志賀 廣太郎さんとの思い出 | ヒーリング・カウンセラー  天里美月

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私の恩師だった志賀  廣太郎さんが、20日に亡くなっていたというニュースが今日飛び込んできました。




大変ショックを受けております。






30年も昔になりますが、志賀  廣太郎さんは当時女優見習いだった私の演劇の恩師でありました。




色々教えて頂きましたのは一年と少しだったと思いますが、実父とは疎遠がちだった分、以来志賀先生は父親のような存在でありました。




当時自宅が同じ方向でしたので、お稽古が終わると小田急線で何人かのお仲間といつも一緒に帰ったこと




お借りした衣装のお礼に、実家から届いたじゃが芋をお裾分けしたら、次のお稽古ではとても美味しいポテトサラダを作ってお持ちくださったこと




長女を授かり、悩んでいたときに
「演劇がしたいのか、業界に居たいのか?」
と尋ねられ、
私は演劇がしたいのだと答えると
「それなら、じゃいつでも戻れるさ。」
と言っていただいたこと




色々あった人生の岐路に
「毀誉褒貶は輝いているからこそだ」
と言ってくださったこと




後日電話でお礼をお伝えしたら
「俺、そんなこと言ったっけ」
なんて照れておられたこと




志賀先生を「じーじ」と呼ぶ私の子供たちを連れて何度もお邪魔した駒場アゴラ劇場や世田谷区パブリックシアター




クリスマス渋滞で大幅に到着が遅れてしまった江古田の劇場





次回の舞台のチラシを送ってくださる時の達筆な文字





.....沢山の思い出と共に、志賀先生からの叱咤激励があの素敵なバリトンボイスで蘇り、未だ涙が止まりません。




最後にお会いしたのが2014年、青山演劇劇場のナイロン100℃の御出演後
シンガポールに行くってお話ししたら、目を丸くされてましたね。
その頃から体調はあまり良くないとおっしゃっていながら、いつも休み無く御出演されていて...




実はゲーマーで、私の当時慣れない寂しい海外生活の中で時々送られてくるLINEゲームのクローバー🍀
ああ、今日もお元気なんだというメッセージでもあり、撮影の待ち時間退屈されているのかしら(笑)と思いクスッとしたり、何処か繋がりを感じて嬉しかったです。




出逢ったときの先生の年齢を私はすっかり超えてしまいましたが、あの時の先生には精神が未だ少しも追いついていない気がします。




今年の旧正月前に志賀先生の夢を見ました。
夢の中で病院にお見舞いに行ったら、志賀先生の身体が赤ちゃんのように小さくなっていて、しかしながら若々しく嬉しそうに笑っていて、志賀先生の魂がこの世を去る準備をしている気がして、大慌てで旅先からカードをお送りしましたが、ご覧になったかはわかりません。




それでも今年、更に遠くの国に行く私にとってはこの近況報告をどうしてもしたかったのです。




私の人生に様々な影響を与えてくださりありがとうございました。




「○○田(私の旧姓)もっといい写真出せよ。」
という声が聞こえるので、生徒だった時代に1番近い写真を探しました。




長い間の痛みや苦しみから解放されて、どうか安らかに旅立って行けますように




感謝を込めて心からご冥福をお祈りいたします。




ありがとうございました。









それにしても切ない。






逢いたいな....