昨日・今日は家事をしながら

ベルリンフィル・ヨーロッパコンサートツアーの

ブルーレイ、

2015年アテネ公演を視聴しました。

 

1枚目の鑑賞からお馴染みの、

第2ヴァイオリン首席奏者、

クリスティアン・シュターデルマン氏の姿を見ながら、

ご存命の間に

公演に行けなかったなぁとしんみりしました。

(2019年逝去)

 

この年もお気に入りの1枚になりそうです。

 

シベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調 Op.47

が作品も好みだった上、

レオニダス・カヴァコス氏のヴァイオリン(とフィルの協奏も)が素晴らしかったです。

 

 

 

⬆️こちらはアテネ公演ではなく、同じ作品の同時期の演奏の抜粋です。

フィルのメンバーや演奏も違いがあります。

 

 

珍しくアンコール、

 

 J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン ・ソナタ第3番ハ長調

 BWV.1005 からラルゴ


は静かに心に響く演奏。

 

ホルンのサラ・ウィリス氏が

横に座って聴いていたラトル氏に

“Amazing!“と言ってるのが口の動きで読めました。

 

別の奏者も涙を拭う後ろ姿をカメラが捉えていました。

 

その後、

 シューマンの

交響曲第3番変ホ長調『ライン』の演奏。

これも作品・演奏ともによかったです

 

シューマンの曲

 

シューマンのこの曲は好きだったのですが、

シューマンの曲は

好きな曲と苦手な曲(というか旋律とリズム)の差が激しいです。

 

例えば、

ピアノ協奏曲イ短調Op.54

 

出だしが苦手です。

 

あの揺れるリズムがどうも苦手。

その後の旋律は好きなんです。

 

アラベスク ハ長調Op.18も

苦手系

クライスレリアーナOp.16は

苦手系の曲から始まり、

好きなものと混在。

 

苦手なものは

頭が混乱する旋律とリズム。

 

頭の中に水が溜まった状態でスキップしてるような

チャプン、チャプンと

波打ちながら揺れて船酔いするような気分になります。

 

なぜこんなことを書くかというと、

 

シューマン好きの方には有名な話である、

彼の分身フロレスタンとオイゼビウス、

両極端な気質が

曲に影響を与えている分析、

 

それが彼の精神疾患、

双極性障害(躁うつ病)から来ている

という解説をよく目にするからです。

 

クライスレリアーナの各曲は、

分身それぞれが出ているように、

曲調が目まぐるしく変化。

 

また、

躁状態と思われる時期の作曲数が半端なく、

波が激しいので、

双極性障害だったのはほぼ間違いないのかなと感じます。

 

ただ、

自殺未遂、

その後に精神科の病院に入院して亡くなったことと

双極性障害は

別に考えたほうがよさそうです。

 

もう1つの病気

 

シューマンが精神病院に入院した時の記録は、

長い間紛失していて、

(故人の名誉を守るため公開をしなかったことも関係)

なんと1991年に再発見後

2006年に出版されたそうで、

それまでは死因がはっきりしていなかったようです。

 

入院中の様子や

脳の病理解剖まで残っています。

 

私は脳の病理解剖と担当医師の診断の抜粋を少しだけ読みました。

 

大雑把にいうと、

(脳のある部分の変異が書いてあり、

読むと気持ち悪くなられる方がいらっしゃるかもしれないので、

やめておきます。)

腫瘍らしきものがあったようで、

それは梅毒の末期状態を示していたようです。

(断定まではいかずとも、恐らくそうだろう、という感じでした。)

その他

入院時などの診断書によると、

瞳孔などに、

梅毒特有の症状がはっきりと認められたようです。

 

シューマンの後年、

幻聴や幻覚など精神疾患的症状があったのは、

梅毒の進行によって

脳に影響が出たものと思われます。

 

いつ感染したか

 

シューマンは記録魔なので、

性交渉や病気の感染も記録に残しています。

 

色々調べすぎて、

それも少しずつ違うことが書かれていたので、

どこに何が書かれていたか忘れてしまったのですが、

確実なのは、

 

1831年の夏、梅毒に罹患と本人もわかっていたことです。

(「シューマンの結婚」にも書かれています)

 

関係を持った女性の名前まで書いていたようです。

(娼婦、クララ・ヴィーク(シューマン)家のメイドなど諸説あり特定されていません)

症状が出て、

ヒ素か水銀かあるいは両方の治療を受けています。

(ここは日記を読んでいないので、調べたら情報源によって違いました。)

 

シューマンが

指の訓練装置で指を痛めて

ピアニストをあきらめたと言われていますが、

 

この装置が原因だったかは不明で、

指を痛めた時期と治療時期を考えると、

梅毒の治療に使ったヒ素か水銀の影響

という説にも信憑性を感じます。

(治療時期より前に指の症状が出たという話もあり、

これも断定はできないようです。)

 

梅毒は

1929年にペニシリンが発見されて、

1943年に治療が成功したそうです。

 

シューマンの頃には有効な治療薬はなく。

 

治療の後、症状が治まったので、

治ったと思ったようです。

 

1933年ごろから

エルネスティーネ、その後クララとの恋愛、結婚へ。

8人の子供に恵まれます。

 

なぜクララは感染しなかったか

 

梅毒が恐ろしいのは、

完治したように見えて体内に潜伏していることです。

 

ではなぜクララは梅毒に感染しなかったのでしょう?

 

今回調べて初めて知ったのですが、

梅毒は、感染して1、2年で感染力がなくなるらしいのです。

 

なので、

シューマンがエルネスティーネと婚約した頃、

その後クララと交際する頃には、

人にはうつさない状態の梅毒だったようです。

 

クララが感染しなかったのは不幸中の幸いです。

 

入院した時には医師の診断で

ロベルトが梅毒だとわかっていたようなので

 

クララがシューマンとの面会を

亡くなる直前まで禁止されたのも、

当時、クララの精神的疲弊が大きかったことや

妊娠中であったこと、

万一の母子感染の恐れての配慮だったかもしれません。

(本当はこの時点で感染しませんし、

今さら隔離しても、、、なので

違う可能性も大ですが、

当時病気についてどこまでわかっていたか不明なので。)

また、

幻覚幻聴で、

クララに危害を加えかねないという判断があったかもしれません。

 

シューマンという人

 

シューマンの婚約破棄と

クララとの恋愛が始まった時期が曖昧と

以前書きました

 

 

本の続きを読むと、

 

正式な婚約破棄が成立しないうちに

クララに告白し、

2人の仲をクララの父ヴィークに隠すこともなく、

それどころか

自分がクララに相応しいと父親が賛成していると大勘違いをしていたのです。

 

これが本来のシューマンの気質なのか、

双極性障害によって楽観主義が倍増したためか不明ですが、

 

シューマンの行動は、お調子者というか

都合のいいように考えるところもちらほら見えます。

でも憎めない人だなぁとも感じます。

 

精神科の病院に入院したのも、

幻覚や幻聴で自分が引き起こす症状や行動のために

クララや周囲を傷つけるのを恐れて、

自ら入院させてくれと言ったそうです。

 

クララへの手紙は愛情たっぷりだし、

作曲にもクララや子供への愛がたっぷり。

 

晩年は苦しかったと思いますが、

クララという伴侶を得て幸せだったろうと想像しています。

 

 

お読みくださりありがとうございました。

にほんブログ村 音楽ブログ 音楽のある暮らしへ
にほんブログ村