スピリチュアルが言うことを理解出来ないのは、中途半端なレベルの学者だけです。だから、最近の科学は凄いと思っている。


えぇ、今の宗教よりはね、全然ましです。
今の宗教は、何かをたてまつって、拝みますよね?
でも、全てが、そのものが私ならば、なぜそこに偶像崇拝が始まるのと。
宗教とは初めから、あなたの中に在る無限の科学、無限の医学であるはず。
これが真の宗教です。
でも、今は、ありません。
だから、いまの宗教よりもね、科学のほうがずっと上だと、私は言う。
本当はね、科学であれ、医学であれ、宗教であれ、何であれ、一つの中にあるのだから、分けようとするからおかしなことになる。
この前、光話で説明したんだけどね、ある所に5人の男が居た。彼らに目隠しをして、そこに像を連れてきた。で、牙を触ったものは、「像とはニンジンのようなものである」と言った。耳を触った者はね、「ぞうとは扇のようなモノだ」と言った。尻尾を触った者は、「縄のようなものである」と。
じゃあね、ひとりびとりは、部分を見たのであってね、全体をつかんだのかと。
全体をつかんだのであれば、医学であれ科学であれ、宗教であれ、全ては一つです。
突き詰めていけば、そこ(一つなるもの)にしか行かない。


例えば、ノーベル物理学賞を取った南部陽一郎先生という方が居る。
当時、南部先生と同時に受賞した小林先生が、「ノーベル賞をもらえたことよりも、尊敬する南部先生と同時にもらえたことが嬉しい」と発言するほど、素粒子物理学者の間でも、神さま扱いされている方なんです。
その南部先生は、日本人で一番天才だと言われているほど、さまざまな先進的な理論をこの世にもたらした。そして、それらは全て、夢の中で見て、起きてすぐにメモを取っていたとのことです。要するに、瞑想を使ってこの世に持ちこんだ。


真我に到達するにも、いろんなタイプがいてね、目を閉じてその中で掴む者もいる。夢の中で掴む者もいるしね。だから、瞑想と言っても、さまざまなパターンがある。


先生のお話しの中で好きな言葉に、「目をつむってする瞑想に何の意味があるのか?」というのがあります。


そうです。日常が一つじゃ無ければ、何の意味があるのか。目をつむっているトキは神と繋がって、目を開けたら個我として生きる。それだと意味がない。生活が瞑想、仕事が瞑想、日々が瞑想。だから、明想というの。日々の生活が一番大事と説いている。


(⇒明日に続きます)




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