インターネットで
シニタイ人たちが
よくかいていることがあります。
「シニタイのではなくキエタイのだ」
ボクは、これを読むたびに
ハテナマーク状態だった。
もし、これが本当だとすると、
ボクとは違うことになる。
ボクの場合は
シニタイのではなく
キエタイわけでもなく
自分を罰したくなるのだ。
その最大の欲求が、
ジブンのシケイなのだ。
しかし、
自分で罰したところで
よくはならないという結論も
自分で出している。
悪くなるだけなのだ。
この世は失敗したら
新な方法で再びチャレンジしないと
よくはならないと思う。
それが本当の罰だと思う。
ハジサラシとか
オオバカモノとか
言われようとも生きることこそ
本当の罰だと思う。
この罰を耐え、もし成功まで
たどり着ければ、
良くなるための導きの罰になると思う。
もし、自分自身で罰をくだし、
シケイを選択したところで、
それはニゲだ。
本当の罰から逃げたことになる。
シという
なにも考えなくてよい
なにもしなくてもよい
心地よい状態に
簡単に行ってしまって
恥ずかしくないのか?
と思うようになった。
生きるという罰を
オレはずっと受け続けるんだ。