葛木御歳神社から~宮司がゆったりのんびり綴ります -16ページ目

葛木御歳神社から~宮司がゆったりのんびり綴ります

1600年以上の歴史を持つ葛木御歳神社の宮司東川優子が日々思うことを書き綴ります。

葛城についての考察ーその4
私は神武天皇即位前のヤマトを領く神は、やはり三輪山の神かと思っていました。
それ、違うんじゃない?と。
大神神社は「日本最古の神社」と言われていますが、実は大神神社の御祭神大物主神が現れたのは、第十代崇神天皇の時代。疫病が蔓延して占いをしたら、大物主神が祟りなすとして三輪山に祀るようになるのです。

あれ?神武天皇は第一代ですよね。
そのまま読み解けば良いとすれば。。。

やはり、ヤマトの祭祀を司るのは鴨氏。奉斎する神は事代主神。
事代主神は早くから神武天皇東遷に協力、導いたのかもしれません。
八咫烏は鴨氏事代主神と近いのかも?

ヤマトの元々の王は饒速日命で、最初は神武天皇と戦いますが、神武天皇がヤマト入りした時に最後平和裡に国を譲ります。
饒速日命は物部氏の祖であり、この時代、葛城地域に鴨氏、天理には物部氏が居た。物部氏は、神武天皇のために鎮魂法を行ったとあるから、その後神武天皇の政権の中枢に居たと思われます。
そして、神武天皇の皇后は鴨氏の事代主神の娘。
神武天皇は物部氏と鴨氏と結ぶことで、ヤマトの地盤固めをしたのかと。

この頃の神話に出てくる山は、三輪山というより大和三山です。畝傍山は神武天皇陵ですし、天香具山の土で甕を作ったり、ここのハハカの木で太占をしています。

そして、第十代崇神天皇の時代に、大物主神が突然現れる。
大国主神の荒御魂と言われていますが、そのまま読めば良いのかと。大国主神、出雲で巨大な神殿を作ってもらって鎮まっていましたが、やはり出雲は遠いので、ヤマトでも祭って欲しい〜と大物主神として現れたのかも?

この頃、なんらかの争いはあったと思われます。そして、都が葛城から天理の方へ移ったとみると、神話との整合性は取れますね❣️

ここで、鴨氏の奉斎していた神、ヤマトの大神様ですが、神武天皇の岳父ということで、事代主神と書きましたが、鴨大御神と呼ばれる鴨氏の祖先神のアジスキタカヒコネ神かもしれないし、太陽神である下照姫、高照姫かもしれないし、御歳神かもしれませんよね😊✋️

余談〜
欠史八代⁉️
バカを言っちゃぁ困りますよ。
それがなければ、天孫降臨した日向天孫族とヤマトが繋がらないし、天皇の御世が繋がらないって‼
いきなり大物主神が祟りなすなんて、無いです❗️
葛城についての考察ーその3
葛城氏と鴨氏の関係は、平林先生の見方とちょっと違うんだけど。
私は鴨氏はずっと祭祀を司る一族であったと思います。そして、葛城氏は政治的な役割を担う。
歴史で言うと、鴨氏の方が古くからここ葛城地域に居たと思います。
神武天皇がヤマト入りする前からここに居た一族だと。
事代主神は美保関で釣りをしていたということで、出雲が拠点と思われていますが、同じなのか、全く別なのかはわからないけど、奈良県御所市の鴨都波神社の御祭神として祭られる以上、ここ葛城鴨に地縁があると思います。
事代主神はまさに託宣の神。祭祀を司る鴨氏一族の象徴であり、神武天皇はその鴨氏と血縁を結ぶー事代主神の娘と婚姻ーことでヤマトの王になったのだと。

正誤は定かではないですが、一説に、神武天皇のキサキは、大歳神の娘である御歳姫(御歳神社の神さまです❣️)であるという説があります。
この説の発想の発端は、事代主神が出雲とのつながりが強すぎて、ヤマトの地主神の性質が弱いからかと。御歳神はまさしくヤマトの地の神であるからそう言われたのかと。

事代主神は、大国主神の子として国譲りに関わります。そして、大国主神が出雲で幽界を司る神となったのとは反対に、ヤマト王権に繋がる日向天孫族王権とその後も繋がりを持ったのかも?
しかしながら、事代主神は国譲りを「オッケー👌」と言った後、逆さ手で拍手して消えます。これは、完全に呪術。ここで一旦消えて、神武天皇の東遷を機に、大和の事代主神として神武天皇の岳父になったのかな。

ヤマトと日向と出雲。案外近いのかもしれない。ダイナミックに動いていたとすれば、もう少し見えやすくなります。

神武天皇の東遷を暗に導いたのが、事代主神だったりすると面白いなぁ。九州にいる神武天皇に「東にもっと良い土地がある!」って託宣を下ろしたのが、実は大和で待っていた事代主だったりしたら。。。❣️
事代主神は、出雲を出て、先にヤマト入りして、天孫族の神武天皇をずっと待っていた〜なんてね。ロマンだわ〜✨
葛城についての考察ーその2
「謎の古代豪族葛城氏」を読みながら。。。
古代に於いて、どの一族を皇后にするか、つまりは、母が誰であるかが天皇即位に関してとても重要であったと思われること。
古代から中世まで(武家社会が始まるまで?)は妻問い婚であった。男性が女性の家に行き、婚姻関係を結ぶ。つまりは、母系社会的な様相があった。
古代においては男尊女卑ではなかったと思うし、むしろ、妻の父親の後ろ盾が大切であったかも?
初代神武天皇から第九代までは、葛城王朝と云う言い方もされるが、本拠は葛城、鴨の地域である。
神武天皇の皇后は事代主神の娘、鴨族。その後も鴨氏ゆかりの天皇が続く。
十代の崇神天皇からしばらくは葛城から遠のく。それが、十五代応神天皇からまた葛城氏が外戚になる。まるで藤原氏の栄華の如く。
応神天皇の前は仲哀天皇。妻が神功皇后。そして、その時の家臣トップが武内宿禰。葛城氏の祖である。
神功皇后は、父は息長氏で母は葛城氏。神功皇后は強力に葛城氏との結びつきを計ったのではないか。
語弊があるかもしれないが、やはり、ここにはクーデターのような形があって、仲哀天皇は死んだのかもしれない。
応神天皇の後、仁徳天皇には、葛城襲津彦の娘の磐之媛が皇后となる。しばらくは葛城氏が政治の中枢を担う。
その後、二十一代雄略天皇は、葛城氏ゆかりでありながら、天皇親政を敷くために葛城氏の力を削ごうとした。葛城氏の急速な衰退は、雄略天皇の策略が功を奏した結果と言える。(「謎の古代豪族葛城氏」より)
しかしながら、天皇親政はいつの時代も長くは続かない。やはり日本は和の国。天皇は天孫族の子孫として、最高祭祀者として、俗世から離れたところにあるべきなのではないかと思う。
雄略天皇の後、補佐する葛城氏の衰退と共に、天皇存続すら危機的状況に陥る。
そして、混乱の中、飯豊女王が立ち、2世孫の天皇の即位、武烈天皇の後、5世孫の継体天皇へとつながることになる。
葛城についての考察ーその1
「謎の古代豪族 葛城氏」平林章二
もっと早く読むべきだった。いや、タイムリーか。ちょうど今気になって調べていたことの答えが見事にあります❣️
読んで読んで❣️
マニアックですが〜笑

葛城氏が古代いかに強い力を持っていたか。その理由として、多くの氏族との連携があります。紀氏、息長氏、和邇氏、吉備氏など。
それにより、古代交通網をすべて掌握していた。海のない奈良盆地に居ながら、葛城川、淀川、木津川、紀の川も掌握。瀬戸内海から朝鮮までのルートを持って朝鮮の先進技術者を連れ帰る。
そして秦氏です。
秦氏は京都を本貫とすると思われていますが、葛城襲津彦の時代に襲津彦によって日本へ渡り、まずは、奈良県御所市の朝妻付近に居住した。
それにより、葛城氏は鉄や養蚕、土木に関する先進技術を掌握。
そりゃ技術も財力も持つわ。
それにより、ヤマト王権天皇家と姻戚関係を結ぶ。

御歳神社も登場しますが、本著では一つ疑問のままです。
御歳神社の御祭神として相殿におわします高照姫様
下照姫様と同一神と言われています。
敢えて下照姫ではなく高照姫なのは何故かな?

平林先生は、動物供儀についての本も多数書かれていて、御歳神社の祭祀についてもかなり詳しく書かれています。
御歳神と同様の殺牛祭祀は、アメノヒボコやツヌガノアラシトにもみられる。
私の父の実家は大阪市の比売許曽神社氏地ですが、ここの御祭神はアカルヒメ。アメノヒボコの妻で、下照姫と同一神と言われています。
昨日は、知子さんとおもしろあそび倶楽部のようこさんケイさんの共催で、午前は石上神宮と大和神社をめぐって、午後は鎮魂行法の会でした。
台風が気になっていましたが、雨も降らず楽しい一日になりました。



石上神宮は拝殿などが工事中でしたが、さすがの気の濃さ❣️
大和神社は急遽行くことになったのですが、宮司さんが拝殿にあげてくださり、由緒などお話くださいました。
御歳神社に戻って、9月オープンの薬膳カフェ「まつり香」のランチを一足先に頂きました。
薬膳のスペシャリストの資格もお持ちのまいこさんが作る身体が喜ぶ素敵な食材❣️玉ねぎスープが絶品でした!
いちじくのデザートと薬膳茶も頂きました🌸



午後からはまずはカフェで講義をして、祝詞を読む練習や行法の練習をして、5時過ぎから本番❗️
ヒグラシがカナカナカナ〜🎶と涼しげな音の祓いをしてくれる中、皆さんの気が一つになりました。
終わって、神社奥の御神木シイの木の所で仕上げの自然の気を頂き、素敵な一日となりました✨
鎮魂行法の会は2名以上のお申し込みがあれば開催しますので、お問い合わせください。



なんと、「御歳神社奉賛プロジェクト」として皆様からのご奉賛金を頂戴いたしました。ありがとうございます😊
主催してくださった知子さん、ようこさん、ケイさん始めご参加頂いた皆様、誠にありがとうございました❣️

先程の和佐羅の滝の記事、11年前だ〜
どんな時期だっかとみたら、3日前に第二回崇敬会総会。御歳神社の、まさに中興の黎明期ですね。
以外コピペ
🍀🍀🍀

会員の皆様に会則等の文書を送付しました。
以下はその時に書いた文章です。
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崇敬会会員のみなさまへ

ようやく気候も安定の兆しを見せて、若葉が目に美しい季節となって参りました。皆さまにおかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
 
 さて、第二回崇敬会大祭・総会も明るい日差しが降り注ぐ中、無事滞りなく終えることができました。これから十年、二十年、三十年と続くであろう崇敬会の礎を皆さまの真摯なお心で真剣に築いていけることを嬉しく思っております。遠くは北海道や九州、山口からも会員になってくださる方もいらして、遠くからも近くからも広く御歳神社の輪が幾重にも広がっていることを何よりありがたく思います。

 今年は10月30日に平城遷都1300年祭記念イベントの一環として「御歳神社の奥山登拝と、能葛城顕彰の会」を御歳神社で開催いたします。皆さまのご協力、ご支援を頂ければ幸いです。
 昨年9月に発足いたしました「おとしだまの森倶楽部」での奥山整備活動も10月のイベントに向けて登拝路の整備に力を注ぎたいと思っております。
 昨年、5月3日の御田祭りではお田植え神事が数十年ぶりに復活しました。少しずつ充実させてよりよいお祭りにしていきたいと思っています。今年は御田祭りの際に宮司就任報告祭を行います。
 御歳神社がお年玉の起源に関わる神社だということも、少しずつ浸透しつつあります。「トシ」の持つ意味、意義を今後も掘り下げて御歳神さまの御神威をもっと知って頂けるようにしたいなあと思っています。

崇敬会の輪と重なるようにして、氏子さんの輪、「おとしだまの森倶楽部」の輪、「葛城顕彰会」の輪、地域を良くしていこうという地域の方々の輪、ネットを通して全国から御歳神社に熱い視線を注いでくださる方々の輪…など様々な輪が優しい響きで響きあって取り囲んでいるその中心に御歳神社の神さまが居てくださる…微笑みながらご覧になってくださっている…だからこそ、特別な空間であり、特別な御神域は、さらに清らかな光を発しながら保たれているのでしょう。

人一人の小さな力がたくさん合わさって何かができるのだと、この場所に居ると実感いたします。皆さまにもその心地よさを感じて頂けたら嬉しいです。今後とも、良いご縁が広がりますように念じております。どうぞ末永くよろしくお願いいたします。

平成二十二年四月二十日         
葛木御歳神社 宮司 東川優子




旧暦の水無月の晦日は今日です。
明日が7月1日新月です。
本来は今日の夕方が夏越大祓式です。
御歳神社の茅の輪、まだあります。
今日の茅の輪です。
少し黄色くなりましたが💦
大雨があるので、来週には撤去する予定です。
✳︎御歳神社の夏越大祓式は7月最終日曜日に斎行しました。
御歳神社で「日本の神様カード」を世に送り出している大塚社長とコラボお話し会をします。
今回は「困った時は神様の言うとおり!」というタイトルで、私の波瀾万丈の神社再生顛末記についてたっぷり語りたいと思います。
困難を乗り越えるための心の持ちようについて、参考になれば幸いです。
zoomでもやります。
皆様のご参加お待ちしています!
午前には大塚社長のご指導による瞑想会もいたします。
ランチは、9月オープンの御歳神社横のカフェ「まつり香」の薬膳お弁当を予約できますよ。