私の人生において「読書」と言う習慣はあまりなかった。
途中でいろんな誘惑に流されたり、単に飽きちゃったりするから。
それほどに読書という行為、私の人生で優先順位は高くなかったわけで。
小学生のころの夏の宿題『読書感想文』だって
後書きだけをつらつら読んで…、
チョット真面目そうな友人が 仲間たちが大騒ぎして遊んでいる時間,
その遊びの誘惑にも負けずに読み終え、じっくりと考え書き上げたソレを
半ば強制的に奪い取り若干のアレンジを加えてチャチャッと書き終える。
さらにそれが夏休み明けの10月ころには県の表彰を受けたりしてたから
真面目に読もうなんていう気すら起こらないのは誰のせいでもない。
付け加えれば、ジャンプやマガジンなど週刊マンガすら読まなかったのだから
小説や随筆っぽいものに手が伸びるはずがなかった。
それが、サラリーマン生活最後となった会社に入ったころだろうか?
少しだけ偉くなった私には無駄に自由になる時間が増えた。
そんな時、格好つけて…、アクセサリー代わりに…、
タイトルだけの判断でキオスクで買うようになった。
片手にそれを抱え、持ち歩くことに意味があっただけ。
そんな私でさえもここ数年は年間で30冊程度を読むようになった。
未だに私の穿った感性を刺激するタイトルに手を伸ばすのは変わらないが…。
春になる頃から芥川賞作家に嵌っている。
世間評はプロレタリア文学と言う人もいるらしいが
そんな言葉を遠い昔に聞いたことがある。
ただ何を持ってプロレタリアートと言うのかは定かじゃない。
イメージできるのは『蟹工船』
「貧乏臭いのか?」という程度の貧しい発想しか私にはない。
もちろん、今でも芥川賞と直木賞の選定基準も知らない。
「どっちがすごいんだ?」とその賞金に興味がある程度。
西村健太 という怪しいオッサン。
情報番組で初めて見た時から、“ヤバそうなオッサン”という印象しかない。
Wikiってみると「ほらねっ!」とニヤケ顔になるほど。
西村健太 Wiki恐らく・・・
このヤバそうなオッサンの作品の全て、その内容の90%が事実による『私小説』。
この点に惹かれたのは必然かもしれない。
ただ、
この怪しいオッサンと過ごしてきた生活環境は全くの逆な私、
意識だけは頑張って中流な私、
事実として困窮を極めたことも無ければ、
日本国民の平均よりチョイ上で生活してるという思い上がりに支えられてる私。
自虐的で破滅的なオッサンの私小説のどこに嵌ったのか未だに分からないが
芥川賞作品『苦役列車』その後の『寒灯』に始まり、遡り『小銭を数える』まで
『苦役・・』を買った時、
いざ読もうと思い 開いたものの
書き出し
「曩時北町貫多の一日は・・・・」で始まる文に
曩時????
曩時北町貫多?????
読み始めるまで3日掛かってしまったものだが・・・
少しだけ生真面目な私は
見たことも無い漢字やその意味を理解せずにその先に進めないから。
このオッサンのおかげで
今まで以上に、夜の外出機会が減ってしまった。
実に面白い。
長距離移動のお供に
片手にそれを抱え、持ち歩いている。
今週ならばきっと、
極上のイイ女のお誘いさえもお断りするだろう??
たぶん??