【武士の一文(分)】 -2ページ目

【テレビ】 第125回

三島由紀夫に感化されたであろう高岡蒼甫にTwitterで韓国ゴリ押し部分を突っつかれ、セシウムさん話でも話題をひっさらって何かと忙しい、今やウジテレビとまで言われてしまった某民放放送局。

視聴者センターの対応悪さもYoutubeにUPされる始末。


山本太郎の原発反論も各局大スポンサーの東電様々なので、テレビ界さようならと、昨今悪い意味で大注目のテレビ業界。

視聴率低迷、スポンサー離れなど、行く末どうなるやら。

統合される時代も近いか。

まあウジテレビは、朝しか観ないのは昔から。
面白くないのだから、仕方が無い。

【マゾ気質】 第124回

朝の8時からノンストップで今まで書類作成してきたら、嗚咽が出てきた。

っつう事で、しばし休憩。



俺はかなりのマゾ気質なようで

やらなければならない事を後回しにして、締め切りギリギリになってようやくスタートする。


そっちの方が有り得ないほどの集中力で没頭できるのと、一種の性的興奮に似た快楽が生まれるという

特異体質なのである。


「〇日の正午までに書類提出してください」

と取引先に言われていて、あと1時間半は掛かりそうな内容で残り1時間。


なんか股間がムズ痒くなるような緊張感で「うっひょおおおお」と叫びたくなる。

で、時間ギリギリで終わらせた時の快感たるや、た、たまらん!!!



そんな人はいない? 俺だけかな?



え? 

マゾというかアホ?


まあ、そうとも言います。




明日は先輩のIさんと飲み。

参加したい人は手を挙げて。


昨日誘ってくれたMちゃん。

遊べずすまん。

8月にでも、よろしくっす。



【僕が僕であるために】 第123回

尾崎豊の歌で一番好きな

【僕が僕であるために】

の歌詞にこんな詩がある。



僕が僕であるために勝ちつづけなきゃならない



人は生きていくために、自分を鼓舞しながら心や体を支えて生活していると思う。

そのポジティブさが一瞬でも崩れた時、人は倒れてしまうかもしれない。


人との支え合いは大事だが、自身に向上心がなければ共倒れとなってしまう。



僕が僕であるために

私が私であるために

世の中に、そして自分に勝ち続けていこう。



なんて、果たして出来るのだろうか。

人は弱い生き物である。


しかしそれが理想論で終わり倒れてしまわぬように、生きるしか術はない。

この世に生まれたのだから。



【謎の封書】 第122回

今、会社の机の引き出しを漁っていたら、明らかに10年以上前の古い便箋が。

中を見ると手紙と写真。



『何から書いていいか分からないけど手紙を書きます。

今日は我儘言ってごめんなさい。
もうこんな事は言わないから、、、つらい思いさせてごめんね。


今、正直言って自分でもどうしていいか分からない。
諦めるべき事だっていうのは分かっているんだけど、不倫ってこんな感じ!?

この前、休みの日色んな事を考えて涙止まらなくて涙枯れたら、やっぱ好きだって思った。
少し強くなって彼女いても平気なんて思えちゃった。

今はその苦しみよりも会えなくなったり失ったりする事。 あなたが苦しんでいる事が辛いから。

1つだけ約束して。「ごめん」って言わないでね。
悪いとか、幸せになって欲しいからという意味の「ごめん」は私がみじめな気持ちになる。
浮気だと思って。って言っても無理?

どうしたらいいの私?


でも会いたいし、一緒に遊びたいし、たまには抱いて欲しいし。
もっと格好よくて優しい人に出会う日まで、もうしばらく会ってくれる?

映画、デートすごい楽しみにしてます。
本当はいっぱいいっぱい一緒に行きたいところあるから、ちょっとは付き合ってね(ハート)

〇〇〇〇〇より

P,S
一緒に観覧者乗りたいナ。
あまり字うまくないでしょ。
かなり遅くなったけどハッピーバースデー!』


で、写真は二人でキスしてるのが写されてる。

片方は当然俺で、相手の女性は 顔は斜めに首を傾げて俺にかぶってる感じでよく分からない。


えっと、、、





誰だっけ?(笑)


全く思い出せない俺

最悪


【譲り合いの精神】 第121回

『譲り合いの精神』

という言葉がある。


小学校の道徳で聞き覚えそうな言葉であり

パッと聞けば

いや~素晴らしい言葉だ

と思える。


しかしよくよく考えると

「この言葉、変じゃね?」

と思う俺がいる。



例えば本屋に行き

一冊しかない本に手を伸ばしたところ、ほぼ同時に手を伸ばしてきた人がいたとする。

お互いに目を合わせて、一度手を引っ込める。

「なんだこの野郎、俺が狙った本だぞ」

とは思わずに、

さあここは譲り合いの精神の発揮どころだ!


ではここから譲り合い劇場の始まり始まり~


「どうぞどうぞ」

『いえいえ、どうぞどうぞ』

「いやいや、どうぞどうぞ」

『まあまあ、どうぞどうぞ』

「なんのなんの、どうぞどうぞ」

『これはこれは、どうぞどうぞ』


誰か後ろから

二人にジャンピングニードロップでもぶちかましてあげた方がいい展開だ。


どちらかが

「そうですか、じゃあお言葉に甘えて」

と言うまで決着がつかないシーソーゲームである。


しかも決着がついたらついたで

勝ち負けみたいなモヤモヤ感が発生しないだろうか。


「じゃあお言葉に甘えて」と言った者勝ちみたいな感は否めないし、

退いた側は、

「くそっ、先にその言葉を言っておけば良かった・・・」

と後悔するような

飛ぶ鳥後を濁しまくる展開である。



車なんかでも

譲り合いの末にお互いに「じゃあ、甘えて」と答えをだして、

ドーン

とぶつかり事故発生なんてものもある。



譲り合いとは

譲られる事を前提としているような

偽善的な雰囲気

が、ど~しても否めない。




同時に同じ本を選んだら

「どうぞ」

立ち去る。もしくは渡す


車だったら

停車して相手を行かせる


ハッキリとした

退く意思表示

が必要じゃなかろうか。



だから正解の言葉は

譲り合いの精神ではなく

譲る精神

じゃあないか?



っつう事で

色んな場面で俺に譲れよ(笑)