私は何になりたいのか?
そんなことを考えるようになったから私も歳か、それともそんな状況に追い込まれているからか。
一時期、やたらめったらネット上に言葉を書き散らしたことがある。
そして今はもすごい数の写真をネット上に公開するようになった。
(このブログにアップしている画像は、なんと694枚!)
言葉があって、それに見合う写真を添えるよりも、まず写真があって、それに言葉を付け足す感じになっている。
多くの言葉より1枚の写真。
見ればわかるとは、とても簡単な伝達手段であるようだけれども、これがまた難しい。
言葉も写真もどちらも自己満足の枠を少しだけはみ出している。
自分ひとりの楽しみならわざわざオープンな不特定多数のネット上に公開しなければいい。
この行動は何なのか?
ふと思ったのが、もしかして私は表現者になりたいのではないのだろうか。
でも、自分ひとりで私は表現者と思ってみても、表現者とは第三者からみてあなたは表現者と言われなければなれないものだと思う。
まして表現者として生計を立てるつもりもない。
空いている時間にじゅうぶん写真などは撮れるからだ。
ただ、今は生計を立てる術を失うまでのタイムリミットが迫っていてぼう然としている。