「何故」 コロナをパンデミックとしたくないのか、 荒唐無稽、証拠がない、 | mitosyaのブログ

mitosyaのブログ

個人誌「未踏」の紹介

「何故」

コロナをパンデミックとしたくないのか、
荒唐無稽、証拠がない、デマ、
TV専門家が言っている、
感染症とは怖いもの、科学だ

マスク、ワクチン、マスコミ、トランプ、IMF、WHO、アポロ、9.11、3.11、etc、etc、
不正選挙も、歴史も、科学も、作家で誰か、反コロナがいるのか、丸山も、反原発勢力は全滅、ましてトランプ支持など、保守の中には少しは、岩上、神保、どれもコロナに洗脳され、

「人口削減について」

真剣に考える彼ら、資本主義の未来を、ゲームの様に考えている彼ら、蚊を不妊症にする方法で、人間も不妊へ、

「名誉、地位、金、土地、美術品、国」

価値としてきたものの無化、絶望主義の後には、これが体現化されなければ、拭われることはない、物が有り余れば、能力に応じ、必要に応じ、労働が目指した、共産主義であったのだから、第2次の共産主義社会が、示されれば、希望へと変化、物があり余り、必要ではなくなった現代とは、
ネサラ(国民経済安全保障改革法)
ゲサラ(世界経済安全保障改革法)
ジェサラ(日本経済安全保障改革法)

住宅ローン、クレジット免除、
所得税の廃止
消費税の廃止
年金を増やす
憲法の世界統一
皇室の廃止
120日以内に選挙
金本位制
量子マネー
中央銀行の廃止
戦争の停止
ベーシックインカム
全特許、技術の公開
核兵器の廃棄

「コロナとカフカ」

「変身」も「城」も、一連の短編世界が不思議でも、絶望的でもなく、あたり前の世界であることが、今コロナの中でよく分かる、カフカの世界が現実となって、が、これらを描いたからと言って、73才の私の仕事ではないだろうと、徴兵、非国民、軍国主義へのテーマを、アーレントンの様に悪の凡庸を指摘しても、世界のジェノサイド、不合理、無知を、悪への加担を指摘しても、生きる為だったと、この人間の絶望をこそ描かねばならないのだ、

「ライ予防法とコロナ特措法」

お花畑の日本も、コロナ罰金制へ、営業停止、移動禁止、マスク、ワクチン強制、

「ネサラゲサラとNWO」

ネサラゲサラが世界支配を無効にしているとするが、NWOは企業を支えている人間への支配、それも世界全体、人口問題、地球支配への、ドル基軸のアメリカがその気になれば、やれることだが、金融支配を、FRBをまず終了させ、次に人間支配を終了させなければ、世界はそのアメリカに頼ろうとする、コロナ禍、世界支配の構図が明白になった今、希望と期待の分岐点、上からの革命が道理、真理であるのなら、一度で達成出来るかの、利用され更なる支配、絶望へと、世界は絶望していることの必要、私対の世界の、私の唯一性絶対性への、

「人生が金で解決する訳でもなく」

ネサラ、ゲサラ、時に社会主義etcが、何を解決できるか、無葛藤の天国が人生ではない、波乱万丈が人生の醍醐味であるなら、ネサラ、ゲサラもどうでも良く、実存も不条理も、世界は私対世界の関係、

「73才ということ」

あと7年位ということも、2520日何をしたいのか、何をすべきか、
(明治)
坪内逍遥 75才 幸田露伴 80才
高浜虚子 85才 吉井勇  74才
土井晩翠 81才 三木露風 75才
正宗白鳥 83才 永井荷風 80才
志賀直哉 88才 高村高太郎73才
(大正)
室生犀星 73才 谷崎潤一郎79才
佐藤春夫 74才 久保田万太郎74才
西城八十 78才 山本有三 77才
小川未明 79才 広津和夫 77才
川端康成 72才
(昭和)
阿部知二 70才 全て70才前に死亡

私はあと16人を抜けば、志賀を抜けば最長寿か、川端の最期は「たんぽぽ」68才 人体欠視症の恋人との、(72才)ガス自殺

「見るべきもの」

死の数、
文学で、現実で、
哲学、美術、音楽でのこの十年、
3.11、9.11、コロナ、グレートリセット、

「絶望主義とはを」

核を通して、NOであったが、今コロナを通して世界の構造、人間集団の心理を通して、理想主義、民族主義、科学、etc、の人間の本質、実存をも超えた、一個としての、唯一者としての、人の世界の絶望を定義しなければ、絶望するとは、一個の定義、希望、正義、の前に在る、一個というもの、実存の前に、在るという、一個において絶望する、無という私という、世界対私という、私の属としての、本質から離脱した世界が、絶望という地点であることの、コロナであれ、NWOであれ、私個人の病であれ、私の絶望に如くものはないと言う、ガンで余命いくばくとなって、世界や地球の運命ではない、私一個という無、無、無の了解、肯定、受容、

「あと6、7、年」

やることがない、北斎が100迄生きれば、もっと良いものがといった欲求がない、春になってカメラを回し、ブログをやって、メダカ、植木、人の死、コロナパンデミックをまとめる位、

「国際協調と」

支配構造は、国家と個人の問題に似る、パンデミックに対して、個人は集団への協調、自粛、マスク、ワクチン、差別、抑圧、収奪、利権バームクーヘンで良いだろう、

「失礼な」

人にマスクを強要するとは、消毒をしろとは、体温を測らせろとは、人との距離を取れとは、外に出るな、人に会うな、話すなとは、ワクチンを打てとは、

「あらゆる陰謀が存在し」

悪行が歴史上、繰り返されていることは自明てある、で、私はこの人間が如何にあるべきかを、文学、哲学で探ろうとして来たのだと、

「あと10年でもマスク生活をしたらよい」

PCRをやる限り、何年でも、何回でも起こせるパンデミック、ワクチン、5Gによる管理、
世界支配を完了させたい、
グレートリセットをやりたい、
人口削減をやりたい、
世界統一政府を作りたい、

「抗がん剤もワクチンも」

やり続けるがいい、無知こそ幸せ、カフカの断食芸人のように、為政者のやっていることに、愛想が尽きて、死ぬまでやったらよいと、

「政治が何をやっているか」

税金を取り立て、仲間で分けているだけ、文化、科学が何をやっているか、仲間うちの趣味を披露しているだけ、悉く国家のもとに行われていることは、仲間うちの遊びなだけ、その歴史、文化を、哲学、文学、音楽を愛でるとは、いったい何のため、

「スポティファイのおすすめの曲が」

何と私の感情を捉えて選曲している事かと、聴いてきた音楽の記憶、感情が、一枚のレコードを買うためにあれこれ悩んだ、青年の日の音楽が今無尽蔵に、過去が、記憶が、いつでも手に届く所に、共感する音楽を聴いていると、人間は素晴らしいと、この繊細な感情、その表現、