教祖百四十年祭特別展示「おやさま」、おかえりコンサートなど | 「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

明治20年1月26日に天理教と呼ばれる一つの教えを創唱された女性の教祖、中山みき様がこの日に90歳でお亡くなりになられた。

天理教では、教祖と書いて「おやさま」と読んだり、なくなれたことは「現身(うつしみ)をお隠しになる」という独特の用語で表現している。教祖は存命であり、今も生前同様に働かれている。その証拠に今でも不思議なお助け、霊救があるのは教祖が存命であるという言説が信徒によって信じられ、「においがけ・おたすけ」という布教活動がこの年祭に向けて推奨されてきた。道友社のサイトからみると、個別訪問・路傍講演という形式の未信徒への宣教活動も一部の支部で実行されたようだ。

 奈良テレビによれば、帰参者の数は、12万人という。そこには素朴なhumbleな信仰者によって今の天理教が支えられている現状が分かる。

 この数は多いとみるか、これが天理教の実力とみるか、色々と解釈はあるだろう。しかし、明らかに衰退を象徴している数字ではないだろうか。過去の天理教の勢いと比較しての印象である。金子(2018)によれば、以下の表1のようにここ50年の統計データで見ても、信者総数は百年祭以降は漸減していることが分かる。

 

 

こうしたことは既に分かり切っていることなので、今回の親里帰参(2026.1.25-26)を通じての発見を書き残したい。

 

 

*教祖百四十年祭特別展示「おやさま」 

 年祭準備会議事務局(内統領室内)の主催、南右第二棟の地下2階での展示。入場料は無料。恐らく予算1000万円以下で既存の写真パネルや教祖ご在世の時の教祖ゆかりの品々を展示したもので、普段見ることのない貴重な品々であった。

 

 この中で私も最も印象を受けたのが、教祖の監獄に収容された際、下駄を枕にしたという逸話が残されているが、その下駄の実物が展示されていた。本当に驚いた。何に驚愕したかというと、下駄が赤衣(あかき)で覆われていたことである。赤衣の下駄について英文では以下の様に翻訳されていた。

 

 The red clogs used by Oyasama as a pillow during Her last hardhip of imprisonment in 1886.  

 

 教祖は明治7(1874)年から赤衣を召されたことは有名な史実であり、その理由については、以下のサイト、深谷忠一(2016)が詳しい。亡くなる前年の冬の極寒の中、櫟本村の分署に収監された教祖。その収監は「ご苦労」と形容されているが、救済者に対する明治政府、奈良県の宗教弾圧があったが、弾圧を超えて、信徒は拡大していった。「最後のご苦労」は髙野編の年表では12日間だとされる。

 

 また教祖にお供した孫の梶本ひさ(結婚して山澤ひさ)が残した鉄瓶は、監獄に日々運ばれたさ湯の差し入れのために利用されたもので、これもリアルであった。

 

 An iron kettle used to bring hot water for Oyasama's sustenance. 

 

 ひささんの手記(昭和5年4月4日)によれば、15日間の拘留の間、朝・昼・晩の3回、梶本家でお湯がこの鉄瓶に入れられて、運ばれた。増野と清水さん、梅谷と米田のペアが運んだという。増野正兵衛、清水与之助、梅谷四郎兵衛の3人はみな本部の重鎮となる人たちが教祖に付き添っていた。米田さんは不明である。 どなたか史実に詳しい人に聞きたい。 

 

   

 

 その他、雨ごい勤めで地場から4つの方角の地点でなされたことが写真版であり、これは今の地場の地図とともに説明されていて、見ていて楽しかった。 おやさとマップを参考のためにPDFから写したものを以下。 東筋の北当たりもその一つの場所。 

 

 

 全部で45点の品々でした。 教祖伝をしのぶ歴史的遺物に歴史的教祖を身近にかんじることができた。

 

 教祖の存命の思惑は、本席の飯降伊蔵様の刻限話を通じてその後、20年も継続して、天理教はさらに大発展した。

 

存命の理が周囲に治まらず、本席様は、赤衣を羽織ることもあった。それは『おさしづ』の割書きに書いてある。

 

 教祖の代理であることを知らせるために、赤衣を羽織ったのである。

 

 存命の理とは、教祖の詞を今なるの機械が下す詞の中にある。 

 

参考文献

 

金子昭(2018)「天理教の布教の現状と課題―教会のあり方を中心に―」『中央学術研究所紀要』第46号, p.77-99。

 

 

 
深谷忠一(2016)「赤衣」『Glocal Tenri』通巻196号,Vol.17 No.4,  April, p.3.