2025年には2つの天理教に関する紹介動画があり、アクセス数もそれなりにありましたので、つい見てしまいました。信徒でない外部者の作品なので、誤解した内容もあるので、コメントしたいと思います。
1.【天理教の真実】政府が恐れた?神道でも仏教でもない謎の宗教
ヒューマン伝 234,220 回視聴 2025/02/18 #天理教 #宗教 #日本史 2026.2.17現在
目次もあり、映像も工夫していれて、分かりやすく解説しておりました。以下、不適切な表現、理解について、指摘します。
1-1.(誤り)天理教は新興宗教である。 ➡ (正)天理教は新宗教である。
新興宗教とは伝統宗教に対して、幕末維新期以降に生まれた創唱宗教を指す歴史学の用語で、宗教学的には新宗教と形容されています。東大で新宗教の概説をされた島薗進先生の1980年代後半ころの授業によれば、上記の通りです。新興宗教は歴史学の用語であり、宗教学の用語ではありません。新興宗教というと、成り上がりで、得体の知れない、不気味な宗教という悪意も含意されていることから、宗教学では、この用語を使っていません。『新宗教事典』(弘文堂、1990年)でも井上順孝先生たちが編集されましたが、同じように語っているかもしれません。「新興宗教事典」は聞いたことがありません。
1-2. (×)天理教は仏教の影響を受けている。 ➡ (正)天理教は独立した教えであり、啓示宗教である。
天輪王講社などと天理教の初期の名称から、また中山みきが浄土宗の熱心な信徒だから、因果応報の思想が似ているから、などの理由から、天理教は仏教の影響が強く、神殿も寺院の体裁であると語られていました。
仏教では創造神とか神の実在を想定していません。非有神論的宗教が仏教で、創造神を立てる天理教が近いのはむしろ、一神教であるキリスト教や聖地巡礼のあるイスラム教に類似しています。
1838年(天保9)年に天理教が創始された時、天理王命という神が中山みきに憑依したことは確かで、それから50年間その憑依現象が継続したことで、中山みきは生き神として神の教えを説き続けた。その神は、仏教や既存の神道の宗教的伝統を超越した新たな思想、理の教えを説いたのであり、仏教やキリスト教など従前の宗教から「独立した宗旨」が説かれたのである。
1838年までには従前の宗教・信条は裏守護として神が支援してきたが、本当の真実の教えが広がれば、廃れていくことが預言されている。実際の大社高山と教祖が形容した宗教勢力は次第に衰えたことは確かである。
ただ、既存の宗教にも伝統と歴史があり、救済力が全くないわけでなく、必要なものとして神様が今でも守護され、立派に機能していることが事実である。お互いに相互に学ぶ点は宗教間対話で生かされている。
しかし、究極の真理が開示され、創造の原点である地場の理が明かされたことに、天理教の究極性と絶対性は信仰者の求心力となって、今の地場にもその匂いとなって、継承されている。
1-3. (×)教祖はすぐに救済者となった。 ➡ 貧のどん底をへて、不思議な助けは後半生に
教祖(おやさま)である中山みきの生涯、そのヒューマン伝を知るには、『教祖伝』を読むことが第一の近道だが、このYouTubeの作者は、そこまで勉強されていなかったようである。
神が憑依して、生き神となったら、不思議な霊救や奇跡、霊視、超能力がすぐに表れると思うのが普通の考えであり、多くの宗教学者も似たような考えをもつ。
不思議や奇跡が日常的に外部に目立つようになったは、教祖のひな型の親としての後半生である。安産の神様として自身で試して、娘などに試してから広がったのである。あくまで後半生であり、それまでは貧のどん底への道であり、主人の善兵衛さんにも理解ができない道中であった。当時の男尊女卑の社会的意識の中で、妻の言うことに従わざる得なくなる旦那様の心中は想像を超えるものがあり、家の没落を、親族からの離縁を耐えていくなかで、何も結構を見ずに夫は1853(嘉永6年)になくなった。
魂の錬磨、中山家の掃除の道中があり、その先に、外部に広がる霊救が始まり、それを恐れた明治政府による真の宗教弾圧も始まるのである。
1-4.天理教校学園高校の廃止に関する経緯
詳しくは、以下のサイトにあります。天理教校の歴史はもっと古く、天理親里高等学校もあり、実は、高校が三つあった時代もあったのです。その辺の経緯が十分に説明されていませんでした。天理大学の上に、天理教校本科研究課程というものがあり、これが大学院的な教学研究の最高機関となって存続しています。
