「この5月の涼風に」 | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

「この5月の涼風に」

いつ死んでもいいなーと、この5月を味わったのだから、もう一度あの蕎麦を食べたい、もう一度あの畦道を歩きたい、と死んでいった友等、私は再びこの5月の涼風を、溢れる思い出の5月、旗も心も、大地も、とメーデーの5月、16歳の心に、芽生えた、理想への、
「学習の友」に詩を投稿したら、採用され、壷井繁治から選評をもらった、

「G20がwhoが」

口面を合わせて、権力利権の維持、覇権演習の、インチキパンデミック、宝くじ2等が当たる位の死亡確率、4等程の感染確率で、クルーズ船、3711に対して、712人が陽性、10人が死亡、致死率1.4%、がコロナが原因ではなく、感染対策の無策が原因、

「コロナが捏造」

3.11では核の安心を煽り、絆を、もう一度ニッポンと、コロナでは恐怖プロパガンダで、
ソーシャルディスタンス、孤立、人を見たらウイルスと、マスク、手洗い、リモートワーク、

「自粛が委縮に」

絶望が不安に、人間が、モームの「雨」の娼婦のように、牧師の前に神を畏れ、不安、懺悔へと、しかし、一度雨が上がれば、天性の娼婦に戻り、なのに、コロナ世界は、詰まらない人間ばかりに、見えない、確率の低い、餅の窒息死より少ない死亡率の、コロナにおびえ、学校閉鎖、イベント中止、旅行の自粛、飲食店の営業自粛、酒類の提供禁止、

「3.11では」

もう一度ニッポンと、原発事故など無かったことのように、それがコロナでは、大事の、死者何十万人などと、反原発も、コロナに対しての捉え方も、専門家と言われる者にリテラシーがない、視聴者を愚弄している、彼らの世界への対し方が見える、反原発がコロナが、マスコミ、専門家と称する者に踊らされ、個の自立が無かったことの、インフルエンザ以下の風邪に不安がることの、科学ではないマスクをつけることの、自由を、公共の福祉のためと、権力にからめとられることの、

「ペストより、ツァラトゥーストラこそ」

現代のコロナパンデミックに対して、ツァラトゥーストラのような、世界を暴き、人間を生きるものこそ、ペストのリュウ医師などではなく、平然とツァラトゥーストラを生きる者が、核では絶望しない人間が、風邪ごときでうろたえ、世界を絶望している、原発震災日誌は、現代のツァラトゥーストラへと、この腐った世界よと、ニィチェは梅毒で、水銀治療で殺され、現代医学も中世と何ら変わらず、ただ人の住環境と、栄養がもたらしているだけ、

「人間の体」

60兆個の細胞
10万キロの血管
100万キロの神経
100種以上のホルモン
5000種の酵素
数千億の好中球
脳の神経細胞1兆個
1分間に500種類の化学処理をする肝臓、
1日160ℓを濾過処理する腎臓
1日3000億個の細胞が新陳代謝
1日100万個が癌細胞

「反核が反原発とならないのは」

反核が私対世界、唯一者とはなっていないから、同じように、反コロナが反ワクチンとならないのは、医学という科学信仰がゆえ、生命という世界と不可分の、私への信頼が喪失、

「カミュはペストで何を」

人間への信頼、誠実への、不条理も、疎外も、
生の営みの属性であることは自明、まして疫病、戦争、その中で実存することの、カミュには見えていたはず、アルジェリアの独立戦争で、ロシア革命で、軍拡競争で、反抗することだけが人の実存的態度であることの、コロナが人為であろうが無かろうが、リウーの誠実は、反抗からすれば欺瞞ではある、今や、世界の不条理は、けして不条理ではなく、条理、人為、自明、必然であるのだから、

「コロナは良い事に」

原発は安全と煽り、コロナは怖いと煽り、乗せられる世界、コロナ不安は絶望共有には良い事か、私はそれらに乗ることもなく、私対世界、唯一者の視座で、あと数年の余命と、味わいを楽しみ、ニィチェの怒りを鎮め、プルーストの饒舌を取り、ディキンソンの求道を止め、リルケの観念を捨て、カフカの諧謔を無化し、私は私の生を、コロナごときでコロリと変わる世界に、もはや絶望を説く事もあるまい、世界は絶望することもなく、

「児玉龍彦、金子勝」

児玉は、時に感極まって涙声になる、原発の公聴会での、国を憂い、被災者の健康を、政治の無策を、涙声で、その彼がコロナでは、使えないPCRを推進し、対策をしないと、何十万にも死ぬことになると、金子も、孫崎も、安富も、岩上も、コロナの謀略までは考えない、専門性だけでは辿りつけない、DSのカラクリ、スペイン風邪の嘘、HIVの嘘、ウイルス説の嘘、ワクチン利権、NWO、WHO、IMF、歴史、世界構造、多元的な、真実への遡及なくして、見えてこない真実、

「神とは何かの」

人類が意識の発生と共に、畏れた、祟った、そして現在まで引き継がれた、世界を支配する、人間の至高性をつかさどる精神としての神、神は太古よりの、畏れと、崇めのままのものと、理性、精神の発達のものと2つあり、西洋近代が規定する神は、理性によるもの、哲学における、文学における、あらゆる文化において刻まれた、思考の歴史そのもの、原初において人は、疑問する存在であり、知性、理性以前に感情があり、哲学者といえど、神とは何か、神は存在するのかの、問いかけから出発する、そして過去の人類の答えを得、納得又は懐疑を抱き、更に私の神への答えを探りと、が、現代は神を探りはしない、神に出来ることと、出来ないことを、精神に果たす役割と、位置とを分別し、科学において認識することを得、人と神との関係は多く、畏れ、疑問、不安、科学の未解明なものへの解答、依存による、譬えば人の病、そして死に対する、いくら科学が、原因と過程を、事実を示しても、何故の問いは残る、人の原初の心、なぜ人は死ぬのかの、何故そのような運命なのかの、原因はどうであれ、何故なのかと、そこに、太古よりの、神とは何かの、意識とは何かの、神を問う人の心がある、

「原発が作れるなら核兵器はあたり前」

のように、ワクチンが作れるなら、ウイルスなどあたり前、原発より核兵器の方が簡単、今や、ワクチンよりウイルスの方が簡単、クリスパーゲノム編集で自在に、
地球の大きさと、人の赤ん坊の大きさが、人間対ウイルスのサイズ、
1ケのウイルスが、2、3日で地球を乗っ取る、
ウイルス数、1000穣存在、
星の数ほどのウイルス、否、見える星の数は700垓、
海水1㎖に1000万個のウイルス、
地球の生物30溝、
銀河系65個分のウイルスの数、
知られているウイルスの数5000個、
ウイルスとの共生による植物の生命力、
人DNAは30億文字、3ギガ、DVDの1/2
RNAウイルスが、DNAウイルスとして組み込まれ、集団感染して残っていく、それがレトロウイルス化石、
人DNAにはウイルス化石が8~9%、
タンパク合成DNAは2%位、
人の胎盤は、化石ウイルスを利用して結合、
このウイルスは番犬遺伝子、免疫反応を、
ボルナウイルスと類人猿、4000万年前人以前に入ったウイルス、魚、爬虫類にもある、
マナティ8300万年前、恐竜時代に存在していた、
ジリスには30万年前、ウイルス化石は渡り歩いてきた、
それぞれのボルナウイルスは、他の動物のウイルスを受け付けない、感染記憶がある、

「どの戦争といえど」

各国の資本は繋がっており、利益の分配の違いなだけ、資本に勝敗はなく、ロスチャイルドの、戦争する双方に融資する手法が、戦争という構図、株取引と同じ、それを知っていて、勝った負けたと歴史は、現在のコロナは、ワクチン利権もあるが、世界金融資本おける統治強化、金融リセットによる、通貨機軸の立て直し、コロナ騒動はそれらの道具立て、