古事記の暗号 | 旅ノカケラ

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▼某月某日

思うところがあって図書館に行き『易経』を捜し求めた。
そして、読んではみたものの、さっぱりわからない。
わたしには学がないからであろうか。
字づらを追っていると眠たくなってしまった。
『易経』は元々、占いのテキストであった。
誰でも「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉を1度は耳にしたことがあると思う。
森羅万象は『陽』と『陰』とで成り立ち、物事は『陽』と『陰』の組み合わせで相対的に存在し、物事が進んでいくと考えられている。
『陽』と『陰』の組み合わせを『八卦』と呼び、物事の道理を説いている。
四季は春夏秋冬と巡り、再び春が訪れる。
よって不変の事象であるといえる。
当たり前といえば当たり前。
今ならば科学的に四季の変化も説明が出来るだろう。
しかし、太古の昔は不変な事象に哲学的に道理を見出した。
だから、占いというよりも哲学ともいえる。
わたしは占いに興味があって『易経』を開いたわけではない。
物事の道理の本質を知りたかったのだ。
きっかけは藤村由加『古事記の暗号』を手にしたことによる。
たまたま都心に電車で行き、たまたま歩いた通りにあった小さな古書店に入り、たまたま棚に並んでいた本に目がとまった。
まったく古事記など興味もなかったが、手に取ってしまった。
裏表紙に、こんな言葉がかかれていた。
『お伽噺として知られていても、裏に潜む真意は不明のまま。白兎や鮫が登場する理由は何か。八俣の大蛇は何かの象徴か。大国主神が担ぐ袋の中身は何を意味するのか・・・??』
あれ?
「いなばのしろうさぎ」や「やまたのおろち」って、古事記の話だったの?
そうい、や幼い頃に昔話として聞いたり、絵本を見たような。
話は話として、なぜ?なんて思いもつかなかった。
でも、疑問を投げかけられると、真相を知りたくなってしまう。
そんなわけで、その場でページをめくると、とても読み易い文章で1ページが2ページ、2ページが3ページと読み進んでしまった。
いかん、いかん、このままでは買ってしまいそう。
新古書店なら100円で売っているかもしれないと、ページを飛ばして開いたところを読み始める。
またしても1ページ、2ページと読めてしまう。
まずい、まずい、といったん本を棚に返して店内をぐるりを他の本を眺めながら一周した。
それでも気になって、とうとう買ってしまったのだ。
これが読み始めたら面白くて、寝る前の読書が楽しみになった。
古事記に興味なくても、古文の授業で受けた文法をしらなくても、おおいに楽しめる。
そして、知的好奇心をおおいにくすぐってくれる。
ひとくちで、この本の内容を示せば、古事記を解くカギは『易経』の『陰』と『陽』に基づいて書かれているというのだ。
子供でもわかるお伽噺には無駄な文章は1行もなく、すべて筋が通っている。
1つの疑問が沸くたびにわかり易い文章で解き明かしてくれ説明してくれる。
へぇーと思いながら読者自身が謎解きしているような気分にさせてくれるのだった。
でも、1つ不満だったことは、『易経』にはこう書かれているからこういう意味だと作者だけが楽しんでいるように思えて、『易経』そのものを紐解いて、なるほどとわたし自身も楽しみたいと思ってしまったことである。

『易経』そのものは挫折したけれど、藤村由加の他の著書も読んでみたい今日この頃である。