「このたびは屋敷の掃除すきやかに」(明治2年) 「道に盡せよ斯道の人」(大正3年) | 「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

教祖が執筆された『おふできさ』は人類に公開された最初の天啓録であり、だれもが読める日本語だ。しかし、その神意には時代と共にさらに明らかにされるべき普遍的な原理が隠されている。

 

 明治2(1869)年から『おふできさ』が執筆されてはじめ、この歌は第1号のものである。

 

このたびハやしきのそふじすきやかに

 したゝてみせるこれをみてくれ      (1-29)

 

[この度は屋敷の掃除すきやかに したてて見せるこれを見てくれ]

 

 「この度」とは、1869年の時点だけでなく、現在の2025年にも相当する真理が込められているとすれば、それは恐るべきほどに現在にも相当する意味内容を含んでいると言わざるをえない。  

 

 屋敷とは地場屋敷であり、存命の教祖がおられる地場を意味する。奈良県天理市の天理教の教会本部が立てられている神苑一帯、親里やかたの中、さらに詰所などがその屋敷を取り囲んでいるというのが屋敷のイメージであろう。

 

 屋敷はすきやかにされるべき場所であり、人が想像する以上に、ピカピカの屋敷が想定されている。形ではない、心の清浄さ、美しさ、誠の心が、神の心を信じる信徒集団が想定されている。 

 

 おさしづにも「鏡屋敷」(M28.5.12)にある通り、言行一致の信仰心が問われている。

 

 地場が治まらねば世界が治まらない。 

 

 今の世界の戦争も異常気象も、地場の汚れや人間一条を映している。

 

 さて、地場屋敷をきれいにするのは誰か。

 

 具体的な順序として、教祖の言うことを第一に聞かねばならないのは、教祖の長男の秀司さんであった。

 

 そのお方は、教祖の言う事、すなわち神様の言葉に対して、余り素直ではなかった。母親を通じて神が発言をしていても、老母が何か言っているのかと。 お筆先の表紙に「老母」と書いたのは秀司さんである。  

 

 教祖と苦労を共にして、もっとも身近にいた秀司さんであるが、老母を利用している無形の神という実在にまで信心が徹底していたとは言えない。 

  

 ここに形を超えた無形の神への信仰心というアポリアがある。 

 

 

そふじさいすきやかしたる事ならハ

 しりてはなしてはなしするなり      (1-30)

[掃除さいすきやかしたる事ならば 知りて話して話するなり]

 

これまでのざんねんなるハなにの事

 あしのちんばが一のさんねん       (1-31)

[これまでの残念なるは何の事 足のちんばが一の残念]

 

このあしハやまいとゆうているけれど

 やまいでハない神のりいふく       (1-32)

[この足は病と言うているけれど 病ではない神の立腹]

 

りいふくも一寸の事でハないほどに

 つもりかさなりゆへの事なり       (1-33)

[立腹も一寸の事ではないほどに 積もり重なりゆえの事なり]

 

りいふくもなにゆへなるどゆうならハ

 あくじがのかんゆへの事なり       (1-34)

[立腹も何故なると言うならば 悪事がのかん故の事なり]

 

 屋敷のトップである、秀司さんには「足のちんば」があった。「ちんば」とは足が不自由でひきずって歩くような恰好だったが、これは差別用語で今は使われない、当時の関西方面の方言である。 

 

 「足のちんば」は何を意味していたのか? 

 

 神様のある想いがあり、それがあらゆる形に現れているが、この「ちんば」は神の残念を意味しているという。このようなことが書き残されて、筆記されたことは、史実でもあり、本人がどのように悟ったかが問われる。また神の「残念」だけでなく、さらに「立腹」という強い表現も出てきている。

 

 秀司さんの心はどこまでも自由であり、神様に対して十分に逆らい続けているのである。

 

 大正3年12月31日に、突如出直された初代真柱の中山新治郎(真之亮)様は、茨木基敬さんのことばを神の詞として受け入れず、早すぎる出直しであった。 その「辞世二首」が新聞にも出ておりました。

 

 岩よりも固き心を結び合せて 道に盡せよ斯道の人

 

 通のため盡す心は唯一つ 己が誠の外なかりけり

 

  信仰一筋の尊い精神が伝わってきます。教祖在世時から養子として中山家にはいり、激動の明治期を教団形成に注いだ人生でした。

 

 秀司さんは生れ変わって、二代真柱様となる。中山家中心の神学を戦後に作った中山正善さんは、飯降家を格下扱いにして、本席の啓示を低く扱う。昭和初期の講習会では「おさしづ」の重要性を管長として語っていたが、まだ本席様のぬくもりが残っていて、筆取り人が生きていたからです。しかし、二代目の啓示者としての扱いを十分にしたとはいえない。また茨木家の三代目とも交流があったが、茨木基敬様の啓示を認めることもなかった。そして二代真柱様は早死にされた。

 

 三代目の真柱、中山善衛様には神がかりが現象が掛かってきたことがあったようだが、本人はそれに蓋をしたらしい。啓示者になるべき魂の持主として地場に昭和7年7月7日に再生されたが、この魂の摂理については、教える人がいないので、本人には自覚もなかった。

 高齢のため真柱の職を自ら引退して、真柱が普通の人間的行動を示す先例を残してしまった。高齢者の引退ブームとなった。天理教の世俗化をさらに推し進めた。

 

 そして4代目の今の真柱様は、まさに「足のちんば」のお姿となり、中山家の歴代の因縁をそのまま引きずっておられる。そのお姿は、「悪事がのかん」ことの証であり、存命の教祖のおことばを素直に聞けないことを『おふできさ』は預言しているのである。

 

 真柱とは独立した理ではない。「裏は鍛冶屋に表は大工」というセットでこそ生きてくる組織の要である。だれもそれを諭すものがいない。   

 

 足元に偉大な理をみる。

 

 届かぬながら、この究極の真理を公開の理のもと、探究して参ります。

 

 

 

合掌