▼某月某日
インターネットで個人のことを書くことは、どうかと思うが有名人なら有名税と思って欲しい。
コンサート会場で作家の田口ランディさんを拝見した。
まぁ、ランディさんは主催者のひとりでもあり、トークの予定もあったので、会場に行けば「生」ランディさんを誰でも見れるわけです。
ぼくがランディさんの本と出会ったのは、はじめて屋久島に滞在したときにお世話になっていた宿の本棚に並んでいたハードカーバー本「癒しの森」を手にしたときでした。そのときはページをペラペラめくったぐらいで、さほど印象に残らなかった。その後、2回目に屋久島を訪れたら、すっかり島に魅せられてしまい島を離れてからも頭の中から屋久島が離れず、手当たりしだい屋久島が書かれている本を乱読した。そこで再び「癒しの森」に出会い、ランディさんの名前もしっかり体の中に刻み込まれました。
「癒しの森」は、すごくよく出来ていると思う。
体験談ではあるけれども、文章を読んで屋久島に行ってみたくなる衝動に駆られるし、自然しかない島だから自然の中で遊んだことのない人はどこに行けばいいかわからないけれども、本の中に書かれている場所に行けば何か感じるかもしれないというガイド入門的な役割も担っているのだよ。
それから何冊かランディさんの本を読んでみた。
さて、ランディさんは、どうだったか?
あいにく壇上から距離がある席だったため、トークする顔ははっきりとわからなかった。
声は明るく張りがあり、元気いっぱいな感じ。
トークはランディさんのほかに巻上公一さんがいらして、あーだ、こーだとふたりで話され、途中からボロットさんも交えて進行しました。
ランディさんをみていると、まったく話を聞いていない素振りなんだが(ぼくにはそんな風に見えた)、相手が話した中に疑問があるとズバッと質問したりして、あれ?ちゃんと聞いてるんじゃないと人の素振りだけで決めつけちゃまずよなぁと思ったりしました。
ランディさんはプロの作家だから言葉を書くことはうまいわけですが、言葉をしゃべることもうまいなぁと感じました。それは口が達者とは、ちょっと違う。口から出てくる、たぶん無意識か瞬時のうちに選んで発せられる言葉にある種の感性を感じた。ぼくは物事、出来事に対面したとき1つのことが強く心に残り、たった1つだけしか受け取れないタイプなんだが、ランディさんの場合はたくさん何かを感じ取るタイプのようにも思えた。より大きな受け皿となる感受性を持った人ではないだろうか。
コンサートの合間に15分の休憩があって、まもなく第2部が始まる頃になると、なんとぼくの席の前の前に巻上公一さんが座り、その横にランディさんが座ったのです。コンサート開始前にどかどかと関係者らしき人々が席に座ったのだが、その中にランディさんがいたとはわからなかった。
(インターネットで画像は見て、知っていたつもりだったんだが・・・)
至近距離の「生」ランディさんはすごくちっちゃくかわいらしいひとでした。
席に座る瞬間、後ろを振り返りながらニッコリ笑い、ぼくはあっ!と思いランディさんを直視したので、きっと目があったと思うのだが、会場に来ているみんなが楽しそうにしている表情に思わず微笑みがこぼれたんじゃないかと思うわけです。けっして、ぼくをみてニッコリはありえない。
今、浅田次郎さんの「天国まで百マイル」とランディさんの「コンセント」を同時に読み進めているのだけれども、「コンセント」の主人公とランディさんはまった別人のように感じました。ランディさんの心の中に「コンセント」の主人公が潜んでいるかもしれないけれど、外側から見たランディさんと小説を読んでみた主人公が持つ雰囲気がまるっきり違った。小説は私小説風であり、何かしら体験したこと、感じたことが文章になっているようであり、どこかきっと書き手の姿が出てくるように思えるんだが、やはりプロというんでしょうか。
イメージとは程遠い。