九度山に行って戦国の終わりに想いを馳せました | 貧乏クズ家系生まれ 30歳超え弱者 童貞の愚痴ブログ

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微妙にオタクでコミュ障の30過ぎた童貞です。死ぬときはこのブログを墓にする予定です。

基本的に自己満足な内容を書きます。
不幸自慢の他に、日常的なことも書く予定です。
誰か見てくれると嬉しいかも。

以前から気になっていた九度山の九度山・真田ミュージアムに行きました。


九度山といったら真田昌幸、信繁(幸村)親子が幽閉されていた土地として有名です。


南海高野線は橋本より奥の駅が本数少ないので時間が掛かりました。










九度山到着です。

そういや真田十勇士なんていたな…
小学生の頃に図書館の漫画で読んだが…

真田幸村自体、戦国時代の活躍としては第二次上田合戦と大坂の陣以外に大した活躍がないので何故真田十勇士などという存在がそんなに有名になったのか今となってはかなり謎に感じます。






町も真田十勇士と九度山・真田ミュージアムを推してます。
というか正直他に観光場所はないかも。



九度山・真田ミュージアムです


恥ずかしながら真田大助を初めて知りました。
真田信繁の子供も参戦していたんですね…
豊臣秀頼や淀殿とともに自刃したとのことです。
子供だし豊臣と関係が薄いから殉じなくて良いと止められたとのことですが、決意が固かったようですね

そんな見解もあるのか…
まぁ白髪で歯が無い爺さんみたいなオッサンが単身で徳川家康の本陣に突撃を試みてあと一歩のところまで追い詰められるとは思えないからなぁ…
しかし兄の真田信之に酒はよくせびっていたとのことです。




蟄居されていた空間での隠し通路
徳川の監視が緩かったわけではないと思うけど九度山には真田の協力者が多かったらしいですね。


赤備えはかっこいいです。




遊びたいけど埼玉の飯能に行けば似たようなところはいくらでもあるから我慢


九度山の町並みは相当な田舎道でして坂も多く、現代でも住むのに相当苦労がありそうな環境でした。

九度山・真田ミュージアム近隣はコンビニもスーパーも無く、日常生活を送るには北にある高野口駅近隣に足を運ばないと成り立たなさそうです。

現代でもこんな環境の九度山に14年住み、そこから大阪城に向けて出発する
大阪城に出陣するだけでも死人が多数出そうなくらいの過酷な旅になってそうだコレは…