12月19日に買ってきた漫画
さて、今日はクリスマスイブですが、なぜ今頃「19日」に買った本を?というかたもいらっしゃいましょうw 実際、読破するのに昨日までかかってしまったのは仕方のないことなのですが、実はこの本、購入時にめずらしく「製本不良」の本だったからです。
乱丁とか落丁ではなく、P17からP32までの頁の一部にかぎ裂き状の傷がついており、小学館に「交換」を申し込んでおりました。その本が今日届いたのです。
ページ数から考えて16ページ分、製本時に「一台」と数えていい部分だと思いますが(うら、表に8ページずつ印刷し八つ折りにしてある)すべて同じ個所に同じ傷が入っていることから考えて、製本時に傷がついてしまったのだと考えることができますが…。
すばらしいな、と思ったのは連絡した時の小学館の方の対応というか、この記事を読んで悪いことを考えつかない人がいないとは限りませんので、応対の詳細は省きますが、いやたいしたもんです。さすがは天下の小学館ですねw

ゴーマニズム宣言スペシャル・新天皇論 小林よしのり 小学館
「ゴーマニズム宣言スペシャル・新天皇論」…正直言って「ゴーマニズム宣言」以前の小林よしのり氏の漫画は、実はあまり好きではないw 「東大一直線」「東大快進撃」エトセトラあって「おぼっちゃまくん」w とくにおぼっちゃまくんはきらいだったなぁww
で、最初のころは「おぼっちゃまくん」の作者が何を思って「ゴーマニズム宣言」なんだろう?と考えた時期もあったものだが、考えてみれば、当然と言えば当然。東大一直線だっておぼっちゃまくんだって(作者がそう確信して描いたかどうかはともかく)当時の学歴社会やバブル景気を逆手にとり、批判し、ひねくった形であらわしたに違いないからだ。そう考えてみると「ゴーマニズム宣言」を「おぼっちゃまくん」の作者が描いても、何の不思議もないわけで、ひとことでいえば生まれつき「叛骨の人」なのかもしれない。
「ゴーマニズム宣言」を読み始めてから、その後「新ゴーマニズム宣言」や「脱正義論」「戦争論」などのスペシャル本をほとんど読んできたつもりだ。文章だけで作られた「個と公」論まで買ってしまった気がする(いや買ってるしw)。そして今回の「天皇論」「昭和天皇論」「新天皇論」の三部作も拝読させていただいた(これを三部作といっていいのかどうかはさておかせてくださいw)。
…どうしてこの作者はここまで「正論」が描けるのか、その点にただただ驚嘆する。その正論がゆえに今まで共闘していた者たちと袂を分かつことが何度かあったのだが、作者はそんなことは「へーとも思っていない」。いや、心のどこかで「さみしさ」は感じていると思うのだが、昨日まで轡を並べていた友をありったけの表現で罵倒することになんの「やましさ」も感じてないさまは、むしろすがすがしい。惜しむらくは、その相手ともなるべき論敵が作者の「正論」に「正論」で返すことができず、誹謗中傷、そしてくだらないイメージ操作に明け暮れ始めてしまうことだ。こうなると論敵も論敵でなくなり、ただただ泥仕合のような様相を呈してしまう。まぁその泥仕合の部分も「ゴーマニズム宣言」の面白く読める要素でもあるのだがw
(天皇論と新天皇論で「宮家断絶に関して」の意見が食い違っているように見える、と言ってしまうのは「重箱論争」でしょうか?w)
なおかつこの作品群の素晴らしいのは、こうまで「重要な題材」を深く煮詰め、煎じながらも決して「ギャグ漫画」たる一面を忘れていないことは特筆に値すると思っている。
今回の「新天皇論」に関しても、作者は「男系絶対主義者(男系固執論者)」の主義主張の牙城をあっけないまでに切り崩し、「女系天皇(というより双系)」の正統性を、そつのない理論と、膨大な資料に裏打ちされた知識によって明らかにしていく。「理論」としてみたとき「男系絶対」よりも「双系公認(こういってもいいでしょ?)」のほうが「正しい」ことは火を見るよりも明らかである。
ただひとつだけ気になるのは、「双系」を実現させ、「女性宮家」を創設できたとしても、そこから以降も「皇族」の絶対数は減っていく可能性が高いのでないか?ということである。もちろんこれは杞憂にすぎないかもしれないし、小林氏の主張の根本にあるのは「今そこにある危機」なわけだからそこまではまだ筆を進めていないだけかもしれない。
乱丁とか落丁ではなく、P17からP32までの頁の一部にかぎ裂き状の傷がついており、小学館に「交換」を申し込んでおりました。その本が今日届いたのです。
ページ数から考えて16ページ分、製本時に「一台」と数えていい部分だと思いますが(うら、表に8ページずつ印刷し八つ折りにしてある)すべて同じ個所に同じ傷が入っていることから考えて、製本時に傷がついてしまったのだと考えることができますが…。
すばらしいな、と思ったのは連絡した時の小学館の方の対応というか、この記事を読んで悪いことを考えつかない人がいないとは限りませんので、応対の詳細は省きますが、いやたいしたもんです。さすがは天下の小学館ですねw

ゴーマニズム宣言スペシャル・新天皇論 小林よしのり 小学館
「ゴーマニズム宣言スペシャル・新天皇論」…正直言って「ゴーマニズム宣言」以前の小林よしのり氏の漫画は、実はあまり好きではないw 「東大一直線」「東大快進撃」エトセトラあって「おぼっちゃまくん」w とくにおぼっちゃまくんはきらいだったなぁww
で、最初のころは「おぼっちゃまくん」の作者が何を思って「ゴーマニズム宣言」なんだろう?と考えた時期もあったものだが、考えてみれば、当然と言えば当然。東大一直線だっておぼっちゃまくんだって(作者がそう確信して描いたかどうかはともかく)当時の学歴社会やバブル景気を逆手にとり、批判し、ひねくった形であらわしたに違いないからだ。そう考えてみると「ゴーマニズム宣言」を「おぼっちゃまくん」の作者が描いても、何の不思議もないわけで、ひとことでいえば生まれつき「叛骨の人」なのかもしれない。
「ゴーマニズム宣言」を読み始めてから、その後「新ゴーマニズム宣言」や「脱正義論」「戦争論」などのスペシャル本をほとんど読んできたつもりだ。文章だけで作られた「個と公」論まで買ってしまった気がする(いや買ってるしw)。そして今回の「天皇論」「昭和天皇論」「新天皇論」の三部作も拝読させていただいた(これを三部作といっていいのかどうかはさておかせてくださいw)。
…どうしてこの作者はここまで「正論」が描けるのか、その点にただただ驚嘆する。その正論がゆえに今まで共闘していた者たちと袂を分かつことが何度かあったのだが、作者はそんなことは「へーとも思っていない」。いや、心のどこかで「さみしさ」は感じていると思うのだが、昨日まで轡を並べていた友をありったけの表現で罵倒することになんの「やましさ」も感じてないさまは、むしろすがすがしい。惜しむらくは、その相手ともなるべき論敵が作者の「正論」に「正論」で返すことができず、誹謗中傷、そしてくだらないイメージ操作に明け暮れ始めてしまうことだ。こうなると論敵も論敵でなくなり、ただただ泥仕合のような様相を呈してしまう。まぁその泥仕合の部分も「ゴーマニズム宣言」の面白く読める要素でもあるのだがw
(天皇論と新天皇論で「宮家断絶に関して」の意見が食い違っているように見える、と言ってしまうのは「重箱論争」でしょうか?w)
なおかつこの作品群の素晴らしいのは、こうまで「重要な題材」を深く煮詰め、煎じながらも決して「ギャグ漫画」たる一面を忘れていないことは特筆に値すると思っている。
今回の「新天皇論」に関しても、作者は「男系絶対主義者(男系固執論者)」の主義主張の牙城をあっけないまでに切り崩し、「女系天皇(というより双系)」の正統性を、そつのない理論と、膨大な資料に裏打ちされた知識によって明らかにしていく。「理論」としてみたとき「男系絶対」よりも「双系公認(こういってもいいでしょ?)」のほうが「正しい」ことは火を見るよりも明らかである。
ただひとつだけ気になるのは、「双系」を実現させ、「女性宮家」を創設できたとしても、そこから以降も「皇族」の絶対数は減っていく可能性が高いのでないか?ということである。もちろんこれは杞憂にすぎないかもしれないし、小林氏の主張の根本にあるのは「今そこにある危機」なわけだからそこまではまだ筆を進めていないだけかもしれない。
ウインドウズ7のある暮らし
う~ん、使えない!!ww
その一言に尽きますが…w
パソコン始めて、最初に触れたOSがビスタ、もしくはセブンの方々には全く違和感がないでしょうし、なかにはXPからでもスムーズに移行しましたよ、という頭の柔軟な方もいらっしゃるでしょう。あくまでおじさんの、既存のウィンドウズの仕様に凝り固まった人間の愚痴として読んでください。それ以外の方は「読まなくてよし!」ww
ある意味、やはり「慣れ」ということはあると思います。新しいやり方に慣れてしまえば勝ち。でも「慣れ」というならば、やはり自分は「XPに慣れ」過ぎているのですよね。ですから「今までやってきたこととやり方が違って」しまえば、戸惑うのは当然。今まで普通にやれていたことが普通でなくなってしまうのですから、ストレスは倍増ですw
はやい話が、今まで水道から水を飲もうとするときに「蛇口をひねれば水が出た」状態から、まず「部屋の明かりをつけ、乾布摩擦をすませてからでないと蛇口をひねらせて」もらえない。自分が感じているのはそういうストレスです。
ウィンドウズを「はやく、快適にする」ために、内部のプログラムを変更し、改善し、すべてにおいてユーザーに「はやくなったな」と思わせる努力は当然してくれているのでしょうが、インフラ…とはちょっと違うなw まぁ、すべてにおいてとっかかりの方法を今までと変えているために起こるジレンマとストレスですねw
例をあげていくならまずウインドウズの一番下のバー。タスクバーですか? ここには「今現在、どこのホームページを開いているか」とか「自分が何をしているか」…つまり開いたウィンドウに何があり、そのウィンドウに最速で行ける方法がそこにはあったわけですが、セブンのこのバーは非常に分かりづらいw 「視覚的」にわかりやすく、という概念もわかるにはわかるのですが、もう少し改善の余地があるってものでしょう。
「スタート」メニューの中から「インターネットエクスプローラー」が独立しているので一瞬戸惑ってしまうww つい、スタートボタンを押して、その中から「IE」を探してしまうわけですよw これなどはまぁ「慣れ」の最たるものではあると思うのですが…w
「インターネットエクスプローラー」で複数の画面を開く方法もわかりづらい。これも「新しいタブで開けばいい」という見方もあるのですが…どうもその方法はやりづらくて性に合いませんw
そもそもログインするときにいちいち「パスワード」入力の必要があるのが気に食わんw
いや、気に食わんで済ませちゃいけないんですが、せめてパスワード設定時に「ログインするときにパスワードを必要としますか?(パスワード必要推奨)」とか確認してくれませんかね? パスワード入力が標準になってて、そのログイン方法を解除するためにユーザーがいちいち手動で変更を加えなくてはいけないのは、開発者の手抜きだと思います。実際、何割ぐらいのユーザーが「ログイン時にパスワードが必要」だと思っているのでしょうか?w
これは「IME」の設定だと思うのですが、個人的に作った辞書(ユーザー辞書)の格納方法を変えないといくつかの(たぶんかなりの)サイトで、自分が登録した単語が使えない。現にここアメーバでも「スタンダードユーザー権限」がないと使えません、というメッセージが出てきました。そもそも「スタンダードユーザー権限」って何?wってところから始まるほど自分はレベルが低いわけですが、「自分たち(開発者)たちが勝手に定義した言葉が、エンドユーザーにすんなり伝わると思うな」と言いたいwこれに関しては、昔から(それこそMS-DOSのころから)思ってはいましたけどねw
(あれ、そういえばセブンってMS-DOSプロンプトってないよな…w)
上記のせいで、アメーバでたとえば「/moya」とか「/heart」とかのコマンドをそれぞれ「もや」「はーと」と入力すれば変換するような設定を使っていたのですが、まぁ見事に使えないw
今では辞書の格納場所も変え、そしてたぶんはアップデートのおかげでアメーバでも使えるような仕様にしましたがw
まぁほかにもたくさん、言いたいことは尽きないのですが、記事も長くなるのであとひとつだけ。シャットダウンの方法は、あきらかにXPのころのやり方が好きでした。そしてあの方法がよかったと思います。XPの「電源を切る」→「スタンバイ・シャットダウン・再起動」のいずれかを選択する方法。これはたぶんビスタの時代から変更されていると思いますが、再起動させようとしてたんに「シャットダウン」してしまうことのなんと多いことかww 横の「選択肢」のボタンを押すのを忘れてしまうんですよねぇ…まぁこれも自分が間抜けなだけかw
ちなみに自分がセブンを導入したマシンのCPUはインテルのi7、メモリは3ギガ入ってます。最新の機械と比べてもそれほど見劣りする機械ではないはずなんですけどね…(32ビットですがねw)
でもここまでやっていながら、見た目のスピードというか体感速度が変わったとは思えないんですよね…むしろアメーバの「釣り」とかなんだかやりにくくなった気がします。「XP」で動いてるサブマシンのほうがやりやすいくらいですから。最もそっちのマシンはCPUにAMD(アスロン)を使っているのでそのおかげかも知れません。 …ってインテルCPU否定かよwww
※XPで終了オプションの項目にあるのは「ログオフ」ではなく「スタンバイ」でしたw お詫びして訂正します。本文は修正済みです。あしからず。
その一言に尽きますが…w
パソコン始めて、最初に触れたOSがビスタ、もしくはセブンの方々には全く違和感がないでしょうし、なかにはXPからでもスムーズに移行しましたよ、という頭の柔軟な方もいらっしゃるでしょう。あくまでおじさんの、既存のウィンドウズの仕様に凝り固まった人間の愚痴として読んでください。それ以外の方は「読まなくてよし!」ww
ある意味、やはり「慣れ」ということはあると思います。新しいやり方に慣れてしまえば勝ち。でも「慣れ」というならば、やはり自分は「XPに慣れ」過ぎているのですよね。ですから「今までやってきたこととやり方が違って」しまえば、戸惑うのは当然。今まで普通にやれていたことが普通でなくなってしまうのですから、ストレスは倍増ですw
はやい話が、今まで水道から水を飲もうとするときに「蛇口をひねれば水が出た」状態から、まず「部屋の明かりをつけ、乾布摩擦をすませてからでないと蛇口をひねらせて」もらえない。自分が感じているのはそういうストレスです。
ウィンドウズを「はやく、快適にする」ために、内部のプログラムを変更し、改善し、すべてにおいてユーザーに「はやくなったな」と思わせる努力は当然してくれているのでしょうが、インフラ…とはちょっと違うなw まぁ、すべてにおいてとっかかりの方法を今までと変えているために起こるジレンマとストレスですねw
例をあげていくならまずウインドウズの一番下のバー。タスクバーですか? ここには「今現在、どこのホームページを開いているか」とか「自分が何をしているか」…つまり開いたウィンドウに何があり、そのウィンドウに最速で行ける方法がそこにはあったわけですが、セブンのこのバーは非常に分かりづらいw 「視覚的」にわかりやすく、という概念もわかるにはわかるのですが、もう少し改善の余地があるってものでしょう。
「スタート」メニューの中から「インターネットエクスプローラー」が独立しているので一瞬戸惑ってしまうww つい、スタートボタンを押して、その中から「IE」を探してしまうわけですよw これなどはまぁ「慣れ」の最たるものではあると思うのですが…w
「インターネットエクスプローラー」で複数の画面を開く方法もわかりづらい。これも「新しいタブで開けばいい」という見方もあるのですが…どうもその方法はやりづらくて性に合いませんw
そもそもログインするときにいちいち「パスワード」入力の必要があるのが気に食わんw
いや、気に食わんで済ませちゃいけないんですが、せめてパスワード設定時に「ログインするときにパスワードを必要としますか?(パスワード必要推奨)」とか確認してくれませんかね? パスワード入力が標準になってて、そのログイン方法を解除するためにユーザーがいちいち手動で変更を加えなくてはいけないのは、開発者の手抜きだと思います。実際、何割ぐらいのユーザーが「ログイン時にパスワードが必要」だと思っているのでしょうか?w
これは「IME」の設定だと思うのですが、個人的に作った辞書(ユーザー辞書)の格納方法を変えないといくつかの(たぶんかなりの)サイトで、自分が登録した単語が使えない。現にここアメーバでも「スタンダードユーザー権限」がないと使えません、というメッセージが出てきました。そもそも「スタンダードユーザー権限」って何?wってところから始まるほど自分はレベルが低いわけですが、「自分たち(開発者)たちが勝手に定義した言葉が、エンドユーザーにすんなり伝わると思うな」と言いたいwこれに関しては、昔から(それこそMS-DOSのころから)思ってはいましたけどねw
(あれ、そういえばセブンってMS-DOSプロンプトってないよな…w)
上記のせいで、アメーバでたとえば「/moya」とか「/heart」とかのコマンドをそれぞれ「もや」「はーと」と入力すれば変換するような設定を使っていたのですが、まぁ見事に使えないw
今では辞書の格納場所も変え、そしてたぶんはアップデートのおかげでアメーバでも使えるような仕様にしましたがw
まぁほかにもたくさん、言いたいことは尽きないのですが、記事も長くなるのであとひとつだけ。シャットダウンの方法は、あきらかにXPのころのやり方が好きでした。そしてあの方法がよかったと思います。XPの「電源を切る」→「スタンバイ・シャットダウン・再起動」のいずれかを選択する方法。これはたぶんビスタの時代から変更されていると思いますが、再起動させようとしてたんに「シャットダウン」してしまうことのなんと多いことかww 横の「選択肢」のボタンを押すのを忘れてしまうんですよねぇ…まぁこれも自分が間抜けなだけかw
ちなみに自分がセブンを導入したマシンのCPUはインテルのi7、メモリは3ギガ入ってます。最新の機械と比べてもそれほど見劣りする機械ではないはずなんですけどね…(32ビットですがねw)
でもここまでやっていながら、見た目のスピードというか体感速度が変わったとは思えないんですよね…むしろアメーバの「釣り」とかなんだかやりにくくなった気がします。「XP」で動いてるサブマシンのほうがやりやすいくらいですから。最もそっちのマシンはCPUにAMD(アスロン)を使っているのでそのおかげかも知れません。 …ってインテルCPU否定かよwww
※XPで終了オプションの項目にあるのは「ログオフ」ではなく「スタンバイ」でしたw お詫びして訂正します。本文は修正済みです。あしからず。
