「ゆるぎなく心の奥で呼ぶ声は」(平成2年12月27日) | 「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 

 前回の平成2年、12月24日は、2首のお歌がありましたが、それぞれ別の時間帯にあったようです。

 

 13回目、14回目と分けてもいいですが、それをまとめて13回目とします。

 

続く、第14回のご啓示は、以下です。 番号は私が恣意的につけました。

 

 

平成二年十二月二十七日 午前一時

 

 

1. ゆるぎなく 心の奥で 呼ぶ声は

 

 

    今日も明日(あした)も ないと思えよ

 

 

2. 今日の日は明日(あした)のためにと教えおく

 

 

    今日をおろそか 明日(あした)は立たん

 

                      00拝す 合掌

 

<理の思案>

  生成AIも発達し、Chat GPTの利用がすでに企業でも使われはじめ、国会の答弁でも利用されるべきだと西村大臣も発言している。人間の知識の発達は際限がなく、これからどんな時代を迎えるのだろうか。

  AIに神様はあるか?とたずねても、答えは「分からない」と出るらしい。 

 

  言語を伝える神、それはロゴスとしての神であり、語り掛けてくる神である。

  当時、19歳の女性の魂には、心の中で、呼びかけてる神の声が認識されたのである。

 

  誰も信じないし、教会本部の前で語ったら、異端者として、取り締まられるのが落ちである。 私のブログも、教会本部の公式見解によれば、異端者扱いされていると思われる。 

 

 それはそれで、今の彼らの信仰レベルを反映している。そのように100年以上教育されてきているので、すぐに変わるものではない。 ただ、私が死んでも、神様の声は永遠なので、その永遠の神様を求めていきたい。

 

 神様とは何か?  心の奥から聞こえてくる声だという。直接聞こえる力があるごく少数の人と違って、私達にはそのような能力は付与されていない。  しかし、諦めることはできない。 神の声を求めれば、誰にでも普遍的に、いつでも、文字として、誰でも、日本語がわかる限り、神の詞(ことば)を読んで理解することが出来る。

 

 神様の声は、明治20年に終わったのではない。 本席様によって明治40年まで継続した。 その後は、本部の公式見解ではないことになっている。 しかし、細々とその声は続いてきた。  その一端を本ブログでは世界に発信します。 

 

 神様は時間を超えていることが、此処から分かる。 ものすごい意味が内蔵されている。

神様は本当に永遠なのである。   今日も、明日もないのが神である。  神様とは時間を超えている。 有限なる時間に人間は生きている。生かされている。 その有限性を超えている、人間を超越している何かが、神である。 

 

 人間の肉体は貸しもの、借り物である。 永遠で無限なる神があるとして、その神様がこのように語りかけるのである。

 

 そして、日々の心の通り方が2首目でズバリ来る。   今日の日の蓄積の上に、次の日がある。 今日一日をおろそかにしたら、明日の理が立たないという。  これは本当に厳しい神様からの詞であり、慄然たるものを感じてしまう。

 

 日々を本当にありがたく、心治めて、うかうかしないで生きているのか?

 

 だらだら過ごしていないか?  00さんの当時の姿を思い浮かべると、一人の信仰者としての雛型が確かにあった。とぎ澄まされた感性があり、誰にでも優しかった。隙のない心配りで、普通の女性とは違う、何か別次元へとはるかに魂人間へと進化されたのであった。 

 平成時代における最高の魂レベルの進化がそこにはあった。

 

 魂の実践、錬磨した姿を確かに残されたのであったが、私たちの心は最低であった。本当に申し訳ありません。

 

最近、盲目の経営者のご講演を聞かせていただいた。

 

遠藤隆一郎さん。 名古屋のアド・ライブの社長さん。 2020年頃に遺伝性の理由で失明。一時は絶望したが、奥さんや同僚の言葉で、見事に生き返った。生きている喜びを誰よりも伝えることができる素晴らしい経営者であった。

 

 

 

 日々、貸しもの借り物のあり方を感じて、肉借り物の与えを本当に喜んで生きているか。 私自身はそこを本当に反省しました。

  遠藤さん、ありがとうございます。

 

 人間の魂の進化なくして、人類の未来は継続しないのである。 地場の理の責任はそれほど重大なのである。 地場の建て替え、第二の天保九年を目指して、届かぬながら、投稿致します。   

 

合掌