各宗教ごとに中心となる聖地、詣り所がある。中でもイスラム教の聖地であっるメッカへの巡礼は信徒にとって重要な義務である。巡礼月ともなれば、世界中からメッカに信徒が参集して、特定の儀礼をおこなう。それは開祖ムハンマドが行った最後の巡礼をモデルとした行動を追慕するものである。メッカにはカーバ神殿があり、そこの周りを周回する行事がある。元々カーバ神殿という巨石に何等かの聖地的な意味付けが元々あり、イスラム教の聖地となった。メッカに巡礼した人はハッジと呼ばれて、尊敬される。北京やマレーシアなどからの巡礼なら、各村から一人しかいけないこともあり、巡礼に行くだけだけでも大変なことである。あらゆる民族を超えての聖地での行事によって、回心を深めたマルコムXのような事例もある。メッカへの巡礼は預言者ムハンマドをモデルとして信仰体験を深めるもので、ムスリムの5つの義務の一つともされる。
またエルムサレムはイスラエルの首都であるが、イエス・キリストが磔刑にされた土地であり、大変有名な聖地である。またイスムラ教、ユダヤ教にとってもエルサレムは特別な聖地である。
イエスの使徒であるペテロの墓がたつローマのバチカンもカトリックにっては総本山であり、教皇の住まいがある。そこはカトリック教会にとって信仰の中心地であり、外交権のある一つの国ともなっている。
西洋世界が、聖地エルサレムの奪回を目指して、イスラム圏と戦った十字軍は宗教的意義だけでなく、経済的な富の獲得も目指されていた。
スペイン北西部の聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラも有名な聖地で、そこへの巡礼路であるカミーノ・デ・サンティアゴは今でも有名である。キリスト教世界では、イエスの高弟であるヤコブの遺骸が眠るサンティアゴは、エルサレム、バチカンと並ぶ世界三大聖地とも言う。
我が国でも四国巡礼のお遍路さんは弘法大師ゆかりの88か所の寺院巡りとして有名である。こちらは一か所の中心軸があるのではなく、複数のお寺を巡ることで功徳を得ようとしていることで、聖地巡礼とは違うかもしれないが、宗教的ツーリズムの一種であることに変わりはない。
かつて創価学会の会員の大石寺参詣は大きな巡礼地参詣であったが、日蓮正宗との関係が絶縁されてから、その宗教的ツーリズムの需要が大幅になくなり、地元の旅行会社がつぶれたこともあった。
最近ではパワースポット巡りも盛んだが、宗教・非宗教に関わらず、御利益を目指して、アニメ・映画の舞台も含めていろいろな聖地も生まれているようだ。
さて、各宗教ごとに聖地巡礼という宗教的行為が多様にあるなかで、天理教のお地場帰りとはどのような意義があるのだろうか。ブラジルのような地球の反対側からも自宅を売って、奈良県天理市の教会本部に帰参した女性の話もあるが、北海道など遠方からでも教会長なら毎月のように、お地場帰りをされている。
天理教において、地場とは人間世界創造の地点であり、その特定の地点に甘露台が立てられており、その六角柱の構造物が信仰の目標物として安置されている。天理教の教会本部の神殿の中央に、中心軸/宇宙軸としての甘露台があり、東西南北あらゆる方向から拝めるようになっている。このように柱が信仰の目標物となっているのは、原始宗教を彷彿されるものがあり、三内丸山の六本の巨大な柱もそれに相当するし、諏訪の御柱祭りのような奇祭もあり、それは縄文期からの古代の信仰を残すものである。このような古代信仰的な柱を信仰の対象物とする信仰が近代的に生まれたことが非常に不思議で奇抜でもある。
現在は神殿は南北東西の礼拝場があり、石だたみで囲まれた更地が広がり、なんとも殺伐した感じである。真柱邸の前、東礼拝場の目の前には、三島神社という教祖伝の舞台ともなった神社があり、緑陰や鏡池という大きな池もあったが、更地となった。このような更地は殺風景である。将来的には縄文杉が並ぶような林を植林でもして植物多様性をもった森の中央に甘露台の柱が立っていて、世界中の人が拝せるような舞台となる必要があるのではないだろうか。
さて、この地場の甘露台の立つ地点が明かされたのは、明治8年6月29日のことであった。教祖の天啓が天保9年に始まって以来、すぐに開示されたのではなく、立教して38年もたってようやく明かされたのであった。
『みかぐら歌』(教祖による啓示録、原典Ⅰ)にも地場・甘露台について以下のようにある。
「ここはこのよのもとのぢば めづらしところがあらはれた」 5下り9
「ひのもとしようやしきの かみのやかたのぢばさだめ」11下り1
ここはこの世界の元となる地場であり、世界に一つとない珍しい、唯一の地場が明らかにされた。
日の本、日本の中の庄屋敷村において 神の館の地場定めがされる。
ここには天理教の根源的性格、唯一絶対的な性質が表出されている。大和国山辺郡庄屋敷村という一寒村で啓示が38年前に起こり、中山家の没落がある中で、親族縁者も離縁する中で、誰も信仰をしなかった。しかしようやくめぼしい信者が現れる中で、本格的な教示が始まりだし、つとめの完成むけて、『おふでさき』の執筆も集中したのが明治8年であった。そしてこの年に「地場定め」が行われたのであった。
この地場の甘露台という宇宙軸(axis mundi)の周りで、「かづらづとめ」という天理教にとっての最高儀礼が毎月26日の本部月次祭において執り行われる。地場のつとめが世界を助ける根源のつとめであり、そこに信徒が帰参するお地場帰りの根本的な意義が見出せる。中でも10月26日は、立教の元一日という立教の日を祈念し、世界助けをとつとめる特別な日として聖別されている。「かづらづとめ」は10人の人衆で舞われるが、それは創造原理を地上的にシンボライズしたものであり、同時に救済原理も含意されている。神の心に仕込まれた人たちが舞うことで、実質的なつとめの意義が果たされて、世界に波動として伝播するのである。 合掌