昨日のブログの続きです。
ドラマのようにいいところで終わらせてしまいました。
今日は、私に起こった物語の続きです。
ドアの向こうに
震える手
この後のことを何も考えられずにいました。なんて言えばいいか…
頭の声が不安をいろいろ言い出しそうでしたが思い切ってインターフォンを押しました。
後はなるようになる。
「ピンポーン」
その音がやけにリアルに聞こえ、その後
「どちら様ですか?」
そう声が聞こえました。
反射的に「◯◯です」と自分の苗字を名乗りましたが
「え?どちら様ですか?」
再度聞かれました。
明らかに知らない人が訪れた時の反応に、思わずこたえました。
「娘のみつこです」
体が一気に熱くなるのを感じました。
「えっ!?えっ??
ちょ、ちょっと待ってね」
そう言われて、体中に血液がまわっているような、喉に込み上げてくる感じがあり
そっと目を閉じました。
出てきてくれるのか、わかりません。
目を閉じて、大きく息を吸ってはいてしばらくたって
もうどっちでもいいや
そんなことを思った時
ドアが開きました。
そこには、痩せ細った女性がいて
咳をしながら
「どうぞ、入って」
そう言って背を向けて家の中に入って行きました。
「突然すみません。お邪魔します」
そう言って、私も家の中に入りました。
言いたかった言葉
3LDKの都営住宅
突然押しかけたけれど、片付いた部屋
玄関から入ってすぐのリビングにはソファとマッサージチェアが置かれ、飾り棚には祖母の写真など飾られていました。
ティシャツに膝丈のパンツを履いた母は、
「こんな格好でごめんなさい。」
「散らかってて、掃除もしてなくて…」
そう私と目を合わさずに言いました。
私もなんて言ったらいいかわからずにでた言葉は
「いえ、突然来てしまってごめんなさい」
そう返すと
「ここすぐわかった?
私、あなたに合わせる顔がなくて、ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね…」
そんな言葉を母が発した後、
もう言葉はいらなくて
どちらからともなく
ハグをしました。
震える母の腕、痩せ細った身体から伝わってくる体温、息を震えながら吸い込む音を感じながら、
私の体も震え、体いっぱいに温かさを感じ
喉に熱いものが込み上げて来ました。
言いたい、そう思った時には口に出ていました。
それは、何度も何度も自分の口を塞いで、自分に禁止していた言葉
「お母さん」
そう口が動いてその音が耳に入った時、涙が溢れました。
ただ、その言葉をずっと言いたかったんだと
体の中にもう一人の小さな私
インナーチャイルドのみつこちゃんを感じて、目を閉じました。
温かくて、ずっとこうしたかったのだと
次々に涙が出て
母も泣いているのがわかりました。
「お母さん」
皮肉なことに、私はこの言葉を日頃から人より多く使っています。
保育士をしているので
「◯◯ちゃんのお母さん」と呼ぶこともあるし
朝泣いている子どもに
「お母さんがいいよね。わかったよ。」などと声をかけています。
「お母さんがいいよね。わかったよ」
本当は、その声をかけて欲しかったのは、私なのかもしれません。
そこから、母といろいろな話をしました。
母がどのように暮らしているのか
病気話
それから、私と離れてからの44年間、どうやって生きてきたのか
母は再婚していて、子どもはいないけれど、7年前にご主人を亡くしたけれど、幸せだった
ご主人はとても優しい人だったと言いました。
その言葉、以前の私なら耐えられなかったと思います。
私を捨てて自分だけ幸せに?
って思ったかもしれません。
病気になる前は、仕事もしていて年に数回海外にも行っていたとのこと。
母が幸せでいてくれることに嬉しさが湧きました。
母の愛だった
幸せな話だけではなくて
父との離婚に至るまでの話しで
母は、父との生活が本当に苦しくなり死のうと思ったことがあって
子どもをおいて死ねないと
一緒に死のうと
寝ている子どもの首を絞めようと思って手を伸ばしたことがあって
その時に、もうここにいてはいけないと思うほど追い詰められ
家を出て行ったとのことを打ち明けてくれました。
「許されないことをした」
と何度も何度も謝る母に
「今ここに こうしていてくれればそれでいい」
そう伝えました。
出て行ったことも、母の愛だったのだとはじめて知りました。
また、「あなたは、若い頃の私にそっくりよ」
「年取ったらこんな顔になるわよ」
そんなことを言われて
幼い頃に、私をみて母に似てると言われると母が嬉しそうにしていたおぼろげな記憶を思い出しました。
本当は、愛されていたんだなぁと思いました。
私の物語はあと少し続きがありますが、長くなるのでまた明日書きます。
よかったら明日も読みにきてください。