みつぐの「蒼穹の果て」 -107ページ目

「蒼き鋼のアルペジオ」第12話(最終話)を観た

…結局、イオナの姉妹たちは沈んだままなのね(笑)

まぁ二期があれば(深い闇の底から)浮上してくるかも?
期待だけはさせていただきましょうとも。

動画はニコニコ動画より。Up主様、動画作成者様、お礼申し上げます。



原作がまだ「旅の途中」だから仕方がないにせよ、オリジナル展開になってからのシナリオの寂寥さと言ったらハンパありませんw

「コンゴウ」が片づけてくれなかったら、群像たちはあの「アメリカ方面の霧の艦隊」をどうやって駆逐、もしくは包囲網を抜けて、アメリカへ到達するつもりだったのでしょうか?
(アメリカ方面にも「霧」がいるのは想定の範囲内でしょ?)

まぁ「賑やかし」というか「かませ犬」というかw

むしろアメリカの霧の艦隊が、群像たち(イオナやタカオほか)の、自分たちには理解しえない行動を見守るためにイオナ達を通過させ、追うコンゴウと一戦交えたほうが展開的には好きだったかも。あの大群と正面きっての艦隊戦を潜り抜け、もはやぼろぼろになり、それでもイオナ達を追ってくるコンゴウを説き伏せてほしかったかな。


結局「アドミラリティコード」ってなんじゃらほい?という質問への答えはありませんでしたしねw

それにしてもタカオは肉体(というか実体?w)を復活させたのに、キリシマはあいかわらず「くまのぬいぐるみ」のままってのもなんかねぇw そんなにそのボディが気に入ったのか、キリシマ?(笑) ああ、実際のボディに戻ったら蒔絵の膝にいるわけにはいかないからか(爆)

コンゴウも結局は「寂しい一人の女の子でした」って感じのオチでしたしね。

まったく、誰が一番の「デレ」なのかよくわからんアニメでした。…えっ、それは問題じゃないって?w


まぁいいんす、自分はタカオがいればそれで。

原作だと「人体図鑑」とか「骨格図鑑」とか読んで勉強してて、人体のなぞにはいちばん詳しいはずのタカオ(笑)。彼女の「メンタルボディ」は、ほかの「霧」の誰よりも「人間のそれ」に近いんだろうな、とほくそ笑むオヤジがここにいるのでした。

タカオ、可愛いよタカオ♡

「蒼き鋼のアルペジオ」第10話、第11話を観た。

正直、なんというかこの10話、11話において思うことはほぼ何もない。

アニメオリジナル展開になって、いい意味でこちらの想像を絶するような展開が何もない、と言ってしまうしかないからかも知れないけどw

動画はニコニコ動画より。Up主様、動画作成者様、ありがとうございます。



正直、10話の「401」撃沈も、400と402を計算に入れなさすぎ、というのが感想。コンゴウ艦隊と接触、その包囲網から抜け出す、という作戦に置いて、400と402の存在を「忘れている」のは明らかに作戦ミスw

そして10話で、あれほどコンゴウのアドミラリティコードからの逸脱を認めようとしなかった400,402の、11話での自らのアドミラリティコードからの逸脱、あげく撃沈、というのは理解の範疇を超える。


短いスパンのなかでの(1クールという短さの中での)シナリオの破たん、というのは大目にみるべきかもしれないがw


なんか結局、ラストに向かっての展開が見えて仕方がないんですよねぇw


それにしても軽巡「ナガラ」の雑魚ぶりに泣けるw そりゃ一応、重巡以上でないと「メンタルモデル」は存在しない、らしいんだけど。でも原作だと「駆逐艦ユキカゼ」にはメンタルモデルがいるっぽい(爆)。

個人的には「雪風」より「島風」のほうが好きなんだけどなぁ。


…ところで「艦これ」ってなんすか?(自爆)

誰を責めるわけでもない

「ひもじい」という言葉を、子供のころは実感できなかった。

家はすごく貧しかったが、今にして思えば、母が少ないお金をやりくりして
「子供にはご飯を与えてくれていた」からだと思う。

それでも、日曜日のお昼は「塩だけのおにぎりと味噌汁」だけの日もあったし
小麦粉を水でのばして焼いた「鉄板焼き」だけの日もあった。
ちなみに自分の「ソウルフード」は?と問われれば「塩にぎりと味噌汁」と答えてしまうのはこのせいだ(笑)。

生前の母に「そういや、レタスにマヨネーズをつけて食べた、それだけの食卓の日もあったよね」って言ったことがあったけど「まさか(笑)」と一笑に付されたこともある。
それを母が「ホントに忘れていたのか」どうかは今となっては知る由もないけれど。


時代は移って平成。21世紀になってもまだ、この日本で「餓死」がある、なんて。

…いや、今の日本だからこそ、だからかも知れない。


「料金が支払えないから」と、情報共有をすべきところを、ただお役所仕事のごとく、無情にライフラインを断たれてしまう。
「脱水症状の母」を見つけてもなお、徹底的な家捜しをしなかった当局。

誰を責めるつもりもない。


ただ、もう少し「想像力」というものがあったなら。


「悲劇」は、回避できていたかもしれない。