テアイテトス 田中美知太郎 訳 プラトン | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

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世界文学大系

テアイテトス 田中美知太郎 訳

ソクラテス
 すると、何が知識であるかと問われて、それが答えるであろうところのものは、正しい思いなしに差別性の知識を加えたものというのが、どうも見たところのそれらしいようではないか。つまり、いまの説では、そういうのが、すなわち言論を後から付け加えて把握するということであるらしいのだ。

  テアイテトス
 ええ、そうらしいようです。

  ソクラテス
 そしてしかも、それは全く愚かしいことなのだ。知識を「何がそれであるか」とわれわれは探しているのだというのに、差別性の知識にせよ、何の知識にせよ、とにかく知識を加えた正しい思いなしが、それであると主張するなどということは、おめでたくもまた愚かしいことなのだ。従って、知識であるのは、テアイテトス、君のいう感覚でもなければ、また真なる思いなしでもなく、そうかといってまた、真なる思いなしに言論が加わってできるものでもないということになるだろう。

他のおよそ過去現在にわたる偉大な驚異すべき人物の知っているようなことは、何ひとつ知っていないのだ。ただこの産婆の仕事だけを、母親といっしょに、ぼくも神様から授かったのだ。母は女の産を助け、ぼくは若くて上品で、器量のすぐれた男たちの産をたすけるようにと。



著書
プラトンの著書として伝わるものには、対話篇と書簡がある。ただしそのうちにはその真偽が疑わしいものや、多くの学者によって偽作とされているものもある。

プラトンの著書の真贋はすでに紀元前のアレクサンドリアの文献学者によって議論されてきた。現在伝わる最初の全集編纂は紀元前2世紀に行われた。古代ローマのトラシュロスは、当時伝わっていたプラトンの著作をその内容から執筆順に並べ、かつ主題に沿って4部作集に編纂した。現在のプラトン全集は慣行によりこのトラシュロスの全集に準拠しており、収録された作品をすべて含む。ただしトラシュロスはすでにこのとき幾つかの作品はプラトンのものであるかどうか疑わしいとしている。

プラトンの真筆であると一致している著作のうちもっとも晩年のものは『法律』である。ここでは『国家』と同じく政治とはなにかが語られ、理想的な教育についての論が再び展開されるが、哲人王の思想は登場しない。また特筆すべきことに、『法律』ではソクラテスではなく、無名の「アテナイから来た人」が語り手を務める。多くの研究者は、この「アテナイからの人」をプラトン自身とみなし、語り手の変化を、プラトンがソクラテスと自分の思想の違いを強く自覚するにいたったため、ソクラテスを登場させなかったとみなしている。

『法律』の続編として書かれたであろう『エピノミス』(『法律後編』)では哲人王の思想が再び登場するが、『ティマイオス』の宇宙観と『エピノミス』の宇宙観が異なること、文体の乱れなどから、ほとんどの学者は『エピノミス』を弟子あるいは後代の偽作としている。ただし少数の学者は『エピノミス』を最晩年のプラトンがその思想を圧縮して書き残したものと考えている。

プラトンはイソクラテスの影響を受け、中期より文体を変えていることが分かっている。文章に使われる語彙や母音の連続などを調べる文体統計学により、現代ではかなりの作品の執筆順序に学者間の意見は一致している。たとえばトラシュロスが『クリトン』の後においた『パイドン』(ソクラテスの死の直前、ピュタゴラス学派の二人とソクラテスが対話する)は、中期の作品に属することが分かっている。ただしその内容から、幾つかの作品については執筆年代についての論争がある。

テアゲスという作品は一般的に偽作とされているが、真作であることも否定できない。新作か偽作を判断するのは 容易ではない。カルミデスという作品も偽作の疑いがある。法律も一部偽作の疑いがある。プラトンの偽作論争は今日でも続いている。偽作か真作かを認めないかでプラトンの思想は大きく変わってくるので、この問題は重要である。

一覧
初期(主にソクラテスの姿を描く)
『ソクラテスの弁明』
『クリトン』
『プロタゴラス』
『ラケス』
『リュシス』
『ゴルギアス』
中期(イデア論を展開)
『メノン』
『饗宴』
『国家』
『パイドロス』
『パイドン』
『パルメニデス』
後期(研究者によってはイデア論を放棄した時期とする)
『テアイテトス』
『ソピステス』
『政治家』
『ピレボス』
『ティマイオス』
『クリティアス』未完
『ヘルモクラテス』未筆
『法律(ノモイ)』
アクシオコス  徳について  定義集