8/12 エミコ、入院3日目 夜、パニックに、ここは何処だ | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

8/12

エミコ、入院3日目
夜、パニックに、ここは何処だ
お父さんは食事をちゃんと食べたかと
看護婦に叫んだと
本日はエミコの誕生日
不二家でショートケーキとアップルパイを買い
一口だけ食べさせた、ろうそくに火をつけ、ハッピーバースデイの歌を唄う
気持ち安定し、睡眠剤のみ良く眠れたと
左足の痛覚がないことが心配

私の方、不安君が頻繁に襲う
私自身の再発、これからの事
身体の衰え
明日になればと
3日経ち、一人の状態は慣れたが
食べることが味気ないものに
エミコ見舞い帰りに、不二家で3人で食事
2人の子供、しっかり育っている(49才、44才)

8/13

シーリングライト取付
2時エミコ見舞い
エミコ、4日目
車いすから、点滴台を押すまでに

ジュン、ヨシキとガストに寄り食事
味噌カツは合成肉であった
酷い味、ロボットが配膳
夜、ジュンと風呂場の手すり、スノコ、下駄箱の打ち合わせ
ヨシキ、シチュー、煮付け作る

8/14

8時起床
昨夜の残り、シチュー、サケ、和風ポトフ
BK、残高確認、入金10万円、川信27万円
魚や、シラス、ワカメ煮、穴子
八百屋、バナナ、トマト
エレベーター掃除、道具3Fへ
コーヒー焙煎

4時、ヨシキと待ち合わせ、タクシーで
エミコ、主治医から、今回の脳梗塞が、不整脈が原因なのか、検査し特定する為に、計器を胸に付けていた
エミコ、車椅子にならないように頑張ると
5時過ぎ、夕食作りもあり、別れる
私タクシー、ヨシキ自転車で
帰って、茶漬け、後シチューでドリア
夜、クラインを聴きながら散歩

8/15

本日、マッサージ中村君来る、マッサージしないでこの間の経過を話す
〇細岡、宮川、荒木へTEL

誰とも、何とも繋がれる、シンプルな感情
クラインは良い幾度も聞いた旋律
ブンの死、母の死、友人の
でも、そこには何時もいつも
エミコがいて、見守ってくれていたのだね

〇上村康治(田辺義弟)にTEL
 田辺がTEL番号変更しているため
〇ケイコに手紙を書こう

ケイコ、先ず謝りたい
ごめんね私の頑なな心から
この10数年を、いたずらに過ぎ遣ったことを
この間、幾度も伺がおうとしたが、反発を恐れて出来なかった
許してほしい
今私は、脳梗塞からの(昨年6月)
失語症の後遺症に
そしてエミコは(昨年4月)に
虚血性脳梗塞にそして今回は2回目で(8月9日)、半身麻痺となり
現在、太田病院に入院中
お互い、いつ病に伏す事になるやも先知れず
今、心か謝りたいの気持ちを伝えたい
私は、ほぼ治ってきている
エミコも、リハビリ次第で回復が見え

本日、田辺さんが来てくれた
大変だった様子を聞いた
今も続く困難にも2人三脚で
乗り越え、感謝した人生を送りたいもの

ジュン、手摺コーナンで調達
エミコ、日毎に回復、左手が戻ったようだ
あとは足、ふくらはぎ以下のが知覚がない
本日、穏やか
夜、ヨシキ来る
ケイコ、田辺に手紙、コロナ文の手紙を入れて
ケイコ(2回目)、田辺(4回目)打っている

風に吹かれていたら、 何も云えなくなって、 一日中じっと座っていた
加藤登紀子レコード聞く

8/16

ジュン、風呂のスノコ作り、良いものが出来た
後、台所の机の移動
あらゆる動線がスムーズになった
エミコ、また回復、点滴台を押して現れる
ジュンと、ヨシキとひとしきり話して、5時前には別れる
本日は、PC等の配線で、頭も体も疲れた
明日はプレーヤーの設置

8/17

エミコ、リハビリを午前中にやり、疲れて車椅子で登場
田辺さんから電話があったか、間違えて電話したか、というかどちらも、電話は通じないはず、エミコは夢なのか現実なのか区別が付かないという、リハビリでは自信が付いたようだ、5時前に帰る
6時、ヨシキ来て夕食を作ってくれた
ジュンとおしゃべり
本日は、プレーヤー設置、ハウリングが治った、スピーカーコードの問題だった
マイハサミ、靴下(5枚組)注文
トモミが今回の件がトラウマになっていて、遊びに来れないと言う
エミコにlineで話させよう
生涯、幸せも、困難も共に分かち合うとする誓いが、トラウマの解決
そうしたら、皆で湯の湖に行こう
オオルリ、5000円でやっている

8/18

エミコ、明るすぎて、認知症を疑う
この数年、寂しがり屋で、コロナ後憂鬱症で、入院したら陽気になったが、あっけらかんとして、急に老けたように、オオルリも関心なく、太田病院は良い所だと、皆よくやってくれると、ついこの間までの不安は何処へ行ったのか、ジュン明かるいその感情がおかしいと、ヨシキにTEL、明日主治医に聞いてみよう
私が1年がかりで、感情が回復したように、エミコもそうであれば
子供達は、私も認知症になっていたと、私も今が信じられない
本当に、感情、感覚、興味が、短絡、散漫な1年であった
エミコは不整脈も有るようだ
再発のリスクは高い

8/19

エミコ、順調にリハビリ、余裕も出て来た
別れもまた明日ねと
本日はルカが来た
明日は下駄箱の設置

8/21

エミコ、小学生でもできるテストが出来なくてと、自分の病状を知り悲しんでいた
朝、電話を掛けて来た
リハビリしても又なってしまったらと
明日、半側空間無視の状態をリハビリ師に聞いて見よう

8/21

脳梗塞、患者数150万人、年間50万人が発症
闘病が余生になった
気楽にしたら良いものと考え
76迄生きたのだからと
頭はまだ大丈夫だと

8/23

昨夜は半側空間無視を調べていて4時まで、
ヨシキも、ジュンも、エミコの症状に認識を深めた、大変なことであった、が、失語症と同じく、時間をかけて治すしかない、エミコはその大変さと、目標で揺れている、
本日は私と2人で雑談、田辺さんと、ケイコちゃんが来たのよ、ケイコちゃん?思わずと叫んでしまった、何年振りのことでと、

半側空間無視
〇知覚過程なのか〇認識しているのか
 模写する時に現れる
 (プリズム眼鏡の有効性)
〇6ケ月かかる〇病識を持つことの重要性
 石合純夫(北大)
太田病院
半側空間無視の治療で、プリズム眼鏡を使っているか聞く
聖マリアンヌはやっている

エミコが治ったら、皆で湯元温泉に行こう、紅葉が見たいと言っていた、トモミが酒を止めたと

8/24

足が吊り、5時頃目が覚める
9時起床、12時マッサージ
マッサージはしないで、話を30分
中村君、何のために自分はシンプルライフにしているかを、人生の究極を進みたいからと、彼の話に、私は円空の話をした、衆生救済を願い、全国を行脚し、そして仏像を10万体彫った、最後は即身仏となって入定した

エミコ、高次脳機能障害のテスト、疲れを見せ
本日、包括の荒木と打ち合わせ、ヨシキ、ジュン同席、明日は主治医と面談
勝ちゃんからブドウ、エミコの再発知らせねば
ランタン(藤椅子)来る

8/25

3時見舞い、4時半主治医と面談
あと2週間で、一人歩きが出来て退院の方向で、高次脳機能障害、半側空間無視の症状は、これから検査、訓練と
エミコ、検査で疲れた様子、だが一人で歩行器を押して、大部屋に帰った
ひざ掛け、入れ歯安定剤

8/25

エミコ、馬油、お手玉
順調、歩行器で歩く練習

8/27

エミコ、折り鶴が折れなかった
悲しくなって来た
まだまだ色んな事が出来なくなっているのかと
悲しい時、私自身の失語症の苦しみを思い出す
今、私はここに居ると
考えられない、感じられない、書けない苦しみの中でも、生きていると

エミコが居なくなった感じ
不安症が起きた、エミコの薬の話に答えられず、失語の症状が湧い来て
エミコも味わったであろう、私の失語経験

8/28

エミコ、本日にこやか
リハビリに成果があったのか
私は帰りに佐藤歯科へ
差し歯を止めて総入れ歯にした
きれいな歯になった
シーボンドのおかけ
明日はメガネストアに行って、中間距離の見える眼鏡に、
作り替えてもらおう

ネット、R&K見る
9月から始まる単価ワクチン、その次のレプリコンワクチン

8/29

エミコの再発、安静など、コロナなど考えないで、即座に救急車を呼んでいれば、もっと予後が良かったのではと悔やまれるが、後遺症との闘いという目標が出来て、子供たちも一致団結
もう、エミコに甘えるなとか、ガンバレなどと言わないで、自分のために生きていく
自分との闘いを
やっと覚悟が出来
残り少ない時を
私と共に歩んでいくことが出来
エミコ、一緒に闘っていくんだよ
共に闘おう

エミコ、ごめんね
貴女に死にたいなどと思わせて
たとえ失語の苦しみの中にあっても
いつまでも一緒に生きていたいと
何故そうなれなかったのか
私が悪かったのだ
ごめんね

8/30

エミコ、比較的元気
8月中の退院は無し
まだ歩行リハビリ中

私の不安症とは
癌の時と同じだ
生命消滅への不安
エミコも同じ
また再発して、こんなリハビリ繰り返すのかと
生命があればそれで良いではないかと
エミコと2人、生きてさえいれば
一人は淋しいものだ

8/31

エミコ退院したいと、夜中12時にTEL来る
では明日、強制退院しようと
朝になると、やはりガンバルると
ヨシキにもTEL昨日あり

全ての原因は、寝不足から来ている
目の疲れ、めまい、失語
やっぱり眠ることが肝心
眠りの達人にならなければ

9/1

ビバルディ、フルート協奏曲、ラルゴ
悲しみの記憶が蘇ってくる
かつて、少年時代、悲しかったのだなーとの
父も、母も、家庭もなかった
あの少年の私が蘇ってくる

昨日のTELが嘘のように
エミコは落ち着いていた
あと1週間ガンバレ
この暑さで、リハビリは病院でした方が良い

9/2

夜、泣きながらエミコからTEL、私はもうダメになると
このままではエミコはおかしくなってしまうのではと
突然悲しくなる
ボケなけれは良いと
それだけを求めて来た
エミコはコロナ被害者だ
その前は原発被害者
3.11から世界は変わってしまって

9/3

1時、ジュン、ヨシキにTEL、すぐ来てと
エミコを退院させると
3時、看護婦に伝え
明日医師に伝えると

9/4

エミコ退院
エミコ、不安が一挙に解消
自信が戻り、変わらぬエミコに戻り

ジュン、トイレ、壁に手摺
ジュンは痔ろうを押して
ヨシキは昨日熱を出し、が、夕食を作ってくれた
本当に素晴らしい子供達

9/5

退院初日
9時頃、エミコ眠り
12時頃、トイレ
3時頃、何か食べたいと
私は眠い、が、5時頃まで付き合い
食事は残り物で、6時頃眠るが、8時頃荒木よりTEL、エミコTELの出方が分からず、起こされ、寝不足

9/6

包括センターの荒木、来る
デイサービス等の相談
エミコ、ヨシキに手を取られ、リジェンヌ迄散歩、歩けている
が、蚊の攻撃に遭う
本日は、鶴を折るが上手くいかなかった
私は12時前に寝るようにした
薬袋を注文、見える所に掛けた
ヨシキ、荒木に合わせ早退して来る